キャンプ日記 9月9~10日

 9日の土曜日午前、友人S君に誘われて、数年ぶりの野外音楽イベントへ向けて部屋を出る。午前十時半に東急武蔵小杉駅前で待ち合わせ。S君にピックアップしてもらうことになっている。乗る機会のすっかり減った東横線各駅停車は乗客も少ない。向かいに腰掛けたファミリーの子供らがはしゃいでいて微笑ましい。
 集合場所にすこし早く着いたため、用足しを済ませにコンビニへ立ち寄る。そのついでに軽食と、S君とは別にもう一人参加するF君のために祝儀袋を買う。F君とは、六、七年前にS君の住んでいた京都へ行った際に初めて顔を合わせて以来だ。彼の近況は時折りS君から聞いていたために、ぼくの方ではたった一度きりの間柄ではないように感じていて、それで彼が今年結婚式を催したばかりということも知っていて、僅かでもお祝いしようと思ったのだ。披露宴へ持参する類の大きな祝儀袋では中身と折り合いがつかないように思って、婆ちゃんが孫に小遣いを与えるときのポチ袋のような小さなものを買ってコンビニを出た。
 しばらくしてS君が車でやって来た。荷物をトランクへ積むと助手席に座り、ふたりでF君の到着を待った。待ち合わせ時刻から遅れること十分。F君がやって来た。こんなような顔貌だったろうかと訝しみながら、しかし違いなくF君なのだから自分の記憶の曖昧さなどどうでもいいかと、遅刻した彼に軽い罵倒を浴びせて車は発進した。
 車中ではF君の新婚生活の話や音楽の話をする。S君はクラシックギターを、F君はバイオリンを演るため、大半はクラシック音楽の話題で、ぼくは聞き慣れない人名や曲名を右から左へ流すなどしていた。ぼくが話に加わるのは、クラシックに関するちょっとした質問で二人の会話を途切れさせたり、そこから脱線させた中身のない話で笑わせたりするくらいなものだった。けれども、ぼくの方ではそれがちっとも退屈でなく、窮屈でもなく、ひさしぶりな休日を謳歌しているような気がして、上等な車の乗り心地にも酔い痴れて、ずいぶんと良い心持ちでいられた。
 車は渋滞する東名高速をのろのろと進んでいく。キャンピングカーと並走し、労働と休日のことなどを考える。車内にはクラシックやポップスが代わる代わる流れ、怠惰な時間が過ぎていくと、車は海老名ジャンクションを大きく右に折れて中央高速へと入る。S君が言うには新しい高速道らしい。走る車は少なく、アクセルが強く、けれどもスムーズに踏まれて加速する。カーナビに点灯する現在地点の矢印が表示される道を反れていき、川の上を、広大な山中を、道なき道をひたすらに進んでいく。ナビ画面上では車が夜空あたりをフライトしているように錯視される。ちょうど流れていた石野卓球の『Cruise』がその感を一層に強めていた。
 この目に違いなく刺激されている眼前の一本道が、抽象された地図空間上では変容されている。抽象が現実に後れをとっているその誤差がフロントガラスとナビ上に対置されているのだ。ぼくたちの頭の中で刻一刻と改変され、編集されていく知的な空間は、現実と相対したときにその脆弱と遅速を露呈させる。だからこそぼくは観念のうちに逃げ込むのだろうとも思う。ただそこにまざまざと在って白刃を突きつける現実から逃れるために、ぼくは象牙の塔をあくせくと拵えるのだ。景色が後方へ流れて見えなくなる。
 しかし、地図にない場所というのはどうしてこうもロマンを掻き立てるのだろう。前人未到の彼岸がそこに垣間見られるためか。エクスタシーにも似た高揚をぼくはナビの上にぼんやりと眺めていた。そうして出来うるならば、時速制限など吹っ切ってしまって、現実よりも早いスピードで、ぼくはぼくの蜃気楼を頑強に、しかし曖昧なままで築きあげていかなくてはならない。そのようなことを考えていた。
 中央高速を下りる頃には、周囲はすっかり緑に囲まれていた。民家は距離をおいて点在し、そのあいだを田畑やなだらかな丘や鎮守の森が埋めていた。
 キャンプ場に一番近いだろうスーパーマーケットで一泊分の食材とアルコールを調達し、ナビを確認すると目的地まではあと三十分ほどだった。道はそこから次第に細まりはじめ、大きく蛇行するかと思えば、すぐにくねくねとうねりだす。対向車線からはツーリングバイクが幾台もやってきて、渡り鳥の組んだ隊列のような自転車連を追い越していく。丹沢山地の奥へと分け入っていきながら、よくぞこんな場所へ道を敷いたものだと先人の苦労に感服した。バイクもチャリもぼくたちもそのような人工めいて自然めく風のある土地を疾走していく。幾つかのキャンプ場の看板を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいくうちに、ようやくお目当ての看板が見えた。
 コカ・コーラの真っ赤な広告が載る立派な板状看板には「大渡キャンプ場↓入口」と印字されており、緑のうちにあって存在が映えている。その看板の隣にもうひとつ、手造り感の溢れる、青いペンキの剥がれかかった大きな柱状の看板がどしんと置かれている。白いペンキででかでかと書かれた「大渡キャンプ場」もけして上手な字ではないし、すっかり汚れてしまっていたけれど、そのお手製の看板を見る方がワクワクした。きっとフラットな記号や色彩を施したものより以上に、素直な童心を刺激するのは、手汗の香りを直に感じられるような類のモノなのだろう。
 看板の矢印にしたがって車が左に折れると、道はすぐにアスファルトから砂利に変わる。川の流れによって深く削られた急傾斜が長く続き、ガードレールもなく右に左に折れるため、ちょっとしたジェットコースターに乗っているような気分でぼくは吊り手をきつく握りしめたままでいた。上下左右に身体を揺らせながら、S君が「四駆が欲しいなあ」と零していた。高低差百メートルほどの体感のあと、ようやく入り口の管理小屋があらわれた。スタッフにイベントチケットを手渡し、不十分な説明を聞いて小さな駐車場へ車を停める。トランクからテント、チェアー三脚と簡易テーブル、アルコールや肴の入った保冷バッグだけをとりあえず取り出し、宿営地へ向かった。
 キャンプ場は素晴らしいロケーションだった。ちろちろと水の流れる川を不安げな木造りの橋で越えていき、ぼくたちがテントを張ったのは中州のような場所の端っこだった。中州はフットサルコートを四面も取れないいくらいの広さだったが、すぐ目先には綺麗に澄んだ道志川が流れている。チェアとテーブルだけを用意して、三人で缶ビールを開けて乾杯する。腰を落ち着けて辺りを見回す。渓流のうちに点々と巨岩が置かれていて、水しぶきが方々へ散っている。涼を感じながら、宿営地すぐ横の石段から沢へ降りて水の冷たさへ触れる。裸足になって水切りし、顔を洗い、一段落してようやくテントを張りはじめる。周囲に他の客はまだまだ少なく、三人で絶好の場所を確保できたなあと喜びあった。
 しばらくしていると遠くから重低音が響きだす。キャンプ場自体はそれほど大きくないけれど、音楽は川を挟んだ場所で鳴らされるためにちっともうるさくない。遠くで上がる花火を自宅のベランダから望むような、そんな贅沢な距離と空間だ。
 移動やテント設営で疲れたぼくたちはそこから動かないまま数時間をうだうだと飲み食いした。買ってきた鯖寿司を食べ終えると、F君がアボカドを切り、マグロの刺身と和えてくれた。アボカドはあまり好きではなかったけれど、この時に食べたものはとても美味しかった。これもキャンプの魔法だったろうか。
 三人がテーブルやテント内で思い思いに過ごしていると日が翳りはじめて少し肌寒くなった。いや、肌寒くなった後に日の陰りを知ったかもしれない。方々からペグを打ち込む音が響き、その隙間を縫うようにして、ひぐらしの鳴くのが幽かに聞こえもれる。カラフルに軒を並べるテントのひとつに早々とランタンが灯った。別の場所では焚き木から薄白い煙が末広がるように立ちあがっていく。火が香り、手の甲で小蝿の翅を休ませる。悠長に手や足を洗ってばかりいる蝿の可愛さをはじめて知った。
 S君とF君との顔の輪郭が蒼い夕闇にまぎれはじめる頃には、ぼくはもうすっかり酔い心地で背もたれに重たく沈んでいた。眺めあげる夕空に白血球を飛ばしてみる。空間に所在なく戯れる蝿のように視る。且つ結び、且つ消えるようにして彼らは、奇妙な、法則とも連帯とも異なるような、磁力めいた秘儀で以って戯れつづけている。
 ぼくたちがようやくブース前へ踊りにいったのは果たして時刻にしてどのくらいだったろうか。野外イベントへ行く度に、定時を刻みつづける時計を煩わしく思う。「いま何時?」と尋ねると、たいていが意想外な時刻で目を丸くする。社会と身体との時差感覚がつかめないのだ。それでも、しばらくのあいだを自然のうちに居ると、時計のおおよその見当はついていくる。腹具合や、月日による精神状態を通じて、此処と社会とを繋げられるようになる。そうして、そのことをも忘れられれば、ようやくぼくは踊りに集中できるようになる。社会という観念的な、それでいて妙に現実的で厄介な時覚を振りきって、身体と環境とだけが合致してぼくが波をうっていく。
 気がつけば、ぼくはDJの鳴らす音にすっかりやられてしまって身体を振り乱していた。疲れなどはなく、むしろ日常に凝り固まった筋肉が解れていくような心地よさに身体が喜ぶ。フロア中央あたりから踊りはじめたぼくはいつの間にか最前列に長らく居座っていて、周囲には踊る人が見当たらない。肩と腰を動かす流れで振りかえると、後方で人々がツーステップを踏んでいる。中にS君やF君の表情がちらと映る。ぼくはそれでにんまりとする。
 ぼくの悪い癖であり、気に入っているところでもある。踊るならば周りの人間が引いてしまうくらい踊り呆けてやろう、と思う前に身体が勝手に踊り呆けてしまうのだ。はじめはリズムを確認するように膝が四つ打つ。それは幾分か意識的な行為だけれども、それが定着すると、ぼくが思うよりも先に腰や腕や指先や首や肩や脚が「俺も混ぜろ」と言わんばかりに動きはじめる。まずは各関節が好きに踊りたがってばらばらな動きをする。そのなかでそれぞれが或るパターンを覚えはじめると少しだけぼくが介入する。「この膝の動きと腰が連動して肩と腕へと繋げていけば最高に心地よいだろうな」と思い、その動きへ移行していく。その移行途中に、思わぬ新たな動きを予感したりなどすると、誘惑に駆られやすいぼくと身体は脇道へ寄って新しい動きを貪り尽くす。ぼくの周りに少しく広い空間が出来上がるのは、きっとぼくの異常な盛り上がりのためだ。「キメてやがるな」などと思われる人間には是非ともこう言ってやりたい。
「そんなもの必要ないんですぜ」
 身体の主導権を自分から身体の方へ譲り返すことができれば、自身は容易く踊れるものなのだ。その踊りは見世物のような鑑賞に堪えうるものではないかもしれないけれど、身体と自分とが満足できる。身体を労うように解放してやれば、鎖を外された愛玩犬のように尻尾を振ってぼくらは野原を翔けまわるのだ。そのために良い音楽とアルコールは必要だろう。けれどもドラッグは必要条件ではない。自然にその作用を働かさせる分泌物を自分のなかに持つことだ。
 と言う具合に、足元に数センチの穴が出来てしまうほどに踊るぼくがそんなことを考えていると、S君がぼくの肩を叩いて一旦テントへ戻ろうと提案してきた。ぼくは誰かのストップがかからない限り、踊りを止めるタイミングを見出せない。それで三人でテントへ戻って、夕飯をつくる作業に取りかかった。
 作業と言っても、S君の持ってきた小鍋をガスコンロへかけて、おでんをぶちこんで食べるだけだ。おでんを食べ終えると、F君が近くの製麺所直販店で購入していたラーメンを茹でて食べる。それも終えると、ほうれん草とシイタケを茹で、醤油に酢だちを絞って食べる。日本酒が美味しい。頬の紅まりに、夜の深さと人群れの温かさを知る。宵闇が間隙なくノイジーなさざ波を打って、まるで揺れるモザイクだ。薄雲の向こうに星の面影を発見する。何万光年も先に焦点が合う。焦点が合うと空は見る見るうちに満天に変わる。
 腹が落ち着いてからまた踊りに行く。またしても狂乱の時間に突入する。S君に肩を叩かれてテントへ戻る。仮眠をとって、自販機で缶ビールを買って踊りに行く。肌に触れて消える小雨が山を叩く。そうしてようやく眠りに就く。
 テントの外が白んで目が覚めた。日の出からはずいぶんと時間が経っているようだった。二人よりも早く起きると、ひとりで沢へ降りて顔を洗い、空き缶やプラコップが外に放置されたままの集落のあいだを進み、炊事場で歯を磨き、その足で音の鳴る方へ向かう。
 朝早くから十人くらいが踊っている。ぼくは後ろの方で身体を揺らすにとどめた。そうして彼らの踊るのをじっと見ていた。なんだか違和感を覚えた。音楽はカッコいい。それに合わせてツーステップをとる彼らも良い趣味をしているなあと思う。けれども、違和感を覚えた。なんだか彼らが、青空公園で気功に励む老人たちとそう変わらないように映ったのだ。ツーステップも気功も狂乱も、心身の健康のためのエクササイズ以外の何ものでもないのだろう。ぼくたちはそのために山奥へと分け入ってきた。何だかちょっと奇妙だ。何が奇妙なのだろう。ぼくたちの日常がちょっと変なのだ。そこから逃れるために非日常を求めるというのも、それも何だか奇妙で、そのバランスをとろうとして、一層に可笑しく傾いていく。その傾きを嘆くようにでもしてぼくの身体は暴れまわるのか。数時間前に、死物狂いで踊った時間がもうずいぶんと昔に感じられた。
 テントへ帰っている途中にF君が早朝の体操をしているのを見かけた。とても健康的な感じがして、F君に一声だけ掛けると、真似てぼくも伸びをしながらそのままテントへ帰っていった。
 岩に腰掛けて道志川を眺め下ろしていると、F君が珈琲を買って戻ってきた。それから二人でそれぞれの旅の話をした。F君は九州を自転車で回ったらしい。ぼくが天草へ行ってみたいというと、天草で食べた寿司が一番おいしかったと言った。たしか「蛇の目寿司」だったと思う。いずれ行かなくては。
 小一時間くらい話しこんでいると、S君が起きてきた。眠たそうな顔のまま、無言で、当然のように沢へ降りていき、顔を洗いはじめた。のそのそとした、けれども慣れたような動きがアライグマの朝の生活のように思えた。
 三人でうどん二玉を茹でて醤油だけで食べる。格別に美味いわけではなく、想像した通りの味だったけれども、いい味だった。八分目で食事を終え、もう踊るのは疲れたからと、三人で近くへ散策しにいく。渡るのに少し不安な橋の向こうへ行き、森のなかへ入る。S君の上等なカメラでたくさんを撮って、テントへ戻って撤収作業にとりかかる。午前十一時頃には車に乗って、ぼくたちは来た道を帰っていった。
 滞在時間は二十時間ほどだったか。話した一々を覚えてはいないけれど、濃厚に過ごせたように思う。いずれふとした時にこの日の光景が立ちあがるだろう。
 しばらくものを書いたり、考えたりすることからぼくが遠ざかってしまっていたのは、身体が凝り固まって、血の巡りが滞っていたからだろう。それが見事に解消されたように思う。これでようやくまた書くことをはじめられる。思考や創造に煮詰まったならば身体を動かす。とてもシンプルなことだけれども、頭と身体の使い方をまたひとつ勉強できた。

    2017年9月13日(水)