ね①:根

 先週から、日曜日には目黒の植物教育園を散策する時間を設けた。今日で二度目だ。散策と言っても、滞在時間のうち八割は水生植物園付近のベンチで寝転がっているだけだ。と書いて、「ね①:寝る」にしておけばどれだけ楽に書けただろうかと後悔している。

「と①:トーキングヘッズ」でも触れたが、根を失った一輪挿しのようなぼくたちだ。だからその根を求めてうろうろと彷徨しているのだろうし、それは見つかりっこないだろうとも思っている。すると、だからこそ今度は自らが根となって、次代を育んでいくのかもしれない。

 水生植物園の、東屋付近のベンチに寝転がりながら、こぶし(*1)の古木が大きく弧を描き、枝の突端が地上の間際にまで迫っているのを観ていた。それはまさにアーチ橋だった。そうして目を見張ったのは、その橋の上に、短く小さな新緑が空方へ伸びはじめていることだった。いや、別段に不思議なことはない。単に幹から新しい枝が生えているだけなのだが、ぼくには妙に美しく思われた。それは新緑と、太い古木を覆うモスグリーンとの対比のためである。くわえて、アーチ橋の袂にではなく、橋の真ん中に建築が成っているように思われたためでもある。

 これらは幹と枝ではあるが、新たなものが根付くという意味で、ぼくには土壌と根のように映った。思えば、幹、枝、根という風に区切って見るのは人間の勝手な都合で、全部が幹だし、茎だし、枝だし、根であるとも言える。そんなことはいい。要は、橋の真ん中に建築があったというのが面白かったのだ。そんな街はないのだろうか。あくまでも橋で、その上に町があるような。祭りの出店ならば叶うだろう。いや、安全性から言って無理なのかもしれない。

 なにが言いたいのか分からなくなってきた。

「根」だ。つまり、切断された根を探すのではなく、ぼく自身が根になるということ。あの古木のこぶしのように、新たな土壌となり、根となること。その上に、新たな枝と街を芽吹かせるような(*2)。

 気分転換、頭を空っぽにするために行った植物教育園で、まさかの拾いものだ。どこに何が落ちているか知れない。そのことが面白い。

 

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*1:「こぶし」はモクレン科らしい。学名が「Magnolia Kobus」で、英名でも「Kobushi magnolia」とこぶしの名前がそのまま使われている。このマグノリアで思いだすのはHiatus Kaiyoteの『Mobius Streak』だ。この歌詞にマグノリアが出てくる。名曲。ファーストアルバムの一曲目。これに完全にやられてしまった。

 

*2:枝は幹からの脱線だ。逸脱だ。そうして話に花を咲かせるのも、脱線の限りを尽くした先で開くのだ。この身体を中心に、脱線の限りを尽くせば、それは叶うかもしれない。

 

       2017年7月30日(日)