ま①:間(*1)

「間」という言葉を知ったのはダウンタウンの口からだろう。

 などと書きながら「魔王」であるぼくを意識しはじめているから厄介だ(*2)。だから酒は良くない。いまは月曜日の朝。昨夜の早くからウイスキーを飲みすすめ、記憶なく朝が訪れた。ママチャリのペダルを重く漕いでいると、朝が嘘をついていた。ファミレスで雑炊を食べおえて、すこしリラックスした状態でUAの『甘い運命』を聴きながら、ぼくは魔王のことを思っている。魔が差しているのだ。

「魔が差した」と過去形で語られることは多々あれど、「差している」と現在進行形をとるのは珍しいのではないだろうか。一般的に、魔が差すことは悪いだろうから、魔に差されていることを知ればそれを払いのけるのが通例だろう。ぼくは今、確信犯的に、魔に差されている。それを受けいれ、魔を愛しはじめてすらいる。

 魔とは何だろうか。頭に「悪」が付くとサトゥルヌスとなるが、彼は意想外に良い奴だ。ぼくを自害させないために、彼みずからが死の淵に立って、ぼくへ「そのままだと君は死んじゃうよ」と警告してくれたのだから。その意味でも、ぼくたちに魔を差すのは天使の方だ。

 天使は、大抵が愛らしい顔貌でぼくたちに近づいてくる。ファイナルファンタジートンベリみたいに、包丁でぼくたちの脇腹を一突きだ。連中には気をつけなくてはならないよ。

 甘い囁きは蛇の舌の上だ。

 ぼくたちに悪魔と天使の区別が出来たならば、人生はどれほど楽で、退屈だろうか。

 彼らは互いに顔を交換したり、交換しなかったりするから、ぼくたちは余計に困惑してしまう。すると彼らは共犯してぼくたちをかどわかしているのだろうか。それでぼくたちはすっかりのぼせあがってしまって、足を滑らせてタイルに頭をぶつける始末だ。鉄の香りがたちあがる(*3)。

「魔法」というものがある。談志に言わせればイリュージョンというやつだ。ぼくがメラと叫べばファミレスの机は燃えて、ケアルと囁けば火傷が癒える。論理的トリックを逸脱しているから魔法は魔法たりえている。

 それならば、ぼくたちが愛を叫ぶことにも何かしらかの魔法が働いているのだろうか(*4)。それとも、これもミームの仕業と誰かが言うだろうか(*5)。

 魔法を使えるのならば何を唱える(*6)。

 魔に差されるべくして生まれている。魔に身を捧げている(*7)。それならいっそのことこの頭を(*8)。とぐろを巻いたこの脳みそを(*9)。

 

―――

 

*1:魔。

 

*2:間へ魔に入られたのだ。

 

*3:眩暈のなかで。

 

*4:恋にのぼせあがる若者がせっせと緞帳をあげている。

 

*5:世界は魔惑的に。

 

*6:魔法を使えるならば何と唱える?

 

*7:信心深く。

 

*8:クレーの天使がうつむいている。

 

*9:ぼくは魔に差されて。

 

   2017年8月7日(月)