ち①:知

 今朝、シェア用の自転車が数台置かれた狭いスペースの前を通った。2020年の東京オリンピック(*1)に向けて、さまざまな業界がシェア概念を拡大、浸透させていっているところなのだろう。

 シェアサイクルをみかけることが別段に目新しいわけでもないが、今朝は思うことがあった。シェアというものが今後さらに浸透していき、科学が一層に進歩していったならば、アニメ『カイバ』(*2)のように、映画『マトリックス』(*3)のように、知識や記憶というものも容易に自身へインストールする時代が本当にやって来るのだろうかなと、考えるともなく考えていた。それは、今日書く予定だった「ち」をどうしたものかと考えあぐねていたために、この目がシェアと知とを結びつけて捉えたものと思われる(*4)。

 ぼくが見たことのあるものだけなのかもしれないが、ポートにはすべて同規格の自転車がずらり並べられている。カラーまで同じだ。よそのポートを見ると、色や形は違うが、並んであるものはすべて同じだ。より安価で大量生産できるものを利用していることがわかる。また、後輪上部には何やら電卓を大きくしたような機械が設置されていて、利用者を区別するための暗証番号やなにかを入力するためと思われる。その機械を搭載するのに、きっと同じ規格であることが都合よいのだろう。

 ふと思ったのは、たとえ知識を(開放された情報を見聞きすると言うのでなく、SF的なインストールの方法で)シェアする時代(*5)が来たとしても、黎明期にはこのシェアサイクルと同様な、安価なものが共有されていくのだろう。チープな赤や青をした小型の、同種の自転車が街を走るように、知識もわかりやすく色づけされて、見るからに性能の悪そうなもの(*6)が人々にシェアされていくのだ(*7)。実際にいま既に、溢れかえる情報のなかで人々は、わかりやすいものを自ら選んで画一化していっている。言葉の多層性を知らないままに、流れていく情報に乗っかっている。そのことによる閉鎖や危険性を知らないはずもないだろう。

 知識や何やが画一化される前に、独自に、知の体系と呼べるようなものを拵えておかなければならない。オリジナルや個性と言ってしまえばチープに取られるかもしれないが(*8)、その所在や経過を、理解とは違う何かしらかで感覚しておかなければならない。そのためにこれを書いている。公的な地図を一度漂白して、子どもが自由帳に描くいたずらな冒険図を、ぼくも思い描かなくてはならないのだ。いつ訪れるか知れない頑強な帝国の進撃に備えて、シェルターを拵えておかなくてはならないのだ。象牙の塔が必要となる時代がすぐそこにやってきている。いや、もう既にずいぶんと暗雲に立ち込められている。急がなくてはいけない。雨はもう降り出してしまっている(*9)。

 

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*1:ぼくは次回の東京オリンピックに嫌な予感を覚えてならない。いよいよテロが日本に進出して来る良い(?)タイミングのように思われるし、経済だとかなんだとかはオリンピック以降に転げ坂を真っすぐに進んでいくように思われて仕方がないのだ(根拠レス)。だから、開催時期には東京から離れておこうとは思っている。だからと言って、どこへ行こう。

 

*2:このアニメを知ったきっかけは大学生当時によく見ていたニコ生だ。「化粧放送」で有名になったケミキラのアキラの方が、この主題歌を唄うか何かしていた。彼女たちのミラーダンスが好きだった。

 

*3:中学生のときに一度観たきりでしっかりとは覚えていないが、たしかネオが獲得する格闘術は東洋のカンフーか何かだったと思う。西洋科学の最先端から護身する術が東洋にあるという図式なのかなと、今さらながら書いていて気がついた。まあ、既に言い尽されていることなのだろうけれど。

 

*4:「知」にするか「血」にするかを迷っていた。ふたつは「ち」を思った時にほとんど同時に浮かび、まあ、どちらも横断できるかなとも考えていた。が、結局「血」については書けそうにもないので次回へ譲る。

 

*5:知識のSF的インストール方法が叶ったのならば、それ以前の知識や身体的記憶との齟齬や違和感はどうなるのだろう。デスクトップに新たなフォルダがコピペされるようにして、はっきりと別枠として取り入れられるのか、それともOSやファイル形式の問題で正常に開かれなかったりするのか(*A)。そんなことは考えてみてもわからないが(*B)。

 

*6:とはいえど、ぼくの乗っているママチャリよりかは性能も漕ぎ心地もすこぶる良いに違いない。

 

*7:シェアの時代だと謳ったところで、粗悪なものが出回ったのではなんのためのシェアだろうか。皆が同じものを同一方向から眺めて論じあうことに面白味はあるだろうか(論じあうという表現は間違っているな。なんと言えばいいだろう。同一方向から眺めてキャッキャする、か?)。それとも、そこに質や面白味は求められていないのだろうか。シェア、共有、共感、そういった言葉がよく聞かれるし、求められているらしい。なんだかぼくの思うそういった概念と、世間とでは少しく食い違っているらしい。

 おそらく、利便性というものを多くの人は第一に求めているのだろう。時短で、節約できて、煩わしくないということが。それは決して悪いことではない。けれども、そこで獲得した時間やお金を何に使っているかと言えば、ただただ指をフリックすることだけに費やしているではないか。せっかく手に入れたものが、暇として潰されていっているではないか。もう、ぼくには何がなんだかわけがわからない。

 

*8:この身体の機制で以ってさまざまな環境を過ごした経験がある時点でオリジナルだ。語り、創りだす内容より以前の、発露される過程の方にそれはある。

 

*9:雨による災害が続いている。そういったことも含めて、暗い予感ばかりがちらつくのかもしれない。何年も前に、S君の誕生日プレゼントのために買ったMoMAの有名な傘は、内側に青空を描いている。その意味が、なんだか晴れやかなものとは思われなくなってきた。

 

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*A:などとPC用語を書いてみたが、まったく詳しくない。使い方が正しいかどうかもしらない。ぼくはもうずいぶんと長い間、便利で謎な機械を使っているのだ。

 

*B:このように、物事を他のものに置き代えて考える擬態の仕方は面白い。代替する対象に自らを接近させ、変容させていくことで新たな視野を獲得できる。それによって理解を早めることもできるが、、、いや、言いたいことがさっぱりわからなくなってきた。

    2017年7月23日(日)