う①:宇宙

 大学時代からの友人であるS君(*1)は、たとえば一緒になって酔っぱらい、心地のいい音楽を聴き呆けていると、静かに「宇宙」と独り言つ。その言葉をはじめて聴いたのは、二十歳前後の頃の彼の部屋だったか、野山の中の暮れ時だったかははっきりとは覚えていない。けれども、その突然のフレーズの真意をはかろうとS君の顔をちらり見たことを覚えている。彼は、しかしそれきり何を言うのでもなく、うっとりと空方を仰ぎ見ているだけだった。それでぼくも身体を重力にだらしなく預けて空方を仰ぎ見た。言葉を交わさない酔い心地の空間にただ音楽が流れていくのをあらためて感じていると、なんとなく、S君の言わんとしていることがわかった。いや、そのことを覚えたと言ったほうがいいのかもしれない。「ああなるほど、この感覚を宇宙と呼ぶのか」という具合に、以前からぼくも知っていて、しかし素通りしてしまっていた或る感覚が、そのときS君によって名付けれられたのだ。わけもなく心地のいい、広がりのある空間に溶けいり、紛れていくような感覚を、S君は「宇宙」と零したのだと。それはそのときのぼくの勘違いにすぎないかもしれない。彼はまったく違う世界を思っていたかもしれないし、それは当然のことだろうとも考える。けれども重要なことは、今でははっきりと、あのときの空間と時間を或る「宇宙」だったと認識しているぼくが居るということだ。

 

―――

 

*1:S君とぼくとは大学の学科は違ったが、自由選択の授業を一緒に受けたりした。民俗音楽、宇宙学を選択し、体育サッカーへ潜り、ゼミは彼の入るところへぼくも行った。宇宙学は理系学部の授業で、文系の学生が受講するのが珍しかったらしく、先生に喜ばれたのを覚えている。そのことに因るわけではないが、この頃から、ものをふらふらと学ぶことをはじめていた(*2)。民俗音楽の授業では、今まで単に聴いて喜んでいた音楽を学ぶという楽しみを知った。ゼミは他学科のものだったから内容についていけなくなって後半はほとんど欠席してしまっていたが、そこで学んだようなことが今さらになって芽生えてきている(*3)。

 十年前のS君との「宇宙」という共同体験は音楽をきっかけにしてだったが、そのトリガーはさまざまなところに散りばめられているということを知れている今だ。そうしてぼくなりのこの事典もまた或る宇宙をここへ再現しようとする試みでもある。

 

*2:ふと思い返すと、このふらふらと脇道へ入っていく学び方を習ったのは中学一年の理科の授業でだったかもしれない。担任でもあった理科教師のA先生は、初めの授業でノートの取り方を生徒に指定した。ノートの右側四分の一くらいを縦に割り、左側の広い方は授業内容や板書をするために用い、右側は先生のする関連話や無駄話などをメモするように、ということだった。妙なノートの取り方もあるものだなあと思ったが、従順なぼくは言われたとおりに右側のメモ欄を埋めていっていた。そのメモで今でも覚えていることはたった一つしかない。「思いやりは、重い槍にもなる」というようなことだ。このフレーズだけが何故いまでも覚えているのかはさっぱり分からないが、いまのぼくの一部を形成しているのは間違いなさそうなのだ。駄洒落という言葉の面白さや、自他の境界によるすれ違い(*4)など、今でも改めて考えることが多いメモだ。そうして、このノートの取り方は、注釈ばかりのこの事典とそっくりだなあとも思う。

 

*3:いつもそうだ。後悔ばかりの人生で、それならば次には後悔せずに最善を尽くせるようにと頑張ったりなどしてみるが、別のところで後悔は生まれることを止めてくれない。後悔する段になって「後悔はしないようにする」ということもなんだか奇妙な、抑圧的なことのようにも思えるし、いまだに付き合い方の難しい感情だ。なんだか後悔がぼくを生き伸ばしているようにすら思えてしまう(*5)。

 

*4:S君とは今でも時々会って飲む。彼は立派な職に就いて、趣味も楽しんでいる。彼の話すことはいちいち面白いし、勉強にもなる。ただひとつぼやけてしまっているのは、彼と一緒に宇宙を感じることがなくなってしまったことだ。おそらく、それぞれが思い描いて嘆息する宇宙観が、すこしずつ離れていっているからだろうと思う。そのことを悲しく思うのではない。「或る青春の去りし日々」というようなことをふと思う。

 

*5:注釈を際限なく付け足していきたくなる。このことも、懸命に延命するぼくの生き方に似ている。