わ①:忘れ物

 小学生のころ、日の暮れはじめに忘れ物を取りにもどった冷ややかな下駄箱や廊下や教室には、秘密めいた何事かが潜んで蠢いているように思われた。それは学校の怪談にある類の事を彷彿させるからかもしれない。あるいは生徒たちのはしゃぐ声が、この耳に届かない程度で、未だに残響しているためだったろうか。しんと静まりかえった空間を、自然と足音を忍ばせて進み、教室の引き出しやロッカーから忘れ物を取りだして、急ぎ足で帰路についた。

「放課後」という言葉のもつエロティーク(*1)は廃墟と同様だろうと思う。かつては人で溢れかえった活況の場所の、人々が去ったあとの静けさが、怪談と猥褻の主舞台となる。

 人目がなくなるというのは余白が生み出されることに近い。誰も観ていない、誰も知らない余白があるからこそ、そこへ想像を馳せることができる。しかし、これは放課後や廃墟を外部から観ている者の話だ。

 一度だけ、休園中の西武遊園地へ入ったことがある。休園といっても、アトラクションが稼働されていないだけで、園内は人々に解放されている。しかし、それでも廃墟さながらに閑散としていた。メリーゴーランドの馬は虚ろな目を空方へ向けたまま静止していて、営業中ならば豪奢に着飾っているだろう「メルヘンタウン」の装飾はすっかり色をなくして佇んでいた。ここで遊んでいた子供や大人が、今ごろは別の場所ではしゃいだりなどしていること、休止中のアトラクションがこうして息を潜めているのを考えもしていないだろうことを思って、ぼくは妙な高揚を覚えていた。

 これは放課後の教室での秘め事に近いだろうと思う。人々の頭のなかに立ちあがらない、覆い隠されたような、裂け目のような空間での悪戯事なのだ。これを孔隙と呼んでもいいかもしれない。VUG(*2)だ。

 ぼくたちは、とりわけ男子はこのような場所を秘密基地として持っていた。山のなかや、草の鬱蒼とする空地や、机の下などに。女子はドールハウスなどがその役割を果たしていたのだろうか。そうして年を経るごとにそのことを忘れていくのだが、それはおそらく社会というものに覆われていくためだろう。忘れるというよりも、覆い隠されてしまう、書き換えられてしまう記憶や場所が、しかし感覚を凝らせばみえてくるものだ。休園日の西武遊園地や放課後の教室は、社会のつくる壁をすり抜けた先の、自由や想像に触れられる空間だ。

 忘れ物はそのような孔隙の空間にある。

 

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*1:高校にもなると、放課後の教室などは彼や彼女の秘め事の場所となる。当時、思いを寄せていた学年のマドンナが教室で彼氏と睦まじいことをしていた、という話を又聞きした。大胆なことをするものだなア、本当にそんなことがあるんだなアと、感心と嫉妬とその他諸々の感情が湧きあがっていた。

 

*2:地質学、石油学の用語で、岩石中に含まれる空洞のことを言う。バグ(BUG)を調べているときにこの言葉を知って、BUGとVUGに通じるものに興奮した。もしかすると「ば①」で書くかもしれない。いまのところ「バス」か「バグ」にするかを決めかねている。

 

    2017年8月20日(日)