ぐ①:グループ

 たとえば学校のクラスのなかで二つのグループをつくるのに適当なワードや共通項はなんだろう。男女で分けたのでは味気も色気もない。運動部と文化部とでは帰宅部がいじけてしまう。続柄では三つ以上できてしまうし、両親・単親とではむずがゆく、性体験の有無では度が過ぎる。それではディベート形式で何かしらかのテーマのもと賛成派・反対派と分けるのはいい案かもしれない。けれども真っ二つに分かれるテーマを探すことの方がより困難か。教壇を中心に右派左派とするのではムラができそうだ。案外にグループ分けは難しい。
 誰かと誰かとのあいだに共通項を探すのは容易だろう。趣味が同じだとか、同じ出身地だとか、嫌いな料理だとか、たくさんを挙げれば共通するものは終には見つかるだろう。
 夫婦のなれそめで、世間体もあろうが、趣味が同じだったから互いに惹かれ合い、というエピソードをよく耳にする。同じ話題で二人して盛りあがることができるというのは重要なことなのだ。そのあとになって、共通するものは趣味から幸福な人生を共に送るという目的に変わるのだろう。
 目的を同じくしたグループを街なかに探すと、たくさんいる。通りを横へ広がって歩く学生たちは、笑える楽しい時間を過ごすという目的を同じくしているだろうし、林立するオフィスビルは利益獲得や社会への還元といった目的だろうし、街頭演説は政治としてのグループだ。というように娯楽と経済と政治と大まかに分けてみると、しかしそれらのあいだでもワードをひとつ与えると紐帯はいったん解かれて組み替えられてもいく。好きなアイドルというテーマであれば予想外に彼と彼とが手を組むかもしれない。という具合に。政治的にAかつ好きなアイドルは甲かつ中華料理が苦手という条件で出来あがるグループはきっとものすごい結束力を持つだろう。そうしてそのような同胞を人は求めているだろうと思う。
 グループのなかに居ると楽だ。絆などという言葉が可視化されてそこにあるから安心する。死ぬことを考えなくて済む。どうやって楽しもうかと考えられる。しかしそのように俯瞰すると、グループ形成が孤独とのネガポジだということが知れて一層に孤独を深める。深めつづけ、それすらを肯定できるようになれば、世界の見え方が変わる。簡単に千切れて散り散りになるような表層的な繋がりではなく、変幻自在な共通項を持つことができる。しかし扱い方には気をつけなくてはならない。自分という一個体すらもバラバラに分裂していくから。容易く分裂していくのだよ。
 
    2017年8月27日(日)