お①:尾ひれ

「尾ひれをつける」という表現がある。話などに誇張を交えることや、事実でないことを付け足すというような意味合いで用いられる。

 頻繁には耳にすることのない言葉だから、みんながどのような思いがあって使うのかよくわからない。「事実でない付け足し」という意味合いをみると、余分、余計という邪魔臭く思うような節があるようで、「尾ひれをつける」はどちらかと言えばネガティブな方へ傾いて使われているのかもしれない。

「お」の項目を書くにあたって、この「尾ひれ」を「尾ひれをつける」という慣用句で思い浮かべたのだが、そのときにイメージされたのは魚の尾ひれと孔雀の飾り羽だった。前者は当然として、後者は「誇張」や「事実でない付け足し」といった含意が、やたらに大きく華麗な孔雀の飾り羽を思い起こさせたのだろうと思う。

 孔雀の飾り羽は異性を惹きつけるため、という通説を鑑みると、尾ひれをつけて話すということもセクシュアルな意味をもつ。あらたまって言うほどのものではないかもしれないが、大げさに、ありもしないことを付け加えて話をするというのには、なにがなんでも相手の興味を惹きつけて、話に耳を傾けさせようという動機がある。その意味で、「尾ひれをつける」は、誇張や付け足しということより以上に「注意を向けさせるために」という目的の方に重きを置けるのではないかと考えた(*1)。

 アイキャッチとしての尾ひれや飾り羽であり、それを余計、余分、さらに進んで無駄などと言われ、斬り捨てられたなら、物語(*3)は失われてしまわないだろうか。いや、それでもなお、なんとか子孫を残すために、口伝するために、各々が知恵を絞ってアピールするのだろう(*4)。

 

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*1:すると「話に羽をつける」といったような言葉のほうが通りがいいことになってしまい、「尾ひれ」である必要がなくなってくる。やはり「尾ひれ」には特有の意味合いが込められているのだろうとも考えなおしている(*2)。たとえば尾ひれが孔雀の羽ほど優美ではないことから、不細工な、無粋な付け足しといったネガティブな要素があるのかもしれない。しかしそれだと「野暮」という方に傾くか・・・。

 

*2:鰭(ひれ)は魚にとっての運動器官だ。水をかいたり、方向転換のために使われる。その意味で、話の推進力になったり、脱線させて話に花を咲かせるためという意味合いが含まれているのかもしれない。「花を添える」という言葉の美しさにあらためて気がつかされた。

 

*3:生物種自体の存続と、その歴史や語ることを含めて。

 

*4:と書いていて、この事典の正当化であることに気がついた。それでは、この尾ひれだらけの事典が、その尾ひれをもぎとられた後に何が遺るか。ぼくはそこに空しさを覗きみてしまう。それを覆い隠すための言葉や物語なのではないだろうか。慰みとも呼べてしまうかもしれない。けれども、無駄なものに大事があるのだと思う。これは飛躍か? はは、それで結構こけこっこー。飾りの羽で彼方まで飛んでいこうではないか。がはは(*5)。

 

*5:とは言えど、尾ひれや飾り羽は虚飾にすぎず、シンプルな力のみで生きるものもいる。無駄を省いた、洗練されたもの。いつかはそのようなものが書けるだろうかと夢想している。目には見えないこの夢想が尾ひれであるのならば、飾りの羽であるのならば、ぼくは自らでそれをもぎとらなくてはならない。フリーザの最終形態をふと思いだした。いや、あいつにも尾は残ったままだったか。