き①:着物

 着物が欲しい。落語を観ていての憧れだ。しょっちゅうは着ないにしろ、遠い旅に出かける代わりに着物姿で出歩きたい。そうすれば少し世界が変わるような気がする。

 ずいぶん前に『ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法/石川英輔』を買って、ほとんど読めていない。たぶん第二章あたりくらいまでは読んだ気もするが、そのような章立てだったかも覚えていない。

 この本を買ったわけは二つある。ひとつは、古典落語では物語舞台当時に用いられていた単位が出てきて、ぼくの方で描写読解がぼやけてしまう。それで久しぶりに本腰を入れて勉強しようと思ったからだ。けれどもすっかり頓挫してしまっているから、そのことを思いだして少し気の塞がるような思いがある。

 わけのもうひとつは、メートル法という近代的な単位設定に違和感を覚えたためだ。国際基準に統一されることによって、各国、各文化のさまざまな長さや重さなどの単位が零れ落ち、忘却されてしまうことがもったいなく感じられて仕方がないのだ。

 メートル単位の定義は、北極点から赤道までの千分の一というもので(非常にあいまいな記憶)なんだか途方もない。そうして質量のキログラム単位は、1/10メートルの立方体に入れられた水の重さと定義されている(このくらいのことは調べて正確に書いた方がいいのだろうか?)。こうなるとややこしくって仕方がない。

 それに比べて身体尺度は「ここ」から測られるから解りやすい。と書いたが、その基本単位がぼくには記憶されていないため、身体的な尺度はメートル法以上に遠いものになってしまっている。ぼくと世界のあいだから身体が抜け落ちてしまっているような気分だ(*1)。ぼくはもうすっかり観念的な存在になってしまっている。そのことが嫌で本を買って勉強しようと思ったのだけれども。(*2)

 着物を仕立てる際には未だに尺やら寸やらで測られるらしい。そのことをきっかけにして、いま一度この身体で世界を生きてみたいのだ。

            2017年7月16日(日)(*3)

 

―――

 

*1:このことは「ゆ」の項目で書くつもりでいる。「ゆ①:幽霊」だ。

 

*2:勉強するという時点で「それは違うだろう」とも思う。

 

*3:これを書いた今日、映画『ふたりの旅路』を横浜の「ジャック&ベティ」で観た。「あ①:アーロン・ゴルドベルグ」の注釈でイッセー尾形について書いたのだが、それから思い立って久しぶりにYouTubeで一人芝居を観て笑った。関連動画に、イッセー尾形の出演している最新映画の予告を見つけ、これは観なくってはいけないと思い、鑑賞しにいってきたのだ。映画館に行くのはいつ以来、なに以来だろうと思いかえしたが、さっぱり思いだせない。だから上映前から興奮してしまっていて、いまのところの作品に対する感想は素晴らしかったとしか言えない。いや、作品というよりも、映画そのものが素晴らしいという感動だろう。詳しい感想などはしばらくの後に、どこかの項目の脚注に紐づけようと思っているが、叶うかどうか自信がないので、ごく簡単に感想を書きたい気分なので書く。

 客層はほとんどが六十代以上という感じで、見た範囲で若いのはぼくともう一組くらいだった。

 なによりも主演の桃井かおりが最高にキュートで、ずっと観ていたいと思った。イッセー尾形はすっかり白髪になってしまっていたが、セリフの独特な言い回しやセクシーさは健在で嬉しかった。ふたりの掛け合いなんて最高だった。

 ケイコさん(桃井かおり)がラトビアでの着物ショーへ出演するのをきっかけに物語が展開するのだが、思えばここでも「着物」だったのだ。たしかに予告でそのことを知っていたはずなのに、書くことと観ることが見事に一致してとりあえず驚いた。それで一層おもしろく観られたのだろう。さらに言うと、ニュアンスは違えど「幽霊」すら出てくる。興味関心事が組み込まれていて嬉しかった。いや、世界的な関心事が知らずぼくに組み込まれているのかもだが。

 主演ふたりの年齢が両親に近いこともあって、きっと他のお客さんとは違った視点で映画を観られたように思う。諸先輩方の感想を読んでみたい。それを含めて、また後日、ゆっくり感想を書こうとは思っている、と思う。