あ①:アーロン・ゴルドベルグ

 突然に自分なりの事典をつくろうと思った。その時に聴いていたのがアーロン・ゴルドベルグで、ちょうど「あ」からはじまるからふさわしいと考えた。

 聴いていたのは、彼がギレルモ・クレインと共作したアルバム『BIENESTAN』だ。ぼくは彼の作品をこのアルバムでしか知らない。二ヶ月くらい前に、カレー屋で店長(*1)がこのアルバムをかけていて、とんでもなく格好いいぞ、一体これは誰の演奏だと尋ね、その存在を知った。

 ジャズは好きだが、詳しいわけではない。高校時代に、父(*2)の書棚から『Waltz for Debby』を手に取って聴いてみて「ほう、なかなか洒落た音楽もあるもんだなあ」というような感想を抱いたことがある。ジャズとの出逢いはそのときだが、それからはほとんど聴くこともなかった。専らダンスミュージックを聴いていた。

 そうして昨年、店長が急にジャズにはまりだし(以前からジャズギターは好きだったそうだが)、熱っぽく語る店長のジャズ理論を意味もわからずに聞いていたぼくも、なんだか自然と好きになっていたようだ。そうしてはじめて自分で探して聴いてみようと、なんとなく「Free , Jazz」というワードでYOUTUBE検索をかけて(フリージャズというものがあることすら知らなかった昨年)、オーネット・コールマンと出逢った。もうヤバかった。酒も入っていたから夜中にひとり踊りまくってしまった。そのとき一発目に聴いたのが『Buddha Blues』だった。上裸の肌には夏の湿った熱気がまとわりついて、その気だるさと音楽とが最高に合致していて、ブッダという名を冠しているくせにアラビアンでアフリカンなサックスがぼくを異郷(*3)へ連れて行ってくれた。

 ちょうどそのタイミングで大学時代のゼミ友達との親交が再開されて、彼がジャズに詳しく、また実際にジャズピアノも演る人間で、いろいろと話を聴かせてもらった。とりあえずこれを聴いておけと彼がYouTubeで再生したキース・ジャレットの『ALL THE THINGS YOU ARE』に心はすっかり盗まれてしまった。今でもあのときのアレを聴きたいと音源を探すのだが、もう削除されてしまったらしくて見つからない。盗まれたままになってしまったから、同じ感動を追い求めて色々とジャズを聴くようになったのだろうと思う。いや、とりわけジャズに限定されるものではないけれども。

BIENESTAN』の一曲目が『ALL THE THINGS YOU ARE』だ。きっと多くのジャズファンがそうだろうと思っているのだが、聴いたことのない進行の途中に突然知った断片が聴かれると「おわ、これはあの曲の解釈だったのか云々」と驚いて前傾姿勢になるように、ぼくはこのアルバムの一曲目にやられてしまった。

 2曲目『Implacable』がカッコいい。用いられるミニマルさが大好物だ。クラブへ足しげく通っていたころに、ミニマルテクノというジャンルを知り、そこからライヒやテリー・ライリーを知った(きっとここらあたりから、ぼくのなかで「トランス」の意味することが変容していった)。この『Implacable』は、テリー・ライリーとジョン・ケイルの共作アルバム『Church Of Anthrax』に収録されている『Ides of March』のような怒涛を静かに感じられる。その静かに抑え込まれた感じが余計に狂気的でたまらない。

 このアルバムのなかで一番好きなのが『impression de bienestan』だ。もう何度リピートしたことだろう。しかし未だにその感動を言葉で言い表せないのが悔しいし、そのために特別に好きなのだろうとも思っている。いま改めて聴いているが、開始44秒に一瞬だけ鳴らされる一音が良い。たくさんを呑んだ夜遅くの帰り道に、都会の高層ビルが歪に感じられるくらい異様な存在感を持って目前に立ちあらわれる類(*4)の音楽だ。いや、ぜんぜん言い表せていないな。間違いなくこの曲のような感覚をぼくも持っているのだけれど・・・。

 

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*1:もともとギタープレイヤーだった店長にはさまざまな音楽を紹介してもらった。音楽だけでなく漫画もそうだ。榎本俊二長尾謙一郎ギャグマンガは特に素晴らしかった。

 

*2:大学進学のために実家を離れ、二十歳を過ぎたあたりから、ぼくは随分と父の影響を受けているのだなと気がつきはじめた。思い返せば、上京して初めて生で観たのはイッセー尾形の芝居だった。実家に居たころにNHKで放映されたもの(たしか『幸せ家族』だったと思う)を父と一緒に観ていたかは定かではないが、それから父は酔うと度々あのお父さんの真似をする。父の書棚にはイッセー尾形の著作が数冊並んでいて、夜の眠る前に読みふけった。

 父からは落語の話もよく聞いた。父はいつも、文楽がセリフを忘れてしまって「もう一度勉強し直してまいります」と頭を下げた最後の高座の話、それと対照的な志ん生の話をして顔を酒で赤らめていた。一度だけ新宿末広亭にも連れて行ってもらったことがある。そのときには格別なものを抱いたわけではないが、いまではぼくもすっかり落語ファンになっている。

 父は何より映画が好きで、母もそうだ(きっとこの世代はみんなそうなのだろうとも思う)。両親が良いと言った映画の幾つかはレンタルビデオ店(当時、田舎ではまだTSUTAYAがなかったはず)で借りて観ていた。夕飯時の食卓で、それを観たと報告すると、父はすこし苦い表情をして「昔の名作ももちろん良いが、同時代のものも観なくては駄目だ」とよく言っていた。そのくせ、しばらくすると酔っぱらって「それじゃあアレは観たか、なんだ、アレを知らないんじゃあ話にならんな」などと言って上機嫌に笑ったりする。ぼくはそれを馬鹿に真に受けてしまい、腹立ち紛れにDVDを借りて観る。

 そんなことの繰り返しだったが、ぼくはあまり映画を観なくなってしまった。それに、ぼくの方でも昔とは少し趣味が変わってきている。ひさしぶりに父と会って話をするときには、お互いにいつの間にか隔たったものを感じているらしい。ぼくはそのときの父の表情に老いをみてしまう。祖母にインターネットなどの新技術を説明した時の、まったくもって理解できないという困惑の表情に似ているからだろう。父はそのときには言葉少なくなって「わからない」とだけ零してグラスの酒を一口含む。

 

*3:デペイズマン。しかし既に、此処が或る異郷だということを感じている。身体と身体との狭間の、軋みの、放熱されるような、奇妙なこの場所、ぼく自身。

 

*4:きっとそれが都市なのだろうと思う。花のひらく裏で、隠蔽されたものが蠢いている。都市に生きる人間と言ってもいいかもしれない。いずれはこのことを書かなくてはいけない(*いずれ)。