ご①:ゴッホ

 ゴッホのことをよく知っているわけではない。ゴッホの壮絶な人生や、そこから生まれた作品の幾つかを、本やテレビなどの又聞きで、断片的に覚えているくらいだった。
 数か月前の或る晩の丑三つ時に、ぼくはゴッホの目と出逢ったような気がした。
 そのときぼくは、部屋を真暗にした布団の上で、うまく眠られない時間を過ごしていた。何度も寝返りをうち、枕の位置を微調整し、トイレへ立ち、煙草を吸い、深呼吸をして、ストレッチをして、といろいろ試しはするが一向に眠られない。それならばいっそのこと起きておこうと、布団へ横になったまま天井や部屋の様子を見るともなく見ていた。以前から気になって、そうして好きでいた、暗闇のうちで発火する、白い霧雨のような視細胞の働きをそこへ見出すと、その様子をじっと見つめていた。見つめているうち、畳のうえに置いているはずの座椅子や衣服やテーブルなどは、暗闇と視細胞のノイズに紛れて輪郭を曖昧にしていき、やがて姿を隠す。まばたきをするとモノたちは再び幽かな輪郭を取り戻し、しかしまた霧消していく。それを繰り返していくうちに、ぼくは真っ直ぐに立つテーブルの脚が、ゆっくりぐにゃぐにゃと動くのを見つけた。その脚の動きはぼくがはじめて目撃するもので、輪郭が曖昧になるような類ではなく、たしかに、曲がりくねっていた。目に涙でも浮かんでいるためだろうかと手で拭ってみたが水気はない。奇妙なことが起こったぞと、ぼくは半ば興奮しはじめ、眠るという当初の目的すら忘れて、テーブルの曲がり動く脚を観察した。
 一本の脚が曲がり動くのは、どうやらぼくが見つめているためだった。つまり、目の焦点の合ったところが蠢く。それを確かめるために、隣にあるはずの座椅子のレバーを見つめると、それもやはり奇妙な動きをはじめる。間違いない。そう確信して今一度テーブルの脚に焦点を戻す。動く。そうして動きは回転であることがわかった。目と脚とのあいだに渦が巻いているかのように、一本の線がゆっくりと回転して映っていた。その箇所だけが、関節のようにわずかに膨らみ、じんわりと廻っているのだった。
 そのときに、それに似たものを以前に見たことがあるように思いかえし、すぐさまゴッホの作品が頭のなかにバンと広がった。
「そうか、ゴッホもこの渦巻きを観ていたのだ」
 そのことを直観した。急ぎスマホゴッホを検索した。頭のなかにイメージされた絵画のタイトルは知らなかったがすぐにそれは見つかり、はじめて『星月夜』というタイトルを知った。作品解説には、ゴッホの当時の精神状態が渦にあらわれている、などということが書かれていた。
「そんなはずはない。ゴッホは星月夜の暗がりのうちに、この渦巻きをたしかにその目で見つめていたのだ。そうしてそれを描いたのだ。解説なんて糞だ。結局だれもゴッホを理解していないのではないか」
と、ぼくは妙な憤りを覚えた。スマホを置いて再び渦巻きを見出し、じっとそれを見つめつづけていると、渦は次第に大きくなり、視界の半ほどだったろうか、空間が大きく渦巻いていくのを見て、ぼくは思わず目を覆った。
 眼と脳とがその渦巻きを錯視させていたことは言うまでもない。しかし、心拍数のあがったぼくはそのとき、身体のなかに居るだろう虫のことを考えていた。
 その夜に目撃した渦や世界の蠢きは、そのあと度々ぼくを襲う。川村記念美術館マーク・ロスコサイ・トゥオンブリ国立新美術館ジャコメッティ、旧芝離宮で座禅を組んで半眼に見つめた地面、大渡キャンプ場の夜の森、それらは違いなく蠢いた。
 このことを他人に話すとその人は決まって閉口する。なぜだろう。それは違いなくぼくたちの話であるのに。ぼくたちが座標を曖昧にするのとまったく同様に世界は蠢いているのに。

    2017年9月17日(日)

げ①:現在

「世も末だよね」
 喫茶店の隣に座る女たちが話していた。彼女たちがいったい何を見聞きして、そのような言葉を話したのかは終ぞ知れなかった。彼女たちは、ぼくが席に着いてテーブルの上のトレーや灰皿の位置を正しているあいだに、席を立って店を出て行ってしまった。ひとつ静かになった店内で「世も末だよね」という言葉がずっと気になったままでいた。
 それが言われはじめて早や何百年が経つだろう。「近頃の若い者は」というのと同様に、幾代も繰り返されてきた言葉なのだろう。
 けれども近頃のミサイルの雨や頻発する爆破テロのニュースなどをみると、たしかにそろそろ世も末に差し掛かった頃だろうかと不安な気分にもなってしまう。
 ミサイルの目標と到達点とのあいだに誤差がまだずいぶんとあるようだから、今すぐにでも末ということではないようだ。その余裕があるために、ネット上のホットワードはすぐにエンターテイメントの話題に置き換わっていく。店を出て行った彼女たちもきっと他の話題のなかで「世も末」という言葉を使っていたのだろうと思う。みんな、それほどには切羽詰まっていないのだ。
 ここ日本でも何が起こるかわからない。ミサイルはまだやってこないにしても、今だって九州には大型の台風が上陸している頃で、今朝早くも埼玉を震源とした地震が起こったばかりだ。昨夜には秋田かどこかに豪雨が襲ったらしい。ネットニュースには新たな殺人事件が更新されつづけている。異常なことだろうか。それとも、こういったことも昔から繰り返されてきたことだろうか。おそらく後者だろうとは思う。今が特別なわけではない。戦中戦後の方がもっとシビアな世界だったろうし、自然災害の頻度は知らないが、犯罪率はその頃よりかはずっと低下しているはずだ。
 けれども、妙に不安なのはなぜだろう。加熱する報道のために不安を掻き立てられているというのもあるだろうし、テロという新たな時代に居るということがようやく内面化されてきているのかもしれない。それは単に膨大になる情報と相対しているためか。多くの人は、きっとそのような危険や悲しい事件からは目を反らし、出来うるかぎり半径の小さな世界での幸福を享受したいに違いない。けれども、実際に人は死んでいるし、避難や逃亡が毎日どこかで行われている。
 終末思想がひさしぶりに流行した20世紀末、多くの表現が黒々とした陰鬱なものを纏っていたように思う。爛熟の時代だったのかもしれない。また、不安を無理から掻き消そうとバブルの華やかさがあったこともよく対置される。自分たちが何を思おうとも、複雑膨大なコンテクストのなかで生きざるを得ない社会において、常に不安と快楽は付きまとい、だから人は生きる。いつの時代であれ、私たちは死ぬのだ。そのことをまざまざと突きつけられている時代だ。環境や災害や事件は昔から変わりはしない。切羽詰まるかどうかだ。
 喫茶店の窓の向こう、ミサイルの雨のなかで傘を差して歩く人々が映る。

    2017年9月17日(日)

ぐ①:グループ

 たとえば学校のクラスのなかで二つのグループをつくるのに適当なワードや共通項はなんだろう。男女で分けたのでは味気も色気もない。運動部と文化部とでは帰宅部がいじけてしまう。続柄では三つ以上できてしまうし、両親・単親とではむずがゆく、性体験の有無では度が過ぎる。それではディベート形式で何かしらかのテーマのもと賛成派・反対派と分けるのはいい案かもしれない。けれども真っ二つに分かれるテーマを探すことの方がより困難か。教壇を中心に右派左派とするのではムラができそうだ。案外にグループ分けは難しい。
 誰かと誰かとのあいだに共通項を探すのは容易だろう。趣味が同じだとか、同じ出身地だとか、嫌いな料理だとか、たくさんを挙げれば共通するものは終には見つかるだろう。
 夫婦のなれそめで、世間体もあろうが、趣味が同じだったから互いに惹かれ合い、というエピソードをよく耳にする。同じ話題で二人して盛りあがることができるというのは重要なことなのだ。そのあとになって、共通するものは趣味から幸福な人生を共に送るという目的に変わるのだろう。
 目的を同じくしたグループを街なかに探すと、たくさんいる。通りを横へ広がって歩く学生たちは、笑える楽しい時間を過ごすという目的を同じくしているだろうし、林立するオフィスビルは利益獲得や社会への還元といった目的だろうし、街頭演説は政治としてのグループだ。というように娯楽と経済と政治と大まかに分けてみると、しかしそれらのあいだでもワードをひとつ与えると紐帯はいったん解かれて組み替えられてもいく。好きなアイドルというテーマであれば予想外に彼と彼とが手を組むかもしれない。という具合に。政治的にAかつ好きなアイドルは甲かつ中華料理が苦手という条件で出来あがるグループはきっとものすごい結束力を持つだろう。そうしてそのような同胞を人は求めているだろうと思う。
 グループのなかに居ると楽だ。絆などという言葉が可視化されてそこにあるから安心する。死ぬことを考えなくて済む。どうやって楽しもうかと考えられる。しかしそのように俯瞰すると、グループ形成が孤独とのネガポジだということが知れて一層に孤独を深める。深めつづけ、それすらを肯定できるようになれば、世界の見え方が変わる。簡単に千切れて散り散りになるような表層的な繋がりではなく、変幻自在な共通項を持つことができる。しかし扱い方には気をつけなくてはならない。自分という一個体すらもバラバラに分裂していくから。容易く分裂していくのだよ。
 
    2017年8月27日(日)

ぎ①:擬人

 点の三つある図像が人や獣の顔のように錯視されるのをシミュラクラ現象と呼ぶ。両眼と口、もしくは鼻の逆三角形をつくる三点というのが肝らしいけれども、漫画的デフォルメやキュビスムなどを通過した現代のぼくたちにとっては、おそらく三点も必要とならないし、両目の二点が平行に並んでいる必要もないだろう。そうすると至るところに人らしき、獣らしき、顔らしきものが散見される。
 たとえば、いまぼくは安いカフェの二階の喫煙席に座ってこれを書いていて、天井に、スクウェアな空調と排気口と、小さな丸い窪みにはめ込まれた十数個の電球を眺められる。その丸い窪みの電球のうち、空調のそばにあるたったひとつだけが光を灯していなくて、代わりにそれだけが短い紐(蛍光灯のスイッチ紐に似ているが、スイッチのためにしては手の届かないところにあるから用途は不明)をつけている。その短い紐が隣の空調の送風によって忙しなく揺れている。天井でそれだけが動いているためにいやでも注目してしまう。するとその揺れるのは涙のように映る。窪みを目と取るのが先なのかは分からないけれども、天井に涙を流す目がたったひとつ浮きあがる。そのように捉えられると、大きさのまったく異なるスクウェアな空調さえも彼の片目のようにして映り、なるほどそのような顔をした存在なのだろうと納得せざるをえなくなる。ひとり勝手に。他にも、正面には非常用扉と緑に輝く誘導灯があって、たったそれだけでも顔となる。
 いまこうして顔を探していると、やはり第一に発見されるのは目であって(大抵が右目で、それはぼくが右利きだから)、そこからもう一方の目や口や鼻やイヤリングや輪郭やなどを見つけ出していっている。シミュラクラ現象は、本能的に先ず目を見ることによってそこから情報を獲得していた脳が、類似の構図と対峙した際に錯覚的に働いて顔と捉える、というふうに説明される。けれども、そういった習性より以上に「見られている」という受動的なものをそこに感じとる。
 ひょっとすると被害妄想に連なるような捉え方かもしれないが(*1)、顔らしきものに「見られている」ことを見出し、あるいはそこに前置詞「ずっと」を付けたし、その存在が至る所に居ること、ずっと居たことを思えば、八百万の神、山川草木悉皆成仏といったアニミズムの方へ思いは至る。ポジティブに「見守られている」と捉えられれば良いのだが、そうはいかないことも多々ある(再*1)。
 人というのは、他者や外部といった客体に自身を重ね合わせることによってさまざまに思いを巡らす(*2)。ほとんど神秘と呼んでいいほどに不可解な他者や世界をなんとか理解しようとする機制がそこにはあって、それが人格化の根本にある。擬人化という比喩もそれと根を同じくする。
 シミュラクラ現象は、三点ある図像を人や獣の顔と錯視することだけれども、大袈裟に言ってしまえば、自分が世界を捉えるということ全体をすらシミュラクラ現象的錯視と呼んでしまっていいように思う。自分の体験のなかで培ってきた情報を基に、対峙する不可解な世界から任意の三点を抽出・縫合することで可視化、理解可能なものへ置換しているのだろうから。
 すると結像させるために必要な点の数が減っているのはどういうことだろうか。恣意的に世界を捉えすぎているということだろうか。なんだか自分の思考が気に食わなくなってきた。自分の手に負えないことを考えるといやになる。

―――

*1:丑三つ時、悪夢に揺り起こされた暗い部屋のなかでぼくは度々バッドな精神のままで恐怖が呼び起こされる。壁の染みや衣類のボタンやハンガーの照り返し、正体はそういった類だが、ぼくは容易く魔物に取り囲まれる。

*2:昼間には見守られていると思っていた存在が、夜にもなると今にも自分を喰い殺す存在へと変容してしまうのは、いつだって自分自身の精神状態のためだ。他人にきつく当たる原因が、他人の言動より以上に自分の精神衛生に問題があるのと同様だ。その意味で世界は違いなく自分のなかで変容している。

    2017年8月27日(日)

が①:がらくた

 酔って帰る夜道に時折りガラクタが落ちていて、酒でタガの外れた頭がそれを拾えと言う。そうして拾い集めたものが部屋に幾つかある。それらが散らかって転がっているのを眺めて、なぜこんなものをぼくは拾ってきたろうかと頭を抱える。頭を抱えるだけで別段に何をするわけではない。再び捨てに行くこともせず、かといって修理などして何かの用に供するということもなく、六畳間に放置されている。
 ネットでの拾いものも多い。頭のアンテナがふと感知した文章や画像などをスクリーンショットで保存して、それを見返すことはない。同様にブックマークや欲しいものリストが膨大になる。気になったものを身近に置いておくという意識でスクショを撮り、アクセスしやすいようにリストへ保存するその時点で、ぼくは何かしらかの安心を得ている。生活に余裕があるわけでないぼくに、それでも所有の欲求が働くため、そうしてそれを解消するため、幼いころのようにがらくたを拾い集めるようになったのだろうか。
 がらくたは抜け殻だ。人々に意味機能を消費され、吸いつくされたあとに残る外皮や骨だ。道端に捨てられているがらくたは形を持つからそのことを容易く知れる。ネットの情報は有益そうに眼を刺激するが無形である。フォルダや頭のなかに仕舞われ、堆積してがらくたとなる。
 するとぼくはすっかりがらくたに囲まれて生活をしている。畳だけでなく、この頭のなかにも多くのがらくたが堆積されたままだ。だからといって気落ちするわけではない。 
 がらくたという言葉は、対象を価値のないものと捉える人の言葉でしかなく、ゴミ屋敷に住まう人などにとっては安心や情を抱くことのできる立派な価値あるものなのだろう。百害あったとしても一利を見出すことができるのだ。産廃物の中から再利用できるものもあるから都市鉱山と言われる。貝塚の出土品から当時の暮らしぶりを研究することができる。地中深くに堆積した生物が天然資源となる。人々や時間に見過ごされるがらくたはそのようにして別の意味を醸成している。
 あらためて沢山が堆積したフォルダやリストを見ていくと、まさに地層が織り成されているところだった。上段には真新しいワードや画像があり、それに関連したものが下に連なっている。しかし関連は少しずつ薄まっていき、最下層へ着くころには懐かしい情報と出くわす。おそらくフォルダやリストに入れた当時とは違う目をもってぼくはそれと対峙している。その目を形成したのが上へ重なる情報なのであって、これを「知層」と呼べばいいじゃないかとひとり満足した。
 汚い六畳間も、散らかった頭の中も、やがてぼくに英気を養わせるために発酵を繰り返している最中だ。

    2017年8月25日(金)

キャンプ日記 9月9~10日

 9日の土曜日午前、友人S君に誘われて、数年ぶりの野外音楽イベントへ向けて部屋を出る。午前十時半に東急武蔵小杉駅前で待ち合わせ。S君にピックアップしてもらうことになっている。乗る機会のすっかり減った東横線各駅停車は乗客も少ない。向かいに腰掛けたファミリーの子供らがはしゃいでいて微笑ましい。
 集合場所にすこし早く着いたため、用足しを済ませにコンビニへ立ち寄る。そのついでに軽食と、S君とは別にもう一人参加するF君のために祝儀袋を買う。F君とは、六、七年前にS君の住んでいた京都へ行った際に初めて顔を合わせて以来だ。彼の近況は時折りS君から聞いていたために、ぼくの方ではたった一度きりの間柄ではないように感じていて、それで彼が今年結婚式を催したばかりということも知っていて、僅かでもお祝いしようと思ったのだ。披露宴へ持参する類の大きな祝儀袋では中身と折り合いがつかないように思って、婆ちゃんが孫に小遣いを与えるときのポチ袋のような小さなものを買ってコンビニを出た。
 しばらくしてS君が車でやって来た。荷物をトランクへ積むと助手席に座り、ふたりでF君の到着を待った。待ち合わせ時刻から遅れること十分。F君がやって来た。こんなような顔貌だったろうかと訝しみながら、しかし違いなくF君なのだから自分の記憶の曖昧さなどどうでもいいかと、遅刻した彼に軽い罵倒を浴びせて車は発進した。
 車中ではF君の新婚生活の話や音楽の話をする。S君はクラシックギターを、F君はバイオリンを演るため、大半はクラシック音楽の話題で、ぼくは聞き慣れない人名や曲名を右から左へ流すなどしていた。ぼくが話に加わるのは、クラシックに関するちょっとした質問で二人の会話を途切れさせたり、そこから脱線させた中身のない話で笑わせたりするくらいなものだった。けれども、ぼくの方ではそれがちっとも退屈でなく、窮屈でもなく、ひさしぶりな休日を謳歌しているような気がして、上等な車の乗り心地にも酔い痴れて、ずいぶんと良い心持ちでいられた。
 車は渋滞する東名高速をのろのろと進んでいく。キャンピングカーと並走し、労働と休日のことなどを考える。車内にはクラシックやポップスが代わる代わる流れ、怠惰な時間が過ぎていくと、車は海老名ジャンクションを大きく右に折れて中央高速へと入る。S君が言うには新しい高速道らしい。走る車は少なく、アクセルが強く、けれどもスムーズに踏まれて加速する。カーナビに点灯する現在地点の矢印が表示される道を反れていき、川の上を、広大な山中を、道なき道をひたすらに進んでいく。ナビ画面上では車が夜空あたりをフライトしているように錯視される。ちょうど流れていた石野卓球の『Cruise』がその感を一層に強めていた。
 この目に違いなく刺激されている眼前の一本道が、抽象された地図空間上では変容されている。抽象が現実に後れをとっているその誤差がフロントガラスとナビ上に対置されているのだ。ぼくたちの頭の中で刻一刻と改変され、編集されていく知的な空間は、現実と相対したときにその脆弱と遅速を露呈させる。だからこそぼくは観念のうちに逃げ込むのだろうとも思う。ただそこにまざまざと在って白刃を突きつける現実から逃れるために、ぼくは象牙の塔をあくせくと拵えるのだ。景色が後方へ流れて見えなくなる。
 しかし、地図にない場所というのはどうしてこうもロマンを掻き立てるのだろう。前人未到の彼岸がそこに垣間見られるためか。エクスタシーにも似た高揚をぼくはナビの上にぼんやりと眺めていた。そうして出来うるならば、時速制限など吹っ切ってしまって、現実よりも早いスピードで、ぼくはぼくの蜃気楼を頑強に、しかし曖昧なままで築きあげていかなくてはならない。そのようなことを考えていた。
 中央高速を下りる頃には、周囲はすっかり緑に囲まれていた。民家は距離をおいて点在し、そのあいだを田畑やなだらかな丘や鎮守の森が埋めていた。
 キャンプ場に一番近いだろうスーパーマーケットで一泊分の食材とアルコールを調達し、ナビを確認すると目的地まではあと三十分ほどだった。道はそこから次第に細まりはじめ、大きく蛇行するかと思えば、すぐにくねくねとうねりだす。対向車線からはツーリングバイクが幾台もやってきて、渡り鳥の組んだ隊列のような自転車連を追い越していく。丹沢山地の奥へと分け入っていきながら、よくぞこんな場所へ道を敷いたものだと先人の苦労に感服した。バイクもチャリもぼくたちもそのような人工めいて自然めく風のある土地を疾走していく。幾つかのキャンプ場の看板を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいくうちに、ようやくお目当ての看板が見えた。
 コカ・コーラの真っ赤な広告が載る立派な板状看板には「大渡キャンプ場↓入口」と印字されており、緑のうちにあって存在が映えている。その看板の隣にもうひとつ、手造り感の溢れる、青いペンキの剥がれかかった大きな柱状の看板がどしんと置かれている。白いペンキででかでかと書かれた「大渡キャンプ場」もけして上手な字ではないし、すっかり汚れてしまっていたけれど、そのお手製の看板を見る方がワクワクした。きっとフラットな記号や色彩を施したものより以上に、素直な童心を刺激するのは、手汗の香りを直に感じられるような類のモノなのだろう。
 看板の矢印にしたがって車が左に折れると、道はすぐにアスファルトから砂利に変わる。川の流れによって深く削られた急傾斜が長く続き、ガードレールもなく右に左に折れるため、ちょっとしたジェットコースターに乗っているような気分でぼくは吊り手をきつく握りしめたままでいた。上下左右に身体を揺らせながら、S君が「四駆が欲しいなあ」と零していた。高低差百メートルほどの体感のあと、ようやく入り口の管理小屋があらわれた。スタッフにイベントチケットを手渡し、不十分な説明を聞いて小さな駐車場へ車を停める。トランクからテント、チェアー三脚と簡易テーブル、アルコールや肴の入った保冷バッグだけをとりあえず取り出し、宿営地へ向かった。
 キャンプ場は素晴らしいロケーションだった。ちろちろと水の流れる川を不安げな木造りの橋で越えていき、ぼくたちがテントを張ったのは中州のような場所の端っこだった。中州はフットサルコートを四面も取れないいくらいの広さだったが、すぐ目先には綺麗に澄んだ道志川が流れている。チェアとテーブルだけを用意して、三人で缶ビールを開けて乾杯する。腰を落ち着けて辺りを見回す。渓流のうちに点々と巨岩が置かれていて、水しぶきが方々へ散っている。涼を感じながら、宿営地すぐ横の石段から沢へ降りて水の冷たさへ触れる。裸足になって水切りし、顔を洗い、一段落してようやくテントを張りはじめる。周囲に他の客はまだまだ少なく、三人で絶好の場所を確保できたなあと喜びあった。
 しばらくしていると遠くから重低音が響きだす。キャンプ場自体はそれほど大きくないけれど、音楽は川を挟んだ場所で鳴らされるためにちっともうるさくない。遠くで上がる花火を自宅のベランダから望むような、そんな贅沢な距離と空間だ。
 移動やテント設営で疲れたぼくたちはそこから動かないまま数時間をうだうだと飲み食いした。買ってきた鯖寿司を食べ終えると、F君がアボカドを切り、マグロの刺身と和えてくれた。アボカドはあまり好きではなかったけれど、この時に食べたものはとても美味しかった。これもキャンプの魔法だったろうか。
 三人がテーブルやテント内で思い思いに過ごしていると日が翳りはじめて少し肌寒くなった。いや、肌寒くなった後に日の陰りを知ったかもしれない。方々からペグを打ち込む音が響き、その隙間を縫うようにして、ひぐらしの鳴くのが幽かに聞こえもれる。カラフルに軒を並べるテントのひとつに早々とランタンが灯った。別の場所では焚き木から薄白い煙が末広がるように立ちあがっていく。火が香り、手の甲で小蝿の翅を休ませる。悠長に手や足を洗ってばかりいる蝿の可愛さをはじめて知った。
 S君とF君との顔の輪郭が蒼い夕闇にまぎれはじめる頃には、ぼくはもうすっかり酔い心地で背もたれに重たく沈んでいた。眺めあげる夕空に白血球を飛ばしてみる。空間に所在なく戯れる蝿のように視る。且つ結び、且つ消えるようにして彼らは、奇妙な、法則とも連帯とも異なるような、磁力めいた秘儀で以って戯れつづけている。
 ぼくたちがようやくブース前へ踊りにいったのは果たして時刻にしてどのくらいだったろうか。野外イベントへ行く度に、定時を刻みつづける時計を煩わしく思う。「いま何時?」と尋ねると、たいていが意想外な時刻で目を丸くする。社会と身体との時差感覚がつかめないのだ。それでも、しばらくのあいだを自然のうちに居ると、時計のおおよその見当はついていくる。腹具合や、月日による精神状態を通じて、此処と社会とを繋げられるようになる。そうして、そのことをも忘れられれば、ようやくぼくは踊りに集中できるようになる。社会という観念的な、それでいて妙に現実的で厄介な時覚を振りきって、身体と環境とだけが合致してぼくが波をうっていく。
 気がつけば、ぼくはDJの鳴らす音にすっかりやられてしまって身体を振り乱していた。疲れなどはなく、むしろ日常に凝り固まった筋肉が解れていくような心地よさに身体が喜ぶ。フロア中央あたりから踊りはじめたぼくはいつの間にか最前列に長らく居座っていて、周囲には踊る人が見当たらない。肩と腰を動かす流れで振りかえると、後方で人々がツーステップを踏んでいる。中にS君やF君の表情がちらと映る。ぼくはそれでにんまりとする。
 ぼくの悪い癖であり、気に入っているところでもある。踊るならば周りの人間が引いてしまうくらい踊り呆けてやろう、と思う前に身体が勝手に踊り呆けてしまうのだ。はじめはリズムを確認するように膝が四つ打つ。それは幾分か意識的な行為だけれども、それが定着すると、ぼくが思うよりも先に腰や腕や指先や首や肩や脚が「俺も混ぜろ」と言わんばかりに動きはじめる。まずは各関節が好きに踊りたがってばらばらな動きをする。そのなかでそれぞれが或るパターンを覚えはじめると少しだけぼくが介入する。「この膝の動きと腰が連動して肩と腕へと繋げていけば最高に心地よいだろうな」と思い、その動きへ移行していく。その移行途中に、思わぬ新たな動きを予感したりなどすると、誘惑に駆られやすいぼくと身体は脇道へ寄って新しい動きを貪り尽くす。ぼくの周りに少しく広い空間が出来上がるのは、きっとぼくの異常な盛り上がりのためだ。「キメてやがるな」などと思われる人間には是非ともこう言ってやりたい。
「そんなもの必要ないんですぜ」
 身体の主導権を自分から身体の方へ譲り返すことができれば、自身は容易く踊れるものなのだ。その踊りは見世物のような鑑賞に堪えうるものではないかもしれないけれど、身体と自分とが満足できる。身体を労うように解放してやれば、鎖を外された愛玩犬のように尻尾を振ってぼくらは野原を翔けまわるのだ。そのために良い音楽とアルコールは必要だろう。けれどもドラッグは必要条件ではない。自然にその作用を働かさせる分泌物を自分のなかに持つことだ。
 と言う具合に、足元に数センチの穴が出来てしまうほどに踊るぼくがそんなことを考えていると、S君がぼくの肩を叩いて一旦テントへ戻ろうと提案してきた。ぼくは誰かのストップがかからない限り、踊りを止めるタイミングを見出せない。それで三人でテントへ戻って、夕飯をつくる作業に取りかかった。
 作業と言っても、S君の持ってきた小鍋をガスコンロへかけて、おでんをぶちこんで食べるだけだ。おでんを食べ終えると、F君が近くの製麺所直販店で購入していたラーメンを茹でて食べる。それも終えると、ほうれん草とシイタケを茹で、醤油に酢だちを絞って食べる。日本酒が美味しい。頬の紅まりに、夜の深さと人群れの温かさを知る。宵闇が間隙なくノイジーなさざ波を打って、まるで揺れるモザイクだ。薄雲の向こうに星の面影を発見する。何万光年も先に焦点が合う。焦点が合うと空は見る見るうちに満天に変わる。
 腹が落ち着いてからまた踊りに行く。またしても狂乱の時間に突入する。S君に肩を叩かれてテントへ戻る。仮眠をとって、自販機で缶ビールを買って踊りに行く。肌に触れて消える小雨が山を叩く。そうしてようやく眠りに就く。
 テントの外が白んで目が覚めた。日の出からはずいぶんと時間が経っているようだった。二人よりも早く起きると、ひとりで沢へ降りて顔を洗い、空き缶やプラコップが外に放置されたままの集落のあいだを進み、炊事場で歯を磨き、その足で音の鳴る方へ向かう。
 朝早くから十人くらいが踊っている。ぼくは後ろの方で身体を揺らすにとどめた。そうして彼らの踊るのをじっと見ていた。なんだか違和感を覚えた。音楽はカッコいい。それに合わせてツーステップをとる彼らも良い趣味をしているなあと思う。けれども、違和感を覚えた。なんだか彼らが、青空公園で気功に励む老人たちとそう変わらないように映ったのだ。ツーステップも気功も狂乱も、心身の健康のためのエクササイズ以外の何ものでもないのだろう。ぼくたちはそのために山奥へと分け入ってきた。何だかちょっと奇妙だ。何が奇妙なのだろう。ぼくたちの日常がちょっと変なのだ。そこから逃れるために非日常を求めるというのも、それも何だか奇妙で、そのバランスをとろうとして、一層に可笑しく傾いていく。その傾きを嘆くようにでもしてぼくの身体は暴れまわるのか。数時間前に、死物狂いで踊った時間がもうずいぶんと昔に感じられた。
 テントへ帰っている途中にF君が早朝の体操をしているのを見かけた。とても健康的な感じがして、F君に一声だけ掛けると、真似てぼくも伸びをしながらそのままテントへ帰っていった。
 岩に腰掛けて道志川を眺め下ろしていると、F君が珈琲を買って戻ってきた。それから二人でそれぞれの旅の話をした。F君は九州を自転車で回ったらしい。ぼくが天草へ行ってみたいというと、天草で食べた寿司が一番おいしかったと言った。たしか「蛇の目寿司」だったと思う。いずれ行かなくては。
 小一時間くらい話しこんでいると、S君が起きてきた。眠たそうな顔のまま、無言で、当然のように沢へ降りていき、顔を洗いはじめた。のそのそとした、けれども慣れたような動きがアライグマの朝の生活のように思えた。
 三人でうどん二玉を茹でて醤油だけで食べる。格別に美味いわけではなく、想像した通りの味だったけれども、いい味だった。八分目で食事を終え、もう踊るのは疲れたからと、三人で近くへ散策しにいく。渡るのに少し不安な橋の向こうへ行き、森のなかへ入る。S君の上等なカメラでたくさんを撮って、テントへ戻って撤収作業にとりかかる。午前十一時頃には車に乗って、ぼくたちは来た道を帰っていった。
 滞在時間は二十時間ほどだったか。話した一々を覚えてはいないけれど、濃厚に過ごせたように思う。いずれふとした時にこの日の光景が立ちあがるだろう。
 しばらくものを書いたり、考えたりすることからぼくが遠ざかってしまっていたのは、身体が凝り固まって、血の巡りが滞っていたからだろう。それが見事に解消されたように思う。これでようやくまた書くことをはじめられる。思考や創造に煮詰まったならば身体を動かす。とてもシンプルなことだけれども、頭と身体の使い方をまたひとつ勉強できた。

    2017年9月13日(水)

渦に巻かれて遠方へ

旧友と程よく呑み交わしたあとの自室で、
やるせなく乾いた時間を貪ろうとしても、
気分は一向に晴れてゆきはしない。
どうすれば後に鎖も残さず心持よく寝入られるだろうかと思案して深める酒が、
むしろ余計に意識を深い所から呼び醒ましていく。
降雨確率0%の風も吹かない六畳間の夜に首と背中ばかりが凝り固まっていく。
疼くような重低音の記憶。
貧乏揺すりよりかはスローなテンポで爪先が踊りはじめていく。
末端から中枢へ沁みわたって、イヤホンから合図が鳴る。
「さあ」
肩甲骨が激しくうねりだして、
肘から先がいかさまな蛇の使い。
自ら魔術にはめられてゆこう
透きとおった氷原を滑落していこう
際限ない浮遊と自由落下にベクトルは狂いだし
方位磁石がようやくな正常に廻されつづける
「ようこそここへ」
声の主を知らない
胴体を突き刺す緋色の剣山
ぼくは生け花みたく
ぼくは生け花みたく
遥か遠くの眼下まで暗緑色の湖がひろがっている
拡がっていく
渡り鳥がうそぶく
「朝食の準備が整いました」
右手にナイフを持って
左手にピッチフォークをかざしている
ぼくは君を殺しかねない
ぼくは君を殺しかねないと
渡り鳥があざけて飛んだ
グレーよりは青い空方へ君が尾っぽを棚引かせていったよ
「また会ったね」
「また今度」
君と僕とはハローとグッバイを言い交わして引き金を絞った
「また会ったね」
「また今度」
氷原を転がり落ちていっている
砂丘に足をとられている
長い坂道に息を切らしている
遠くの空方に渡り鳥を見つけた
池から顔をのぞかせた亀の瞳に彼が会釈した
ぼくが笑いかける
世界は渦を巻いて
「やあ、また君かい」
また此処だ
またしても。