あ①:アーロン・ゴルドベルグ

 突然に自分なりの事典をつくろうと思った。その時に聴いていたのがアーロン・ゴルドベルグで、ちょうど「あ」からはじまるからふさわしいと考えた。

 聴いていたのは、彼がギレルモ・クレインと共作したアルバム『BIENESTAN』だ。ぼくは彼の作品をこのアルバムでしか知らない。二ヶ月くらい前に、カレー屋で店長(*1)がこのアルバムをかけていて、とんでもなく格好いいぞ、一体これは誰の演奏だと尋ね、その存在を知った。

 ジャズは好きだが、詳しいわけではない。高校時代に、父(*2)の書棚から『Waltz for Debby』を手に取って聴いてみて「ほう、なかなか洒落た音楽もあるもんだなあ」というような感想を抱いたことがある。ジャズとの出逢いはそのときだが、それからはほとんど聴くこともなかった。専らダンスミュージックを聴いていた。

 そうして昨年、店長が急にジャズにはまりだし(以前からジャズギターは好きだったそうだが)、熱っぽく語る店長のジャズ理論を意味もわからずに聞いていたぼくも、なんだか自然と好きになっていたようだ。そうしてはじめて自分で探して聴いてみようと、なんとなく「Free , Jazz」というワードでYOUTUBE検索をかけて(フリージャズというものがあることすら知らなかった昨年)、オーネット・コールマンと出逢った。もうヤバかった。酒も入っていたから夜中にひとり踊りまくってしまった。そのとき一発目に聴いたのが『Buddha Blues』だった。上裸の肌には夏の湿った熱気がまとわりついて、その気だるさと音楽とが最高に合致していて、ブッダという名を冠しているくせにアラビアンでアフリカンなサックスがぼくを異郷(*3)へ連れて行ってくれた。

 ちょうどそのタイミングで大学時代のゼミ友達との親交が再開されて、彼がジャズに詳しく、また実際にジャズピアノも演る人間で、いろいろと話を聴かせてもらった。とりあえずこれを聴いておけと彼がYouTubeで再生したキース・ジャレットの『ALL THE THINGS YOU ARE』に心はすっかり盗まれてしまった。今でもあのときのアレを聴きたいと音源を探すのだが、もう削除されてしまったらしくて見つからない。盗まれたままになってしまったから、同じ感動を追い求めて色々とジャズを聴くようになったのだろうと思う。いや、とりわけジャズに限定されるものではないけれども。

BIENESTAN』の一曲目が『ALL THE THINGS YOU ARE』だ。きっと多くのジャズファンがそうだろうと思っているのだが、聴いたことのない進行の途中に突然知った断片が聴かれると「おわ、これはあの曲の解釈だったのか云々」と驚いて前傾姿勢になるように、ぼくはこのアルバムの一曲目にやられてしまった。

 2曲目『Implacable』がカッコいい。用いられるミニマルさが大好物だ。クラブへ足しげく通っていたころに、ミニマルテクノというジャンルを知り、そこからライヒやテリー・ライリーを知った(きっとここらあたりから、ぼくのなかで「トランス」の意味することが変容していった)。この『Implacable』は、テリー・ライリーとジョン・ケイルの共作アルバム『Church Of Anthrax』に収録されている『Ides of March』のような怒涛を静かに感じられる。その静かに抑え込まれた感じが余計に狂気的でたまらない。

 このアルバムのなかで一番好きなのが『impression de bienestan』だ。もう何度リピートしたことだろう。しかし未だにその感動を言葉で言い表せないのが悔しいし、そのために特別に好きなのだろうとも思っている。いま改めて聴いているが、開始44秒に一瞬だけ鳴らされる一音が良い。たくさんを呑んだ夜遅くの帰り道に、都会の高層ビルが歪に感じられるくらい異様な存在感を持って目前に立ちあらわれる類(*4)の音楽だ。いや、ぜんぜん言い表せていないな。間違いなくこの曲のような感覚をぼくも持っているのだけれど・・・。

 

―――

 

*1:もともとギタープレイヤーだった店長にはさまざまな音楽を紹介してもらった。音楽だけでなく漫画もそうだ。榎本俊二長尾謙一郎ギャグマンガは特に素晴らしかった。

 

*2:大学進学のために実家を離れ、二十歳を過ぎたあたりから、ぼくは随分と父の影響を受けているのだなと気がつきはじめた。思い返せば、上京して初めて生で観たのはイッセー尾形の芝居だった。実家に居たころにNHKで放映されたもの(たしか『幸せ家族』だったと思う)を父と一緒に観ていたかは定かではないが、それから父は酔うと度々あのお父さんの真似をする。父の書棚にはイッセー尾形の著作が数冊並んでいて、夜の眠る前に読みふけった。

 父からは落語の話もよく聞いた。父はいつも、文楽がセリフを忘れてしまって「もう一度勉強し直してまいります」と頭を下げた最後の高座の話、それと対照的な志ん生の話をして顔を酒で赤らめていた。一度だけ新宿末広亭にも連れて行ってもらったことがある。そのときには格別なものを抱いたわけではないが、いまではぼくもすっかり落語ファンになっている。

 父は何より映画が好きで、母もそうだ(きっとこの世代はみんなそうなのだろうとも思う)。両親が良いと言った映画の幾つかはレンタルビデオ店(当時、田舎ではまだTSUTAYAがなかったはず)で借りて観ていた。夕飯時の食卓で、それを観たと報告すると、父はすこし苦い表情をして「昔の名作ももちろん良いが、同時代のものも観なくては駄目だ」とよく言っていた。そのくせ、しばらくすると酔っぱらって「それじゃあアレは観たか、なんだ、アレを知らないんじゃあ話にならんな」などと言って上機嫌に笑ったりする。ぼくはそれを馬鹿に真に受けてしまい、腹立ち紛れにDVDを借りて観る。

 そんなことの繰り返しだったが、ぼくはあまり映画を観なくなってしまった。それに、ぼくの方でも昔とは少し趣味が変わってきている。ひさしぶりに父と会って話をするときには、お互いにいつの間にか隔たったものを感じているらしい。ぼくはそのときの父の表情に老いをみてしまう。祖母にインターネットなどの新技術を説明した時の、まったくもって理解できないという困惑の表情に似ているからだろう。父はそのときには言葉少なくなって「わからない」とだけ零してグラスの酒を一口含む。

 

*3:デペイズマン。しかし既に、此処が或る異郷だということを感じている。身体と身体との狭間の、軋みの、放熱されるような、奇妙なこの場所、ぼく自身。

 

*4:きっとそれが都市なのだろうと思う。花のひらく裏で、隠蔽されたものが蠢いている。都市に生きる人間と言ってもいいかもしれない。いずれはこのことを書かなくてはいけない(*いずれ)。

 

 

ヴォルス展とわたしのアタマとメンタマ

 7月2日の日曜日(*1)にヴォルス展(*2)へ行ってきた(*3)。素晴らしかった(*4)。

 以上。

 ゆえに以下同文。



ーーー

*1:勤務しているカレー屋(*A)は毎週日曜日が定休日で、遠出をするには定休日の日曜日か、月に一度だけ貰える平日休みを使うかしかできない。

*2:この展覧会は、柳家小春さん(*B)がツイッターで言及していたために知ったものだ。試しにと、ヴォルスの作品を画像検索すると「これは生で見なくてはならない(*C)」と、前日の土曜日に思い立ち、急きょ(*D)鑑賞しに行った。ちなみに七月二日の日曜日が展覧会期日の最終日だった。

*3:展覧会の会場は千葉県佐倉のDIC川村記念美術館だった。午前に起きて、山手線で日暮里まで行き、京成本線特急列車に乗り換えて佐倉まで五十分。駅前の小さなロータリーにあるシロタカメラという店の前から美術館までの無料送迎バスが定期的に出ており、私は十一時五十分のそれに乗った。JR佐倉駅でもお客さんをピックアップすると、バスは緑のうちへ入っていき、出発から三十分ほどで美術館に到着する。外へ出るとムッとする暑さだった。すぐに汗が染み出してきて、館内へ入るとそれが冷えて少し寒かった。いまだに体温管理が苦手だなあと考えたのを覚えている。

*4:このことを補足説明するためにコレを書いている。

ーーー

*A:オープン前から手伝っている店で、この八月でめでたく五周年を迎える。私はそのあいだに二度ほど店を辞めているが、貯蓄が尽きる度に出戻りして働かせてもらっている。スタッフと流れる音楽に恵まれ、私にとって重要な場所になっている。しかし、それが私の甘ったれた心を惹きつけてしまうために困りもしている。そろそろ三度目の辞めどき(*甲)だ。

*B:彼女は江戸小唄を演る。少し前から趣味になっているYouTubeでの落語鑑賞中、八代目桂文楽が寄席についての今昔話を語るなかで、立花家橘乃助という天才的な三味線の名手が居たというのを聞き、それを追っていくうちに、小春さんがテニスコーツ《*乙(*い)》とセッション?している動画を見つけ、私はそれに惚れてしまった。ちなみにそのYouTubeでのライブ音源は断片的なものになっているが、嬉しいことに円盤化(*丙)されており、これが名盤なのだ。それと、彼女が『黄昏のビギン』をカバーしている映像もあがっているが、これも大好きだ。もちろん、ちあきなおみのも素晴らしいが。

*C:芸術鑑賞というものから私はしばらく遠ざかっていた。たまに落語を観るために寄席に行ったり、気になるポスターを見て美術館へ行ったりしていたが、最近はその熱が強くなっている。それは最近に出来た友達、T君(*丁)のおかげだ。この四日前にもT君と高円寺・座へ寺山修二の『レミング』(*戊)を観劇に行ってきたばかりだ。先月初頭に彼に連れられて『ビンローの封印』を体感してから、やはり生ってのは良いもんだと思い改めたのだ。

*D:突拍子もなく「不図」やってくるものを愛したい。それは三十歳を手前にして凝り固まりはじめた頭や何やらの輪郭をほぐしたいという願望から来るものなのだろうと思う。そうして、そのふとやってくるものに飛びついたときには、必ず後になって香しい残滓を私のうちに見つけられる経験があるためだ。いや、それは少なからず自分の行動を正当化したいという無意識があるのだろうとは思う(*己)。

ーーー

*甲:それでは辞めて何をしようかということなのだが、これに関しては何もない。何もないといえばウソか。ものを書く時間が欲しい。それだけだ。ただ、その材料を如何にして集めようかというところで、いまの環境に飽きが来ているというのは理由のひとつとしてある。何をいう、どこへ住んでも変わりはしないよという意見もあろうが。知り合いの伝でニューヨークでの働き口があるから海外生活という選択がある。しかし、とりたててニューヨークでなくてはならない動機もなく、せっかく外へ行くのならモロッコ(*ろ)あたりが良いなあと思っている。

*乙:彼女と彼を知ったのは去年の夏だ。勤務先の近所に増上寺(*は)があるのだが、そこで『寺フェス』なるものが開催されるのを知り、無料だというので無理を言って休ませてもらい、覗きにいってみた。増上寺の大きな門をくぐり、まっすぐに進んでいくと、大きな階段がある。その上の青空広場?境内?なんと言うのか知らないが、とにかくその広場で音楽家たちが順番に演奏していくのだ。日が暮れだすと向こうに東京タワーが灯りをつけ、月があやしげに輝いていたのを思いだす。私が行ったときに演奏されていた電子音楽と相まって妙な高揚と幸福とに私は包まれた。いや、実はその日にテニスコーツが演奏したのではない。その日の体験が素晴らしくって、翌日も開催されるらしいから元気だったらまた行こうと、翌日のタイムテーブルを確認すると、そこにテニスコーツの名前があったのだ。どんな人たちなのだろうとYouTubeで聴いてみるとそれが素晴らしく良かったのだ。しかし、結局ダメな私は翌日に増上寺へは行かれなかった。小春さんとあのテニスコーツが、という運命を感じてCDを買ったのである。

*丙:ライブ会場となった店も「円盤」という名前。

*丁:大学のゼミで一緒だったM君の紹介で、T君とは今年の二月に知りあった。T君は頭が良くって理解が早い。支離滅裂な私の話(*に)に耳を傾けてくれ、これはこうでそれはああという具合に、理路整然と語りなおしてくれるから私のした話に私自身が驚くことが多々ある。正直、私にとってこのブログは彼との往復書簡のつもりで書いている。

*戊:この作品は思うことが沢山あって(*ほ)困る。なにから書けばいいのか大変に厄介だ。それだから私はこの作品を理解していないのだろうことも判っているのがさらに倍でドンだ。そのひとつの要因として、会場へ入る際、入り口に「今日は撮影カメラが入ります」というような内容の張り紙がされていたことだ。このカメラが果たして劇中に用いられたフィルムのないカメラのことなのか、それともメタ的に多用された夢や眼(*へ)というもののひとつなのか、私たち観客の眼というさらなるメタなのか、それすらをも含んだ・・・というような具合で、際限なく複層されていく或る境界(壁)のために、こんがらがってしまうのだ。

*己:この無意識というものを考えてしまうと厄介だ。どこを向こうにも裏でうじうじと私の小脇を突いて「嘘つけよ」(*と)と耳元で囁きやがる。このことを悪いように利用してしまえば、たとえば私が誰かを突然に殺めても神話を用いてそのことを淡々と説明してしまうだろう。つまりは、無意識というものには甘えたい放題なのだ。

ーーー

*い:この「乙」は、つまりは十干の二番目に来ることから「2」「B」「ろ」と同じ指示内容を持つわけだが、それが別の文脈では「洒落た」という意味を獲得するのが面白い。調べたわけではないが、きっと一番ではなく常に二番手であるような選択をすることが、つまりは傾くことが、洒落ッ気に繋がっているのだろうと思う。だとしたら私は乙に生きていたい。と、書くことが既に乙ではないのだろうなあと考える私はきっと丁よく見せる退屈な社会体なのだろうと思う。→「*己」に戻る。

*ろ:ここは『地球の歩き方』だけ買ってある。なぜ行きたいと思うのかはいろいろ考えられる。ベルベル人という存在、中心部にある広場でずっと鳴らされる音楽、白と青の幻惑的な街路、ヨーロッパを真向かいにする立地、ジュネが訪れたということ、そういった「微香」としか言えない誘惑的なものがここには感じられてしまうのだ。

*は:落語の噺のなかでも特に有名な『芝浜』では此処の鐘の音が、女房に時を違えて起こされたことを主人公が知るきっかけになる。2001年の年末、よみうりホールでの立川談志の『芝浜』を、私はYOUTUBEで観たのだが、それがヤバかった。後にこれは名演と呼ばれているらしいことを知ったが、それについては首を何十回も縦に振って賛同する。まあ、まだ落語歴の浅い私が賛同したところで、なのだが。しかし、この『芝浜』に関してはおそらく誰も指摘していないだろう観方ができる。注目していただきたいのは、主人公と女房との立ち位置、つまり上下だ。これが途中に何度も逆転してしまうのだ。なにをきっかけにしてか。それはその都度に表される夫の心情に依るところなのだが(※訂正を下記します)、一番大きいのは、浜で財布を拾って女房のもとへ帰ってからのことで、ここには大金を手に入れた夫の強気になった精神が表されているのではないかとも思った。しかし、ここまでなら考えいたる人も沢山いるだろう。しかし、さらに深読みすると作品の見え方ががらりと違ってくるのだ。上下が大きく変わるきっかけは、男が浜で煙草を吸ってからだと考える。つまり、理解いただける方にはわかるだろうが、あれは煙草ではなく、談笑の「改作した芝浜」に通ずるものを吸ったということだ。だから最後の「夢になるといけねえ」は、すでに夢だよという夢落ちの虚しさを含みうるのだ。そうしてさらに言うと、舞台下の、ディスプレイ越しの観客たちは、その高座自体に美しい夢の人情噺をみていたのだ。

*に:この記事がまさにそうなのだが、このようにして書かないと、私の散らかった頭のなかを描けないのだ。いや、充分に描けているとも思えないが。

*ほ:たとえば他に、部屋の天井の上から生活を覗く男。彼は傘を差しているのだが、それには穴が開いている。そうして、会場の天井には照明が点々と据えられていて、まるでこの会場にも穴が開いているかのように、そこから光が差しこんでいた。実際に、劇の冒頭で黒い巨大な男たち(眼の悪い私はずっと同じ場所を見ているとアリス症候群のようなものに罹って、ものの大小や遠近がボケてしまう。実際に劇中の黒い彼らは等身大以上に巨大に視えた)が家の模型を持つと、完璧に暗転してシーザーの轟音が会場を揺さぶる。あれは完全に観客が或る境界の内部にいることを言っているわけだ。するとあの穴のあいた覗き魔もまた覗かれていて・・・とわけが分からなくなる。

*へ:私は眼が悪い。しかしその近眼が世界の在り方を変える。ヴォルスは、人々が素通りする路上の些末なものにルーペをあてがい、そのミクロで繊細な世界を描こうとしていた。そのヴォルスとの出逢いもだが、常設展示されているマーク・ロスコの七点の壁画と、サイ・トゥオンブリの一枚の絵画も、私の視界のうちで見る見るうちに変容していった。前者の作品は色を変え、空間を覆った。後者はそこに描かれた曲線を波のように揺らがせた。実際にそう映ったのだからなんとも奇妙だ。監視役の学芸員にそのことを確認すると私は彼女に白い目で見られた。私も彼女を白い眼で見返した。あれは私の錯視などではない。いや、通常にみている世界が既に或る錯視なのだということを伝えるような感想を抱く作品だった。

*と:以上、比較的にシンプルに描けた私の頭のなかの相関図でした。

ーーー

ここまで読んで下さいましてありがとうございました(※了)


ーーー

※訂正:上下の入れ替わりの基準は、身分や立場関係に加えて、家屋での在り方によっても変わるということを初めて知りました。失礼しました。だから、このときに入れ替わる上下は基本に忠実なやり方であって、意図的に崩され変型されたものではありませんでした。だから素人が語るとダメなのです。恥じて反省いたします。なお、この訂正文は当記事投稿から七時間後に加筆いたしました。


ーーー

※了:際限がない。

日々のおおよそ

午前五時半に起床し、眠たい頭のなかに覆うような霧を、小瓶に入った柑橘系のアロマで霧消させる。顔を洗い、銭湯セットを準備して、ママチャリで二十分ほどのファミレスへ向かう。
早朝のやわらかい気候が寝起きの身体に無理なく、人と車の少ない道を心地よく漕いでいく。
ファミレスにはいつもの早番のおばちゃんがいて、スクランブルエッグセットのトーストを注文し、ケチャップなどは抜いてもらう。メニューが運ばれてくるあいだにドリンクバーのチープなコーヒーを口に含んで煙草を一本吸う。携帯にメモしたことや思うことをPCへタイプしながら、その日あらたに書くことを考える。
メニューが運ばれるとPCは端へ置き、食事を済ませる。冷めてしまったコーヒーを注ぎ足しにいき、食後の一服。それから九時半まで煙草を吸いながらタイプしつづける。
十時前に勤務先の店へ出勤し、早くに来ていたアルバイトのコ(とは言えど年上の女性)とチャクラの話などをしながらカレーの仕込みをはじめる。十時ぎりぎりにもう一人のアルバイトのコ(この娘はひとまわり近くも年下の子)がやってきて、それから数分後に店長が出勤してくる。
適当な会話や無言を挟みながら十一時に開店。この頃には眠くなってしまっている。とは言え、店が忙しくなると眠いのも忘れて身体が動きだす。店内に流れるジャンゴ・ラインハルトや、ムッシュ・ペリネ、ルー・リードの音楽が思考と身体とを妙な具合に離ればなれにさせ、引き合わさせる。そのことを心地よく思う。
客足が一旦やむと、うつらうつらとなりながら、翌日のルウ用の玉ねぎを剥く。眠気の限界が訪れたら、バックヤードへ引いて一服する。雑多に物の置かれた狭苦しい、暗い空間に、小雨の降りしきるような視細胞の発火を眺めたりなどする。
午後一時頃に腹が減りはじめる。朝食から五時間以上が経過しているのだから無理もない。胃にできた空洞が、その気圧差で、食糧を催促するように内臓をぐっと縮こませる。外へ通じる口腔はそれに連れられ、口寂しさを感じて、ものを求める。しかし、こらえて三時からの中休みを待つ。
三時過ぎに最後の客を追い出し、ようやく昼食にありつける。急いで済ませると、パソコンをもって徒歩十秒のチェーン店のカフェへ行く。一番小さいサイズのコーヒーを注文し、チープな灰皿をもって喫煙席へ。椅子に腰掛け、パソコンとコーヒーと灰皿の位置を微調整して、ここで食後の一服を吸う。それから一時間、朝の続きや、別の思考を巡らせる。
五時前に勤務店へ戻り、夜営業の支度をする。ここからはおおよそ一時間ごとにバックヤードへ引いて一服する。そのあいだにネットを閲覧する。なにか閃くものがあればメモを残し、明日のための種を蒔く。
午後九時過ぎに店を閉め、ママチャリで朝に来た道を帰る。途中にある銭湯の熱い湯に浸かり、その日の垢を落とす。
部屋へ戻り、換気と歯磨きを済ませて早々に布団へもぐる。淡いオレンジの間接照明のもとで、ゆっくりと本を読みながら知らず寝息をたてる。
翌朝、午前五時二十分の一度目のアラームをやり過ごし、十分後に柑橘の香りを嗅ぐ。むくり起きて、顔を洗い、銭湯セットを準備し、自転車を漕いでいく。覚めきらないまぶたは気だるいが、早朝の日差しの柔らかさを再確認する。

ーーー

ここ二週間。私のうちで、ごくゆっくりと根は蠢いて伸び、なにか得体の知れないものをつかみはじめている。それはおそらく、早朝の日差しのように、再び出逢うようなものだろうと思う。

のどちんこ

 ぼくにはのどちんこがない。ずいぶん前に切除したのだ。いや、実際に切除したのはその周辺の扁桃だから金玉がないと言ったほうがより正しい。どちらにせよぼくは、喉において去勢されていると言ってもいいだろうと思う。
 なぜそんな大げさな手術をしたかと言えば、進学のために上京した先の学生寮がひどく空気の汚いところで、毎月のように喉を腫れ上がらせて高熱を出していたためだ。
「頻繁に扁桃炎で高熱を出すようなら切除することもできます」
 お医者がそう言ったので、ぼくは翌月に扁桃摘出手術を予約した。
 たしかに手術以降は高熱にうなされることはなくなった。けれどもたったひとつ残念なことがある。ぼくは高熱特有の悪夢をそれほどには嫌っていなかったのだ。いや、むしろ好いていた。
 そんな悪夢には決まって同じ場面があらわれる。幼いころから変わらない夢だ。
 ぼくは丘の上のお花畑みたいなところでスキップをしている。地上の楽園のような場所だ。そこへ突然、いくつもの隕石が降りしきる。ぼくは逃げ惑うのだけれど、夢特有の、水中を走るような具合でまったく遠くへ逃げられない。それでも間一髪のところで隕石を避けられている。そんな場面が無音で永遠のように続くのだから、きっとこのイメージを他人が見たら、サイレントのコメディ映画を鑑賞しているように笑い転げてしまうのではないかなと思う。けれど、夢を見ている当人は汗だくになってうなされるのだ。ようやく目が覚めても、夢と現実との境もわからなくなってママンに抱きついたりしていた。今にして思えば、ぼくがその悪夢を好んでいたのは、そのママンの抱擁を含んでのことだったからなのかもしれない。
 とにかく、ぼくはもうずいぶん長いあいだ平熱の日常を送っている。まわりに迷惑をかけることもないし、ぼく自身も健康がつづいているのだから不満もない。ないはずなのになんだか退屈に思えてしまうのは贅沢な悩みだろうかな。けれども、やっぱり時には大波に乗って浮かれてもみたい。それが過ぎた後に、どん底を味わうような虚脱をも感じてみたい。凪いでばかりでは、人生を謳歌しているようには思えないのだ。
 そう考えるようになってから、ぼくは少々酒を飲みすぎた。睡眠薬を半錠噛んでアルコールにふけった日々もある。奇妙な浮遊感は悪夢に似ていて面白かったし、抜けた後の虚無感も味わった。けれどもそれは疑似体験でしかなくって、裏ではいつも本寸法の高熱を求めていたのだ。
 のどちんこはそれを体感させてくれる装置だったのだときっと思う。そうして、いまも変わらずにぼくの内には波のうねりが絶えなくて、それはぼくに知れずそっと、けれども大自然の猛威をふるって、荒れに荒れているはずなのだろうと思う。それが表出されないのは、それを実感できないのは、きっとのどちんこを切ってしまったからに違いないのだろう。
 ぼくはときどき喉をさすってみる。いがいがも痛みもなにもないのに、失ったものの痕跡を愛撫する。自然の荒波と、抱擁する大海をそこに思いだす。

「ビンローの封印」観劇記

6月4日の日曜日。午後五時に新宿駅東口改札でT君と待ち合わせ、思い出横丁で一時間ほど飲む。酔い心地のなか、T君の先導で都心のオアシス花園神社へ。事前に彼が整理券を貰ってくれていたためにスムーズに列へ加わることができ、紅テントのなかへ。
 子宮のなかに居るような紅。前日に、友人の奥さんが子どもを宿したという話を聞いていたためにそう考えたのかもしれない。もしくは、初の観劇で、胎動するようなぼくの精神をあらわした紅だった。
 暗転してはじまった劇は、圧倒的な熱量と速度で、
「物語を読み解くな」
と言わんばかりに、ぼくを舞台、役者、空間から突き放しながら進んでいく。暴風の吹き込む海沿いのトンネルを歩いて進むような心地だった。ぼくはそこへ、向こうへ、しがみつこうと前のめっていく。役者の口から放たれる現実を遊離したセリフは、矢継ぎ早に襲う次のセリフに圧しだされ、飲み込まれ、霧消し、空間は変転しつづける。頭に残る言葉がない。舞台はすぐそこにあるにもかかわらず、足を止めて考えこんでしまえば容易に遠く隔たってしまうようだった。
ぼくがとうとう考えることを放棄した途端に、言葉が輪郭から外されて、ぼくは包摂された。意味をなくして漂いはじめたはずの言葉が、エッセンシャルオイルのように高濃度に抽出されて、ぼくにその香りだけを嗅がせる。これのことか、と感じた。はじめから舞台は、空間は、このような包摂する世界をシャーマニックに唄っていたのではないか。その空間とぼくとの繋がりを阻んでいたのは思考だったのではないか。鼻腔に触れた香りが或る記憶を直接に立ち上がらせるような仕方で、劇は、思考を、ぼくをはねのけていたのだ。そうしてぼくがぼく自身を振りほどくのを、劇ははじめから向こう側で待っていたのだ。
 用いられる言葉はたしかに言葉である。しかし、それはぼくたちが日常的に用いる言語感覚ではなく、いわゆるこれが身体的な言葉なのかと思うに至った。
 第一幕が終わり、ふらつく足取りで境内に設けられた喫煙所へ向かう。T君と顔を見あい、笑いあう。お互いがいま置かれている状況を把握できないでいるらしく、ああそうか、ぼくだけではなかったかと半ば安堵した。身体的言語! などということに思い至ったが、その半面で、単にぼくの読解力が著しく欠如しているだけなのではないかという不安もあったのだ。笑いあって、ぽつりぽつりと言葉を零す。「やばい」「なんだこれ」自分の言葉の足りなさを嫌に思いながら、しかしマゾヒスティークな恍惚を覚えてもいるぼくたちだった。
 十分間の休憩、簡易喫煙所の足下には地上へ溢れだす樹木の太い根、風も妖しい暗がりの境内。紅テントを横目に歩き過ぎて公衆便所へ向かう。排尿という現実にたずさわっていながら、精神は浮遊したままで、単なるトリップではないかと便所の無機質なタイルをじっと眺める。再開のアナウンスが発声されて急ぎテントへ潜っていく。
 第二幕はトリップそのものだった。そうして登場した、いや、はじめから舞台中央に置かれていた公衆便所。終盤に、観客の視線がその扉へ結ばれていく。扉は開かれ、製造は、大海に抱かれて、いや、便所の排水に流されるようにして、境内へ消えていった。それと同時に、紅テントという舞台空間に、境内という現実空間が開かれるようにして、ぼくが魅せられていた舞台を現実へ向かいあわせた。公衆便所が舞台中央に置かれつづけていたように、はじめから、ゆるやかに、ここと向こうとは繋がれていたことを知る。デペイズマンだ。ぼくの思考、身体、そうして紅テント、舞台、セリフ、それらが手術台のうえの蝙蝠傘とミシンとの出逢いのように合わさり、ぼくたちを異郷へと送っていたのだ。その異郷の地が、観劇中に体感されていたのだ。あそこには観客が居て、役者が居て、舞台があり、言葉があった。しかしぼくたちが真に居たのは、あそこを少し遊離した蜃気楼のような場所だった。
 劇は終わり、役者の紹介と挨拶が行われていく。突然だった。突然にぼくは、あの紅テントのなかで現実へ立ち返るように、我にかえるように促された。しかし、酒と興奮とが現実への帰還を、その心身の一致を遅らせている。日常言語で話される挨拶に、ほかの観客たちは緊張の緩和を覚え、笑っている。あのときに流れていた安堵感を、そのときぼくは嫌った。たしかに、あの場面で挨拶がされるのは、観客をスムーズに現実へと戻らせるためにも必要な慣例なのだろう。挨拶もなしに、緊張状態のままで境内へ、街へ出ていったならば、おそらく、人々は現実において失語症的に彷徨せざるをえなくなるのだろう。しかしどうだろう。あの空間にずっと置かれていた公衆便所は、街の至るところに当然の顔をして点在している。容易にあそこへ舞い戻らせる装置をぼくたちは知ってしまったのだ。あまりにも人間的な臭みと湿り気を漂わせる、思考の介在なしに時空を越えさせるあの公衆便所を。挨拶が続くなか、されるがままには現実へ還ることができずに、ぼくは、舞台空間と現実空間とのあいだで宙吊りにされていた。宙吊りにされたそこから覗きみるふたつの空間に、果たして大きな違いはあるだろうか。
 余計にふらつく足取りで喫煙所へ行き、一服。そういえばと、T君に話した。
「わけわからんけど、涙が滲んだわ」
 けして零れるほどではなかったが、あの滲んだ涙はなんだったろうか。ぼくの内側で、この紅い肉体のなかで、役者たちの交わす膨大なセリフと同様にさまざまな機構が働き、刺激と反応とが複雑になされ、たった一滴を滲ませた涙の所在が、いまはもうすっかり判らなくなっている。しかし、いずれ再びあの涙がフラッシュバックすることがあるだろうと思う。T君が言っていた。
「今はわからなくとも、時間が経ったあとに、知れず内側で、この体験がなにかしらかを形づくる」
 その時が近い未来に訪れるのをぼくは既に知っているような気がする。興奮の冷めないなか、近所の「ねこ膳」で記憶を失くすまで飲んだ。始発を待つJR新宿駅のホームを、黄色い線の内側すれすれに沿って歩いた。汽笛が鳴らされて、ぼくのすぐそばを電車が抜けていった。