な①:夏休み

 今朝はひさしぶりに早く起きることが出来て、陽射しの弱い早朝の道を自転車でのろのろと進んでいた。すると今朝はなんだか小学校低学年くらいの子どもをよく見かける。ちょっと異常な数だ。テレビ番組で子どもの健康特集などが組まれて、子どもの早朝散歩がブームになっているということはまさかないだろう、などと訝しんでいた。すると親と手を繋いでいる子もいて、そうして彼らはすべからく首から何かを提げているのを見て、ああラジオ体操かと合点がいった。知らないうちに小学生はもう夏休みに入っていたらしい。

 四季の訪れ(*1)に思わず足をとめることは多くなったが、その季節を謳歌するような時間は減ったように思う。夏ならばラジオ体操や市民プールへ行き、秋には学校行事でハイキングへ出掛けたり、冬になると雪だるまをつくったり、スケートリンクを転げまわったり、春にはクラス替えがあってと。小学生の頃はしかし、わけもわからずに季節を疾走していたのだろうなと振りかえる。動物的な具合で、咀嚼もせずに貪っていた。そのときには味も分からずに摂取していた季節感が、この歳になって記憶として思い返されることがまた不思議と面白い。時間差の栄養素というものもあるのだろう(*2)。

 公園に子どもたちがどんどんと集結していて、ぼくはあまりラジオ体操のスタンプを貰えなかったなア(*3)と、彼らの横を自転車で通り過ぎていく。もしも不審者扱いされずに済むのならば、一度くらいはラジオ体操に参加してみたい。きっと妙に念入りに身体を動かしたりなどして、すっかり疲れて果ててしまうに違いない(*4)。

 これを書いている早朝のファミレスにも子どもたちの姿がある。中学生くらいのお客さんもいるから、中高生も夏休みに突入しているのかもしれない。藤井四段(*5)のニュースを読んでいると、四段の通う中学校も夏休みに入っているらしいことが知れて、やはりそうなのかと思う。

 子どもたちの声のするなか、スーツ姿のおっちゃんたちがスマホや新聞を読みながら朝食をとる姿がまじっている。あと二週間もすれば盆休みがやってきて、彼らもわずかな休息を味わえるだろう。けれど家庭をもっている人は、帰省をしたり、子どもと遊んだりと、なにかとひとりの時間を持つのが難しいのだろう。彼らはどうやってバランスをとって生きているのだろう。子どもの成長を見たりすることでだろうか? こればかりは親にならなければわからない。

 

―――

 

*1:半年近く前、つまりぼくが部屋を変える以前に購入したムック本『世界に誇る鳥獣戯画と日本四大絵巻』のなかで誰かが、季節の訪れは「音連れ」だ、と書いてあるのを読んでなるほどなと思ったのを覚えている。音が季節を連れてくるという意味もあるが、きっとこの表現は聴覚以外の感覚へ働く季節の訪れを言っているのだとも思う。色彩はもちろん、香りや、妙に高揚する心地、毛糸の痒みなどなど、季節は隙間を縫って気配を感じさせる。

 

*2:発酵食品というものが酒の肴になることと、年齢によって味覚が変化することとのあいだに関係はあるだろう。そうしてそこに働くのが時間差の栄養素だと思う。子どもの頃に味はわからなくとも、蓄積した記憶が発酵されていくことで、知らないうちに味覚も変化してくる。自身のうちにささやかながらも歴史があることを知って、酒と季節に思いを馳せるのだ。

 

*3:昔から朝寝坊のぼくが、最近になって自主的に早起きをすることになったのが不思議だ。小学生の頃から習慣化されていれば、困難なく毎朝を充実した時間として過ごせていただろうに。

 

*4:身体の動かし方は重要だ。ぼくは小学生の頃から大学までサッカーをやっていたが、身体というものに意識的になれたのは中学時代に腰を痛めてからだ。伸ばすべき筋肉を感じながら入念にストレッチをしたり、走りながら今どこの箇所に疲労が蓄積しているだろうかと考えたり。けれど、それでもぼくは身体の動かし方を知らない方だと思う。もっと骨格や筋肉の構造などを知り、動きのなかでそれらがどのように働くのかを実験、観察していくことが大事だろうと思う。小学生くらいから、そういったことを意識できれば良いのだろうが、これを子どもへ教えるのは難しいだろうな。教育というのは大変に困難なことだ。

 

*5:店長が将棋好きのため、藤井聡太四段の話題はよくあがる。まじで凄そうだと動向が気になりだしたのは、abemaの「炎の七番勝負」を見始めてからだ。第三局の「1一銀不成」「2二銀成」での解説者や店長の驚きの声に、思わずぼくも興奮した。ぼくは駒の動かし方を知っているくらいで、あとは盤外の物語などを読んで楽しんでいるだけだが、そんなぼくでも四段の毎局がいつの間にか楽しみになっていた。騒がれる一手のなにが凄いのかを店長に尋ね、「ほお」「へえ」と感嘆して、しかしいまいちよくわからないまま、それでもスターの居る時代に生きていることを楽しめている。スポーツ観戦は好きになれないし、今ではテレビ番組を観ることもなくなってしまって、スターという存在に触れることがなくなっていたから余計に嬉しい。報道の過熱に対していろいろと言われるが、それも含めて、多くの人々が娯楽に熱狂しているのは、すっかりクラスタ化した最近では珍しいことだ。更新された最多連勝記録も途絶えて、熱はすこし冷めたようだが、秋頃には藤井VS藤井も早々と観られるかもしれないことを思うと、これからも楽しみは満載だ。

 

            2017年7月27日(木)

 

 

と①:トーキングヘッズ

 ぼくはなにかに担がれている(*1)。あるいは、ぼくは或る一輪挿しの花である。そのことは、ぼくが我を忘れ、我にかえったときにはじめて思われたことだ。つまりは、不確かな所在をどう説明するかの話だ。

 そのように考えるのは、もしかすると、ぼくが一度だけ幽体離脱に近いような体験(*2)をしたことが大きく関わっているのかもしれない。そのときの妙な心持が、フラッシュバックではないが、ふとしたときに訪れるのだ。

 たとえば銭湯で長く湯に浸かってのぼせてしまうときや、入眠へ移行する際に、わずかだけ働いている意識が夢の入り口を察知して、ぼくはぼくの所在の手掛かりを感じる。それは蜃気楼めいて、足元のおぼつかない、とりとめようもない存在の仕方なのだ。

 Talking Headsの『This Must Be The Place』の歌詞に、

feet on the ground, head in the sky

という言葉が出てくる。この「head in the sky」が好きだ。あるいは、ジャコメッティ(*3)特有の細長い人間の立像も、地上の足と大きく離れた箇所に置かれた頭部という関係で観れば「head in the sky」感としてぼくなりに理解できる。あの立像も、人間の一輪挿しを表しているように映る。

 一輪挿しの花は根を切断されている。それでも水の上に浮かばされ、花を咲かせている。ぼくたちにそっくりではないだろうか。言語や理性を獲得することによって、あるいは二足歩行によって目や鼻が地上から遠く離れたことによって、ぼくたちは自然の円環から切り離され、こぼれ落ちていった。度々に根無し草と喩えられるぼくたちは、その痛みを伴った切断面に手を這わせ、太古のことを思いかえしたりなどする。なぜこうなってしまったかと近視眼で歴史を振りかえりはするが、断絶された彼岸を望むことは叶えられない。すでに死んだも同然なのだと悲観的になり、しかし、それでもなお頭のてっぺんで花を咲かせているこの生に困惑する。あの一輪挿しが、その様を映し、伝えているのではない。それはただそこにあっただけであり、ぼくがそれをふと見出しただけなのだ(*4)。そこに意味があるわけではない。右の歌詞の続きが、

it's okey, I know nothing's wrong, notihing

とある。何度励まされただろうか。根を切断されて水に浮くぼくではあるが、この水を隅々まで吸い上げ、蒸散(*5)させて、花の枯れるまでは、ただ生きるだけだ。

 

―――

 

*1:担がれる、という表現が好きだ。それを好きになったのは、このブログで度々登場する落語『井戸の茶碗』を観たためだ。清正公さまの前の掛け茶屋で、商人たちが若いお武家様の噂話をしている。そうして一人の男が嘘八百を並べて、それに騙された者が「なんだ、担がれちゃったよ」と言うのだ。

「担ぐ」①物を肩の上にのせて支える。

    ②自分たちの上に立つ人として押し立てる。

    ③迷信・縁起などにとらわれる。

    ④からかってだます。

    ⑤婦女を誘拐する。

        (「三省堂 大辞林」より)

 この噺では④が受身形で用いられているわけだが、頭は①の意味で身体に担がれているし、理性や自我などと言われるものも②の意味で代表されたような存在だ。そうして様々にかどわかされている、という意味で③と⑤として担がれているぼくたちではないだろうかと思うのだ。

 

*2:学生時代に通っていたクラブのフロアで、ぼくは酒にひどく酔っぱらって踊り呆けていた。そうして突然に、コンセントを引き抜かれでもしたように、ぼくはその場に崩れおちた。そのときのスロー映像が焼きついている。ぼくは周囲の人に覗かれ、ぼくはその様子を彼ら取り巻きのさらに上から眺め下ろしていて、そこへ、一緒に来ていた友人がぼくを起こしにやってくる。ぼくは彼にひきずられ、バーカウンターのあたりで他のお客から白い目で見られ、友人はセキュリティに何事かを言って道を開けてもらっていた。階段をのぼっている頃に、ぼくの意識はすこしずつ身体の方へ戻って来て、外へ出ると小雨が降っていて、それが頬に冷たく当たってぼくは目を覚ました。友人の肩を借りながら近くの陸橋まで歩き、そこで一休みした。クラブの方をふりかえると、白い小雨のなか、どこかの店の看板の文字が「WELCOME」と輝いていた。

 

*3:二週間ほど前に国立新美術館で開催されていた『ジャコメッティ展』へ行ってきた。本当は、同美術館の『東南アジアの現代美術展:サンフラワー』を目的にしていたのだが、それをまわってみて、なんだか消化不良の感がひどくって、遠くへ足を延ばしたのだからせっかくだしついでに、くらいの気持ちで『ジャコメッティ展』の切符を買っていた。前週に、川村記念美術館マーク・ロスコサイ・トゥオンブリに出逢ってから、ものの観方がすっかり変わっていたぼくはジャコメッティに完全にやられてしまった。

 

*4:「それ申楽延年の事態(ことわざ)、その源を尋ぬるに、あるひは佛在所より起り、あるひは神代より伝はるといへども、時移り、代隔りぬれば、その風を学ぶ力及び難し」by岩波文庫風姿花伝』10頁

 

*5:だから、世界は蜃気楼然として映るのかもしれない。

 

      2017年7月26日(水)

 

 

て①:テレビジョン

 いわゆるテレビのことではない。いや、結局はテレビのことなのだが、ちょっと違う。

 数年前、或る女の子にフラれた早朝の東高円寺で、曇りがかった空の遥か上の方からぼくを覗き観ている存在を察知した。と書くと気が狂ったように思われるかもしれないからタネを明かしておくと、ぼくはそのときグデングデンに酔っぱらっていたのだ(*1)。それで、遠くから観られているという違和感を覚えて、キッとそいつを見返してやったのだ。酔ってはいたが、そのときのイメージは鮮明に覚えていて、昨年、テンテンコの『放課後シンパシー』のPV(長尾謙一郎作)に、アッと思うシーンが出てきた。それは、どこかよくわからない場所のリビングで、ブラウン管を見つめている宇宙人らしき存在が描かれた場面だった。

「ははん、おれはこいつらの存在に気がついたのだな」

 と、そのPVを観て思わず笑ってしまっていた。同じような被視感という類のものを、他の人も感じていることが少しく嬉しかった。

 それからぼくのなかで「テレビジョン」というと、いわゆるテレビより先に、どこか彼方で観ている/観られている感覚と言うものが思いつかれるようになった(*2)(*3)。

 アーティストの「Televison」も気にかかる。まだしっかりと聴いたわけではないけれど、きっとこのことにも通じているのだろうなと変に確信してしまっている。いや、きっと実際がどうであれ、ぼくの方で勝手に歪曲化して理解するに違いないのだから通じるに決まっている(*4)。

 テレビジョンの語源も、遠くを見るというようなものだったと記憶している。望遠。テレスコープとテレビジョンとではどう違うのか。スコープと言うくらいだから機材のことで、ヴィジョンだから視覚のことか。するとやはりテレビジョンと言うのはどこか超能力的な意味がある。まあ、テレビは超能力的だものな。原理を説明されても意味がわからない。テレフォンも、レコードすらも不思議だ(*5)。そんなこと言ってしまえばきりがない。わけのわからないものばかりだ。

 

―――

 

*1:このときの酔っ払い度は尋常ではなくって、その子の部屋へ集団で遊びに行っていたのだが、ぼくは変に舞い上がってしまってワインをたらふく飲んでいた。それで明け方に彼女が起きて皆の朝食をつくっている最中に、あろうことか、舌足らずに告白をしてしまったのだ。醜態をさらしておいてのあのタイミング、フラれるに決まっている。それなのにぼくは妙な怒りがこみあげてきて(なんて自分勝手な野郎だ)、それで空をキッと睨んだのだ。おそらくアレは、責任を空になすりつけたのだろう。

 

*2:この「見る/見られる」というのは、小学生か中学生の頃に観た『トゥルーマンショー』の影響が強いように思う。あれは傑作だったなア。ちょうどぼくも海で溺れてトラウマがあったことも重なって、ずいぶんと感情移入したものだ。それからアンドリュー・ニコル脚本の『ガタカ』と『シモーヌ』を観た。

 

*3:また、大学時代にYouTubeで見た『Dr.Quantum』によっても「見る/見られる」や「観察者の存在」というものにわくわくした。量子論はまるきりわからないけれども興奮する。

 

*4:あまりに恣意的だろうか。ときどき、世界を恣意的に見過ぎてしまって不安になる。不安になったり止んだりを繰り返して、挙句の果てには「ええい、知ったことか」とやけを起こす。それで自身を丸焦げにして、しばらく黙りこむ。そのとき、死んだ魚の眼をした自分の姿を鏡に視ていた。ひどい顔貌だったが、悪くもなかったように思う。最近、めっきり焼ける機会が減った。

 

*5:とても恥ずかしく思う。インターネット以前の技術で既に理解の範疇を越えてしまっている。わかりやすく「こうこうで、こうこう」と論立てて説明されれば、そのときは「うんなるほど」となるが、すこし時間が経つとまたハテナが浮かぶ。説明される以前よりもハテナが増えている。「テレ」が凄すぎる。ぼくの頭が悪すぎるのか? そうなると、喫茶店の隣の客の話し声が空気を震わせて耳に届いて音として捉えられることも意味がわからなくなってきた。際限がない。

 

      2017年7月23日(日)

 

 

つ①:束の間

 今回、はじめて言葉を調べてから書きはじめた。「つ」から、何気なく使っていた「束の間」が浮かんで、果て、そもそもこれはどういう意味だったかと分からなくなってしまったからだ。ネットで「束の間」を調べてみると、

goo辞書:《一束(ひとつか)、すなわち指四本の幅の意から》ごく短い時間。ちょっとの間。

Weblio辞書(三省堂大辞林):〔指四本で握るほどの長さの意〕わずかの時間。ほんのちょっとのあいだ。

となっていて、やはり「束」は昔の単位らしく、「出たな身体尺度」といった具合で、腰を据えて調べてみた。

 「束」は、

goo辞書:③古代の長さの単位。指4本分の幅を基本とする、矢の長さをいうときに、八束(やつか)・十束(とつか)などと用いる。

Weblio辞書(三省堂大辞林):①上代の長さの単位。四本の指で握った幅。

ということだ。他にも、稲の量の単位として、重さ一斤の稲を一把とし、十把を一束としたらしいが、それが指四本分かどうかは知らない。だから「束の間」は稲ではなく、親指を除いた握り拳の四本指の幅として考える。

 面白いのは、その幅という距離が時間として変換されることだろう。例えば「十センチの間」と見聞きすれば、これは明らかに距離としてしか認識されないだろう。

 「ほんのちょっと」の意味で用いられることから、一束はほんのちょっとの長さということだ。「束の間」の「間」は、物質的な空間としての、たとえば壁に出来ている一束ほどの隙間というのならば理解が容易い。元はそういう風に用いられていたのかもしれない。それがいつ頃からか時間の「間」に用いるという洒落心が働いたのだろうと思う。

 それでは、この一束というのは実際にどのくらいの長さなのだろう。勉強も兼ねて同じ幅、距離である里から学んでいこう。

 1里という距離はおおよそ、36町で、2160間ということがネットに書かれている。そうして調べると、1間は6尺らしい。つまり一里は12960尺。そうして1尺は10寸だから一里は129600寸で、、、もうわけがわからなくなってきた。人が半時(約一時間)歩いた距離を一里としていたこともあるらしく、もうだめだ。なにがなんだかわからなくなってきた。

 平均的な矢の長さは尺貫法ではおおよそ3尺とされ、これは12束=48伏に相当したらしい。一伏(ふせ)というのは指一本分の幅で、4伏を1束とした。もう勘弁してくれ。しかし、もう少しの辛抱だ。平均的な矢の長さは3尺で、1間は6尺なのだから、平均的な矢の長さは半間ということになって、いや遠回りになるだけだ。重要なのは、平均的な矢の長さが3尺で、12束ということだ。つまりは、1束というのは、3割る12をすればいいわけで、あれ、3割る12っていくらだったけ。急きょ電卓アプリを起動させる。0.25だ。4分の1だ。つまり一束というのは4分の1尺だ! つまり「束の間」は「4分の1尺の間」だ! ここの「間」が距離単位の「間(けん)」 でないことが救いだ。4分の1尺ということは、尺がおおよそ30センチメートルだから、一束は7.5センチメートルなのだ! そうして一伏せは1.875センチメートルなのだ! だから「束の間」は、7.5センチメートルだけ進むのに費やす時間ということで、ほんのわずかな時間のことを言うのだ。

 さらに、人の平均的な歩速は、時速4.5~5kmと言われているらしく、まあ時速5キロメートルとして、一束に要する時間というのは、5キロは5000メートルで、500000センチだから、「0.000015時間」? というのは何分だ?何秒だ?「0.0009分」で「0.054秒」。本当か? 計算に自信が、いや方式すら怪しくなってきた。とりあえず「束の間」というのはおおよそ「0.054秒」ということがわかったはずのだ。

 ちなみに、「瞬く間」の「瞬く」は「まばたき」であって、一回のまばたきの速さは平均で100~150ミリ秒と言われているらしい(wikipediaより)。つまりはおおよそ「0.1~0.15秒」ということになって、「瞬く間」よりも「束の間」の方が「僅か度」は高いのだ(ほんのちょっと度にしてしまうと、なにがほんのちょっとなのかややこしくなる)。さらに言うと、「1瞬く間」はおおよそ「2~3束の間」ということになる。

 

―――

 

 さて、なぜこんな面倒なことになってしまったのだろうか。それに、もっと読みやすいように書けもしただろうに。まあ、勉強にはなった。「束の間」の方が「瞬く間」よりも僅かで、少しの時間なのだ。見た目や語感では「瞬く間」の方が素早いイメージだったが、そうでもないのだなあ。途中の里やらの説明が余計にややこしくしたな。改めて、簡単にまとめておこう。

 

  束≒1/4尺≒7.5cm

 人の歩行平均速度を時速5kmとすると、

  束の間≒0.054秒

 

 まばたきの平均速度≒0.1~0.15秒

  瞬く間≒0.1秒

 

 よって、「束の間>瞬く間」となる。

 まあ、しかし、速度を測る基準が足と目とで違うのだから、なんの参考にもならないか。

「今回の答えの正確さ<間違ってる可能性」

 

      2017年7月23日(日)

 

 

ち①:知

 今朝、シェア用の自転車が数台置かれた狭いスペースの前を通った。2020年の東京オリンピック(*1)に向けて、さまざまな業界がシェア概念を拡大、浸透させていっているところなのだろう。

 シェアサイクルをみかけることが別段に目新しいわけでもないが、今朝は思うことがあった。シェアというものが今後さらに浸透していき、科学が一層に進歩していったならば、アニメ『カイバ』(*2)のように、映画『マトリックス』(*3)のように、知識や記憶というものも容易に自身へインストールする時代が本当にやって来るのだろうかなと、考えるともなく考えていた。それは、今日書く予定だった「ち」をどうしたものかと考えあぐねていたために、この目がシェアと知とを結びつけて捉えたものと思われる(*4)。

 ぼくが見たことのあるものだけなのかもしれないが、ポートにはすべて同規格の自転車がずらり並べられている。カラーまで同じだ。よそのポートを見ると、色や形は違うが、並んであるものはすべて同じだ。より安価で大量生産できるものを利用していることがわかる。また、後輪上部には何やら電卓を大きくしたような機械が設置されていて、利用者を区別するための暗証番号やなにかを入力するためと思われる。その機械を搭載するのに、きっと同じ規格であることが都合よいのだろう。

 ふと思ったのは、たとえ知識を(開放された情報を見聞きすると言うのでなく、SF的なインストールの方法で)シェアする時代(*5)が来たとしても、黎明期にはこのシェアサイクルと同様な、安価なものが共有されていくのだろう。チープな赤や青をした小型の、同種の自転車が街を走るように、知識もわかりやすく色づけされて、見るからに性能の悪そうなもの(*6)が人々にシェアされていくのだ(*7)。実際にいま既に、溢れかえる情報のなかで人々は、わかりやすいものを自ら選んで画一化していっている。言葉の多層性を知らないままに、流れていく情報に乗っかっている。そのことによる閉鎖や危険性を知らないはずもないだろう。

 知識や何やが画一化される前に、独自に、知の体系と呼べるようなものを拵えておかなければならない。オリジナルや個性と言ってしまえばチープに取られるかもしれないが(*8)、その所在や経過を、理解とは違う何かしらかで感覚しておかなければならない。そのためにこれを書いている。公的な地図を一度漂白して、子どもが自由帳に描くいたずらな冒険図を、ぼくも思い描かなくてはならないのだ。いつ訪れるか知れない頑強な帝国の進撃に備えて、シェルターを拵えておかなくてはならないのだ。象牙の塔が必要となる時代がすぐそこにやってきている。いや、もう既にずいぶんと暗雲に立ち込められている。急がなくてはいけない。雨はもう降り出してしまっている(*9)。

 

―――

 

*1:ぼくは次回の東京オリンピックに嫌な予感を覚えてならない。いよいよテロが日本に進出して来る良い(?)タイミングのように思われるし、経済だとかなんだとかはオリンピック以降に転げ坂を真っすぐに進んでいくように思われて仕方がないのだ(根拠レス)。だから、開催時期には東京から離れておこうとは思っている。だからと言って、どこへ行こう。

 

*2:このアニメを知ったきっかけは大学生当時によく見ていたニコ生だ。「化粧放送」で有名になったケミキラのアキラの方が、この主題歌を唄うか何かしていた。彼女たちのミラーダンスが好きだった。

 

*3:中学生のときに一度観たきりでしっかりとは覚えていないが、たしかネオが獲得する格闘術は東洋のカンフーか何かだったと思う。西洋科学の最先端から護身する術が東洋にあるという図式なのかなと、今さらながら書いていて気がついた。まあ、既に言い尽されていることなのだろうけれど。

 

*4:「知」にするか「血」にするかを迷っていた。ふたつは「ち」を思った時にほとんど同時に浮かび、まあ、どちらも横断できるかなとも考えていた。が、結局「血」については書けそうにもないので次回へ譲る。

 

*5:知識のSF的インストール方法が叶ったのならば、それ以前の知識や身体的記憶との齟齬や違和感はどうなるのだろう。デスクトップに新たなフォルダがコピペされるようにして、はっきりと別枠として取り入れられるのか、それともOSやファイル形式の問題で正常に開かれなかったりするのか(*A)。そんなことは考えてみてもわからないが(*B)。

 

*6:とはいえど、ぼくの乗っているママチャリよりかは性能も漕ぎ心地もすこぶる良いに違いない。

 

*7:シェアの時代だと謳ったところで、粗悪なものが出回ったのではなんのためのシェアだろうか。皆が同じものを同一方向から眺めて論じあうことに面白味はあるだろうか(論じあうという表現は間違っているな。なんと言えばいいだろう。同一方向から眺めてキャッキャする、か?)。それとも、そこに質や面白味は求められていないのだろうか。シェア、共有、共感、そういった言葉がよく聞かれるし、求められているらしい。なんだかぼくの思うそういった概念と、世間とでは少しく食い違っているらしい。

 おそらく、利便性というものを多くの人は第一に求めているのだろう。時短で、節約できて、煩わしくないということが。それは決して悪いことではない。けれども、そこで獲得した時間やお金を何に使っているかと言えば、ただただ指をフリックすることだけに費やしているではないか。せっかく手に入れたものが、暇として潰されていっているではないか。もう、ぼくには何がなんだかわけがわからない。

 

*8:この身体の機制で以ってさまざまな環境を過ごした経験がある時点でオリジナルだ。語り、創りだす内容より以前の、発露される過程の方にそれはある。

 

*9:雨による災害が続いている。そういったことも含めて、暗い予感ばかりがちらつくのかもしれない。何年も前に、S君の誕生日プレゼントのために買ったMoMAの有名な傘は、内側に青空を描いている。その意味が、なんだか晴れやかなものとは思われなくなってきた。

 

―――

 

*A:などとPC用語を書いてみたが、まったく詳しくない。使い方が正しいかどうかもしらない。ぼくはもうずいぶんと長い間、便利で謎な機械を使っているのだ。

 

*B:このように、物事を他のものに置き代えて考える擬態の仕方は面白い。代替する対象に自らを接近させ、変容させていくことで新たな視野を獲得できる。それによって理解を早めることもできるが、、、いや、言いたいことがさっぱりわからなくなってきた。

    2017年7月23日(日)

 

 

た①:立ち漕ぎ

「た①:立ち漕ぎ」

 

 部屋を変えてから毎日、職場まで自転車通勤している。片道二十分ちょっとで、ちょうど高校の頃の自転車通学と同じくらいだろうか。自転車に乗る毎日というのも高校以来で、自然と当時のことを思いだしたりもする。見る景色はぜんぜん違うわけだから、きっとペダルを漕ぐという運動が、急ブレーキをかける両手や、坂道を懸命にのぼっていく大きな呼吸が、当時の記憶に働きかけるのだろう(*1)。

 その自転車運動のなかで、今ではすっかりしなくなったのが立ち漕ぎだ。

 家から職場までのあいだに大きな坂道が二つある。ひとつは目黒川を渡ってすぐにある行人坂だ。これは自転車を漕いで上がるのは到底不可能な急勾配だ。しかも、ぼくの自転車は流行りの細くて軽くて速い「バイク」と名前のつくような類でない、変速機すらついていないママチャリなのだから(*2)。引っ越して最初のうちだけ、どこまで行人坂を漕ぎ進めるだろうかとチャレンジしたこともあったが、すぐに諦めてしまった(*3)。

 もうひとつの坂は、目黒通りから桜田通りへ入る日吉坂だ。ここは、通勤時は長い下り坂で心地よく滑っていけるのだが、帰りにはそれが魔の坂道となる。清正公前(*4)のT字路で桜田通りから目黒通りへ入ると、シェラトンホテルの車両通用口あたりから傾斜がはじまる。なる限り無駄な力を使わないように、ペダルを漕ぐに合わせて体重を斜め左右にかけて日吉坂をのぼっていくと、スパ白金の前で犬を散歩させる奥様方や、子供の手を引く父親の姿などを横目に過ぎ越し、八芳園の敷地前に差し掛かる頃には坂の頂上「日吉坂上」の信号機が見えてくる。坂は頂上を見させてからが長く、油断した心の隙間が体力を削らせ、呼吸を大きくさせていく。もうすぐ、あとちょっと、もうひと漕ぎ、ようやく、と辿り着いた日吉坂上の信号は赤で、足を地につけて一安心、と大きく深呼吸することがなかなかできないのは、明治学院の女子生徒たちが同じく信号待ちをしているためだ。妙に気取って、この長い坂道を息も切らせずに上がって参りましたと、涼しい顔をして信号が変わるのをぼくは待っている。汗はだらだらと流れているのに。それが自分でも馬鹿らしくって泣けてくるのだが。

 或る日、その日吉坂を立ち漕ぎせずにあがりきったことに妙な興奮を覚えていた。ぼくはそれ以来、立ち漕ぎをしていない。小雨の降る帰り道も、傘を片手に差して、立ち漕ぎをせずにのぼりきれていた。

 立ち漕ぎをしないことが筋力増強の証として嬉しく思いもするのだが、座りっぱなしでペダルを漕ぐ自分に少しく淋しい思いもした。

「脇目も振らずに立ち漕ぎをしてみたい」

 こんな思いが立ちあがるのは、センチメンタルの何よりの表れなのだろうか。

 なにかがそこにあるわけでもないのに、長い急な坂道を立ち漕ぎしていた自分が、向こうの方にいるのをぼくが観ている(*5)し、観られている。

 

―――

 

*1:近頃はこの身体的な記憶のことばかりを考えている。いや、それも記憶なのだから脳の産物だろうと言われるだろうが、いや、思いだそうとして思いだす方法と、嗅覚的な記憶の立ちあらわれかたとが随分と違って思えるように、やはりこの腕や足や皮膚の覚えている、その経路でしか思いだせない何事かがあるわけだ。ぼくはその言語的な記憶でないものに、もっと言えば、言語によって隅に追いやられていた記憶に、いまようやくそっと思いを馳せようとしはじめている。けれども、これが意図的に取り出せるようなものではなくて、時折りにふと、どこからともなくやってくるものだから、思いだそうにも思いだせない。その管理できないところのものだからこそ余計に惹かれているということもある。

 

*2:変速機のないママチャリは勤務先のスタッフからタダで譲り受けたものだ。受け取ったときから錆びてはいたが、いまではさらに老朽化してしまって、ペダルをひと漕ぎするたびに、ネズミの鳴くような甲高い音で軋む。行人坂をブレーキ一杯で下っていくときには、耳をつんざくような妙な大きな音をわめかせる。その度に、ベルは不要ではないかと思ったりして、心のなかで通行人に頭を下げている。

 

*3:重たいママチャリを、背中で息をしながら前傾姿勢になって押し進むぼくの隣を、原動機付自転車に乗ったママさんたちがすいすいと追い越していくのがなんとも惨めだ。

 

*4:落語『井戸の茶碗』の舞台となる場所だ。ここの掛け茶屋で「それだ、それだよ」のセリフが出たことを思いながら、これから来る長い坂道に挑んでいくことになる。

 

*5:向こうというのが何処なのか。前方でもあるし、後方でもあって、すぐ隣でもある。それらを含めて空方でもあるのだが、ついにはそれはわからない。時間と空間は思った以上に歪だ。

         2017年7月22日(土)

 

 

吉田和史× 夜窓結成一周年ライブ観賞記

7月23日(日)、新宿御苑近くの「bar toilet 」で開催された、T君の所属するバンドのライブへ行ってきた。そのときの感想を書こうとは思うし、だから観賞記と題したのだけれども、音楽の話はほとんど出てこない予定だ。
この日は、前夜から暑さのために眠られず(*1)、午前四時には布団から起き出して活動していた(*2)ために、会場ではへろへろに酔ってしまうだろうなという予覚が働いていた。
開演の午後六時に合わせて、一時間ほど前に目黒から山手線へのった。新宿駅へ着き、会場までの道中で見かけた蕎麦屋へ立ち寄って酒を呑む。格別に美味い酒ではなかったけれども、毎日の活動時間以上に働いた後の酒はするすると臓に滲みていき、心持はすっかりよくなった。BGMもテレビも流れない店内には、空調の大きな送風音と、まな板を叩く包丁の幽かな音だけが厨房から聞こえ漏れている。
しばらくを蕎麦屋で呑みながら過ごし、開演一分前に会場前へたどり着く。マップを見ながら建物を確認していると、二階あたりから視線を感じて仰ぎ見た。T君が窓際からぼくの方を眺め下ろしていて、手を振って、入り口を指し示した。それがなんだかよかった(*3)。
会場は狭かった。椅子はカウンターに沿って三列ほどで並び、前方の席はすっかり埋まっているようだった。鑑賞料とドリンク代を払い、アルコールを受け取ると後方、窓際の席へ腰掛けて先ずは窓外を眺めた。
「そうだ、バンドは夜窓という名前だったな」
とあらためる。けれども午後六時の外はまだ白くって、夜の雰囲気はなかった。外よりも、蝋燭を数本立てた店内の方が橙の淡い暗がりで、そのアンバランスさが妙な心地だった。地上ではサラリーマンが急ぎ足で歩道を往くなどしていた。
時刻を過ぎても音は鳴らされず、少し緊張感のあるような空間を思いながら酒をちびちびやっていると、窓枠に小さな虫が這うのを観た。午前中に植物園で寝転んだりしていたから、そのときぼくについた虫をここまで運んで来てしまったのかしらんと思って指に乗せてみた。短く細い足を何本も動かして指をくすぐらせていると、ライブをはじめるような声が聞こえた。この頃には、ぼくはもうすっかり酔っぱらっていた。外の明るいのが少し気になったままだった。
弾き語り二曲が終わってバンド演奏がはじまる。身体を動かしたくなるけれど、前のお客さんたちが案外にも静止したままだったから、仕方なく、身体は揺らす程度にとどめた。歌われる詞が少しばかり気になった。言葉を音に乗っけたことがないから分からないけれども、比喩がもはや比喩ではなくなってしまっているように感じられて、少し気になったのだ。けれども、お酒をお代わりする頃には、もういちいちを考えることはやめてしまっていた。
途中に休憩が挟まれた。煙草を吸いに、まだまだ白い外へ出て、コンビニまで行って用を足して帰って来ると、もう少しで再開というところだった。窓際の定位置に腰掛けて、またちびちびとやりだした。
窓外は、暗がりはじめたといってもまだ白く、店内は仄暗く橙。窓を一枚隔てただけで色の変わるのを面白く眺めていた。斜めグリッドの入った窓は断熱性が高そうだ。交差点を挟んだ斜向かいの五階建てマンションの窓のひとつに灯りがつく。青みを帯びた蛍光灯らしく、そのマンションのほかのフロアの窓も、同系の照明のようだった。演奏は再開されている。マンションの灯りをしばらく眺め、マンションとビルの隙間の空を見ると何故だかもう白くはな
かった。レモネードブルーなどという言葉があるか知らないが、そんなように妙な、イエローとブルーとが入りまじった、ちょうどゴッホの描いたアルルのカフェのような色彩だった。それを映す窓の表面に、店内の風景が混じりはじめた。ぼくの前に座るお客さんたちの頭が連山のようにして黒く映り、その向こうで、サックスがソロを吹くのがちらりと見える。けれどもその鏡像は、二重構造の窓のために
少しく歪んで、輪郭を曖昧にさせている。
「幽霊かな」
そんな馬鹿なことを思って店内のほうを向くと、窓に映るのよりもはっきりとした輪郭で彼がサックスを吹いている。店内はあかく、外とはうまい具合に交じりあわない。交差点に停車したSUVがヘッドライトを点滅させている。五階建てのマンションの窓明かりが増えていた。また窓に映る彼らを見つめる。そうして店内の彼らを見る。それを幾往復かする。ぼくにはどうにも、グリッドの窓の向こうに透きとおって見えるような彼らの方が現実的で、同じ空間にいる彼らは嘘みたいだった。
「ああ、夜窓だね」
ぼくらは今そのなかで、それを眺めている。
「脱け出そうこんなところ」
そんな詞が聞こえた。そのフレーズだけを覚えている。どこから脱け出そうというのか。この夜窓から?
気分はすっかり遊離していた。酒に担がれて、知らない涙に溢れさせられていた。『ゴーストライター』という歌だったか。それを聞いていたときに泣いたような気がする。そうして最後の方は周りのことなんか忘れて身体を動かしていた。
ライブが終わり、そそくさと「bar toilet 」をあとにした。今にして思えば、ぼくはあのときなるほど、或る種の排泄行為をしていたのだなア。先と同じ蕎麦屋へ行き、勘定を済ませようとする段になって財布を無くしていたことに気がつく。気は余計に動転した。
T君に助けてもらい、どこか別の店へ行き、彼の知人と会い、財布は会場にあることを知ってT君と「bar toilet 」へ戻り、メンバーの方とすこし飲んで、ぼくはなぜだか突然に席を立って、店を出て
行った。
赤信号を無視して横断歩道を渡り、クラクションと罵倒が後方で鳴らされるのを聞いていた。
アルタ前の植え込みに寝転がって、すぐそこを歩き過ぎる人々の声を聞きながら、終電までを過ご
した。
部屋へ戻り、眠れば翌日の仕事に遅刻するだろうからと、自転車を押して職場へ向かう。途中、急な坂で自転車を倒してしまって泣いた。泣きながら坂をあがり、目黒通りをのそのそと進む。コンビニで煙草とドリンクを買うとくじ引きができて、ビーフンヌードルがあたった。店員が煙草の銘柄の話をぼくにしてきて、ぼくは笑ってしばらく会話を交わした。外へ出て、煙草を開けると、彼と一緒に吸いたいなと思ってまたコンビニへ入っていった。彼は一本だけ受け取ってくれたが、他のお客さんが入って来たのでぼくたちは挨拶をして別れた。
歩きながらまた自転車を倒してしまって、籠から
買ったばかりのドリンクが落ちて転がっていった。それには構わないで、景品のビーフンヌードルだけを拾って大事に籠へ入れた。日吉坂の長い下り傾斜を、自転車のブレーキをかけずに転がり滑っていった。途中、道の角から車が出てくれればいいのにと思った。

―――

*1:うちには冷房がない。扇風機もない。外の方が涼しい。

*2:活動とは言っても、洗濯をして、すこし早くにファミレスへ行ってものを書き、目黒の植物教育園を散策し、銭湯に浸かっただけなのだが。

*3:ちがう友人の住むマンションは、エントランスで部屋番号を入力して呼び出すと、向こう側のディスプレイにぼくの顔が映るらしい。いや、今ではどこでもそうなのかもしれないが。それで、ピンポンして無言で立っていると、小さなスピーカーから彼の笑う声が漏れて、分厚い扉が解錠される。なんだか顔パスみたいな感じがして、受け入れられた感がある。そのことに少し似ていた。まあつまりは、招き入れられることの嬉しさよ。

          2017年7月26日(水)