け①:化粧

 化粧の出来上がりではなく、その過程が好きだ(*1)。

 ずいぶん前に、NHKのドキュメンタリー番組が化粧ルームを取り上げていた。鏡のまえに座って真剣な表情でメイクを施していく姿がとてもよかった。この感想を持つに至ったのには、もっと昔に、歌舞伎役者に密着する番組だったと記憶しているが、楽屋の鏡の前で白粉を塗るシーンをカッコいいと思って観ていたためだ。その楽屋での姿と、化粧ルームでの姿が重なり、「おお、戦の準備をしているのだな」という感慨を抱いたのだ。

 どうやら、こういった準備の姿を覗き見られることが面白いようだ。『EXテレビ』の企画で、上岡龍太郎がたったひとりスタジオで一時間を喋りとおすというものがある。そこで(*2)、「テレビが面白いのはふたつ。素人のやる芸と、プロの裏側」というようなことが語られていた。このプロの裏側、私生活というところに視聴者は食いつくわけで、化粧ルームのドキュメンタリーが面白かったということに繋げると、化粧を施した人たちは街を歩いている限り或る種のプロなのだと考え至る。だからあそこを覗き見ることに興奮を覚えたのだ。

 それでは、電車のなかで化粧をする(*3)というのはどうだろうか。よくその光景を見かけるが、あれはプロの裏側、私生活を覗き見ていることになるのだろうか(*4)。時間がなくって仕方がないという事情もわからないでもない。けれどもだ。

 問題なのは、公私の空間がごちゃごちゃになりはじめているということなのだろう。電車という公共空間のなかでさえ、人はリビングに居るような感覚でスマホを眺めている。それでは公私とは何かと考えると、頭が痛くなる。偉大な先人たちがさまざまを語っているが、そのことにぼくは疎い(*5)。

 すっぴんを見るということはひとつの達成だ。すっぴんを見たいがために男どもは頑張るのだ。エロスは秘匿されて生まれる(*6)。

 

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*1:もちろん出来上がりは可愛い方がいい。可愛い出来上がりに似せるのではない。真似するべきなのはその表層ではない。内側の態度だ。そうすれば出来上がりは自然とその人に合った可愛いものになるのではないか。そのためには真似をしたい人の、同時に自身の奥深くを覗かなくってはならないだろうと、他人事として考えている。みんなも自分密着ドキュメンタリー番組を創ればいい。

 

*2:別の番組でも語っている。たとえば、たしか談志との対談番組で。

 

*3:談志は「あいつらいずれ電車でタンポン替えやがるよ」と言っている。そこまで冗談にならなくなってきている気がする。

 

*4:ここで思いつくのがイッセー尾形だ。あの舞台の何が良いって、ネタとネタとの間の着替えシーンが観られるというところだ。通常では裏でする着替えを、表へ出てひとつの芸として完成させたことだ。暗がりの舞台の端で、かすかなスポットライトを浴びたあの背中。たまらない。電車内での化粧は、果たして芸と呼べるものか。

 

*5:安部公房の『箱男』を思いだす。「覗く/覗かれる」という関係性や、匿名の存在、等価性、平等、主体性、公共、幽霊。そういったことを考えなくっては。

 

*6:この秘匿に関しては「い①:井川遥」の注釈ですこし触れたが「も①:モザイク」で詳しく書く予定だ。

 

            2017年7月17日(月)