や①:やるせない

 漢字であれば「遣る瀬無い」となる。ぼくはこの意味を、舟を漕いでいて、どこにも舟を停められるような、そうして足をつけられて陸地にまで辿り着くことのできる、水深の浅い瀬が見当たらない様子から、「どうにもできない」思いと捉えていた。遣る瀬が見当たらずに遠くの方で波に揺られるままの情景が思い浮かぶ

 もともとこの言葉の語感、リズムが好きだった(*1)のだが、その意味や由来までは深く考えたことがなかった(*2)。この「や①」の項目を書くにあたって、それではちゃんと調べてみようと辞書を引き、ネットで調べたりしたことをまとめてみる。

 結果として「どうにもできない」という意味合いに違いはなかった。そこへ至るまでにぼくの方で少しの勘違いがあった。

「遣る」①物や人を遠くへ移動させる。

     ⑶物を先に進める。また、移動させる。

     ⑹心にかかることを払いのける。晴らす。

「瀬」①川の水が浅く人が歩いて渡れる所。あさせ。

   ②川の流れの速い所。はやせ。

   ③海流の流れ。潮流。

   ④置かれている立場。

   ⑤機会。機縁。場合。

   ⑥そのところ。その点。

「やるせない」①思いを晴らすことができずせつない。

       ②施すべき手段がない。どうしようもない。

    (weblio辞書「三省堂 大辞林」より)

「遣る」の言葉へ既に「思いを晴らす」という意味が含まれていて、「瀬」にも「立場、機会、そのところ」という意味があった。つまり「遣る瀬無い」は「思いを晴らすところが無い、どうしようもない」という語釈となる。なるほど。

 けれどもなんだか妙だ。いや結果としては、ぼくの考えていたものと辞書による説明とは大差ないのだけれども、このようにして言葉を分解してみると、なんだか味気ない。思いを晴らすことのできる場所がなくってどうしようもない、ではなんだかイメージが違うのだ。

 はじめに書いたように、遣る瀬の無さは、停泊できないままに舟で揺蕩っている情景なのだ。辞書では、どうにも直接的な説明すぎて野暮ったい。ここでの「遣る」は①⑶の「物を先に進める。また、移動させる」であって、舟を漕いで進むという単純な意味だ。「瀬」もまた水深の浅いところという単純な瀬だ。その単純な二つが組み合わさることで、しかし詩的な情景を思い浮かべることができるのだ。それが味というやつであって、だから「遣る瀬無い」は「遣る瀬無い」で充分なのだ。「遣る」や「瀬」に様々な意味合いをつけたり、隠喩的に用いたりせずとも、詩的情景は立ちあがるのだ(*3)。

 いや、もしかすると「瀬」は②「川の流れの速い所」として用いられているのかもしれない。だから「遣る瀬無い」は、「急流に浮かべて遠くへ払いのけることができない思い」となって、どうしようもできないという意味なのか。早瀬に遣れない思い。

・・・もうわけがわからなくなってきた。まあどちらにせ、どうしようもない感じなのはわかる。

 文字を空費してしまったような気がする(*4)。

 

―――

 

*1:いまはちっとも見かけないコンビ「やるせなす」のことも同時に思いだす。もしかすると、やるせないという言葉は彼らのコンビ名から知ったのかもしれない。言い心地の良いコンビ名だ。

 

*2:この言葉に限らず多くがそうだ。いちいち辞書を引くわけでもない。生活していて見聞きしたものをなんとなく受け取る。買ったばかりのゲームを説明書も読まないままに感覚と経験でプレイするのと同じだ。案外に、滞りもなく生活もゲームも進められる。しかし、それによって単純なコマンドを知らずに無駄なプレイを続けてしまったり、言葉が時代に流れていくこともあるから、辞書を引く、説明書を読むというのは、まあ大事ではある。

 

*3:どうやらぼくは逆ギレという状態に入っている。自ずから調べておいて「これは違う」とは何て身勝手だろうか。違うことはない。辞書はそういうもんだし。

 

*4:言葉の意味と立ちあがる情景とは少し違うということを書けただけでも良かったか。

 

   2017年8月12日(土)