た①:立ち漕ぎ

「た①:立ち漕ぎ」

 

 部屋を変えてから毎日、職場まで自転車通勤している。片道二十分ちょっとで、ちょうど高校の頃の自転車通学と同じくらいだろうか。自転車に乗る毎日というのも高校以来で、自然と当時のことを思いだしたりもする。見る景色はぜんぜん違うわけだから、きっとペダルを漕ぐという運動が、急ブレーキをかける両手や、坂道を懸命にのぼっていく大きな呼吸が、当時の記憶に働きかけるのだろう(*1)。

 その自転車運動のなかで、今ではすっかりしなくなったのが立ち漕ぎだ。

 家から職場までのあいだに大きな坂道が二つある。ひとつは目黒川を渡ってすぐにある行人坂だ。これは自転車を漕いで上がるのは到底不可能な急勾配だ。しかも、ぼくの自転車は流行りの細くて軽くて速い「バイク」と名前のつくような類でない、変速機すらついていないママチャリなのだから(*2)。引っ越して最初のうちだけ、どこまで行人坂を漕ぎ進めるだろうかとチャレンジしたこともあったが、すぐに諦めてしまった(*3)。

 もうひとつの坂は、目黒通りから桜田通りへ入る日吉坂だ。ここは、通勤時は長い下り坂で心地よく滑っていけるのだが、帰りにはそれが魔の坂道となる。清正公前(*4)のT字路で桜田通りから目黒通りへ入ると、シェラトンホテルの車両通用口あたりから傾斜がはじまる。なる限り無駄な力を使わないように、ペダルを漕ぐに合わせて体重を斜め左右にかけて日吉坂をのぼっていくと、スパ白金の前で犬を散歩させる奥様方や、子供の手を引く父親の姿などを横目に過ぎ越し、八芳園の敷地前に差し掛かる頃には坂の頂上「日吉坂上」の信号機が見えてくる。坂は頂上を見させてからが長く、油断した心の隙間が体力を削らせ、呼吸を大きくさせていく。もうすぐ、あとちょっと、もうひと漕ぎ、ようやく、と辿り着いた日吉坂上の信号は赤で、足を地につけて一安心、と大きく深呼吸することがなかなかできないのは、明治学院の女子生徒たちが同じく信号待ちをしているためだ。妙に気取って、この長い坂道を息も切らせずに上がって参りましたと、涼しい顔をして信号が変わるのをぼくは待っている。汗はだらだらと流れているのに。それが自分でも馬鹿らしくって泣けてくるのだが。

 或る日、その日吉坂を立ち漕ぎせずにあがりきったことに妙な興奮を覚えていた。ぼくはそれ以来、立ち漕ぎをしていない。小雨の降る帰り道も、傘を片手に差して、立ち漕ぎをせずにのぼりきれていた。

 立ち漕ぎをしないことが筋力増強の証として嬉しく思いもするのだが、座りっぱなしでペダルを漕ぐ自分に少しく淋しい思いもした。

「脇目も振らずに立ち漕ぎをしてみたい」

 こんな思いが立ちあがるのは、センチメンタルの何よりの表れなのだろうか。

 なにかがそこにあるわけでもないのに、長い急な坂道を立ち漕ぎしていた自分が、向こうの方にいるのをぼくが観ている(*5)し、観られている。

 

―――

 

*1:近頃はこの身体的な記憶のことばかりを考えている。いや、それも記憶なのだから脳の産物だろうと言われるだろうが、いや、思いだそうとして思いだす方法と、嗅覚的な記憶の立ちあらわれかたとが随分と違って思えるように、やはりこの腕や足や皮膚の覚えている、その経路でしか思いだせない何事かがあるわけだ。ぼくはその言語的な記憶でないものに、もっと言えば、言語によって隅に追いやられていた記憶に、いまようやくそっと思いを馳せようとしはじめている。けれども、これが意図的に取り出せるようなものではなくて、時折りにふと、どこからともなくやってくるものだから、思いだそうにも思いだせない。その管理できないところのものだからこそ余計に惹かれているということもある。

 

*2:変速機のないママチャリは勤務先のスタッフからタダで譲り受けたものだ。受け取ったときから錆びてはいたが、いまではさらに老朽化してしまって、ペダルをひと漕ぎするたびに、ネズミの鳴くような甲高い音で軋む。行人坂をブレーキ一杯で下っていくときには、耳をつんざくような妙な大きな音をわめかせる。その度に、ベルは不要ではないかと思ったりして、心のなかで通行人に頭を下げている。

 

*3:重たいママチャリを、背中で息をしながら前傾姿勢になって押し進むぼくの隣を、原動機付自転車に乗ったママさんたちがすいすいと追い越していくのがなんとも惨めだ。

 

*4:落語『井戸の茶碗』の舞台となる場所だ。ここの掛け茶屋で「それだ、それだよ」のセリフが出たことを思いながら、これから来る長い坂道に挑んでいくことになる。

 

*5:向こうというのが何処なのか。前方でもあるし、後方でもあって、すぐ隣でもある。それらを含めて空方でもあるのだが、ついにはそれはわからない。時間と空間は思った以上に歪だ。

         2017年7月22日(土)