吉田和史× 夜窓結成一周年ライブ観賞記

7月23日(日)、新宿御苑近くの「bar toilet 」で開催された、T君の所属するバンドのライブへ行ってきた。そのときの感想を書こうとは思うし、だから観賞記と題したのだけれども、音楽の話はほとんど出てこない予定だ。
この日は、前夜から暑さのために眠られず(*1)、午前四時には布団から起き出して活動していた(*2)ために、会場ではへろへろに酔ってしまうだろうなという予覚が働いていた。
開演の午後六時に合わせて、一時間ほど前に目黒から山手線へのった。新宿駅へ着き、会場までの道中で見かけた蕎麦屋へ立ち寄って酒を呑む。格別に美味い酒ではなかったけれども、毎日の活動時間以上に働いた後の酒はするすると臓に滲みていき、心持はすっかりよくなった。BGMもテレビも流れない店内には、空調の大きな送風音と、まな板を叩く包丁の幽かな音だけが厨房から聞こえ漏れている。
しばらくを蕎麦屋で呑みながら過ごし、開演一分前に会場前へたどり着く。マップを見ながら建物を確認していると、二階あたりから視線を感じて仰ぎ見た。T君が窓際からぼくの方を眺め下ろしていて、手を振って、入り口を指し示した。それがなんだかよかった(*3)。
会場は狭かった。椅子はカウンターに沿って三列ほどで並び、前方の席はすっかり埋まっているようだった。鑑賞料とドリンク代を払い、アルコールを受け取ると後方、窓際の席へ腰掛けて先ずは窓外を眺めた。
「そうだ、バンドは夜窓という名前だったな」
とあらためる。けれども午後六時の外はまだ白くって、夜の雰囲気はなかった。外よりも、蝋燭を数本立てた店内の方が橙の淡い暗がりで、そのアンバランスさが妙な心地だった。地上ではサラリーマンが急ぎ足で歩道を往くなどしていた。
時刻を過ぎても音は鳴らされず、少し緊張感のあるような空間を思いながら酒をちびちびやっていると、窓枠に小さな虫が這うのを観た。午前中に植物園で寝転んだりしていたから、そのときぼくについた虫をここまで運んで来てしまったのかしらんと思って指に乗せてみた。短く細い足を何本も動かして指をくすぐらせていると、ライブをはじめるような声が聞こえた。この頃には、ぼくはもうすっかり酔っぱらっていた。外の明るいのが少し気になったままだった。
弾き語り二曲が終わってバンド演奏がはじまる。身体を動かしたくなるけれど、前のお客さんたちが案外にも静止したままだったから、仕方なく、身体は揺らす程度にとどめた。歌われる詞が少しばかり気になった。言葉を音に乗っけたことがないから分からないけれども、比喩がもはや比喩ではなくなってしまっているように感じられて、少し気になったのだ。けれども、お酒をお代わりする頃には、もういちいちを考えることはやめてしまっていた。
途中に休憩が挟まれた。煙草を吸いに、まだまだ白い外へ出て、コンビニまで行って用を足して帰って来ると、もう少しで再開というところだった。窓際の定位置に腰掛けて、またちびちびとやりだした。
窓外は、暗がりはじめたといってもまだ白く、店内は仄暗く橙。窓を一枚隔てただけで色の変わるのを面白く眺めていた。斜めグリッドの入った窓は断熱性が高そうだ。交差点を挟んだ斜向かいの五階建てマンションの窓のひとつに灯りがつく。青みを帯びた蛍光灯らしく、そのマンションのほかのフロアの窓も、同系の照明のようだった。演奏は再開されている。マンションの灯りをしばらく眺め、マンションとビルの隙間の空を見ると何故だかもう白くはな
かった。レモネードブルーなどという言葉があるか知らないが、そんなように妙な、イエローとブルーとが入りまじった、ちょうどゴッホの描いたアルルのカフェのような色彩だった。それを映す窓の表面に、店内の風景が混じりはじめた。ぼくの前に座るお客さんたちの頭が連山のようにして黒く映り、その向こうで、サックスがソロを吹くのがちらりと見える。けれどもその鏡像は、二重構造の窓のために
少しく歪んで、輪郭を曖昧にさせている。
「幽霊かな」
そんな馬鹿なことを思って店内のほうを向くと、窓に映るのよりもはっきりとした輪郭で彼がサックスを吹いている。店内はあかく、外とはうまい具合に交じりあわない。交差点に停車したSUVがヘッドライトを点滅させている。五階建てのマンションの窓明かりが増えていた。また窓に映る彼らを見つめる。そうして店内の彼らを見る。それを幾往復かする。ぼくにはどうにも、グリッドの窓の向こうに透きとおって見えるような彼らの方が現実的で、同じ空間にいる彼らは嘘みたいだった。
「ああ、夜窓だね」
ぼくらは今そのなかで、それを眺めている。
「脱け出そうこんなところ」
そんな詞が聞こえた。そのフレーズだけを覚えている。どこから脱け出そうというのか。この夜窓から?
気分はすっかり遊離していた。酒に担がれて、知らない涙に溢れさせられていた。『ゴーストライター』という歌だったか。それを聞いていたときに泣いたような気がする。そうして最後の方は周りのことなんか忘れて身体を動かしていた。
ライブが終わり、そそくさと「bar toilet 」をあとにした。今にして思えば、ぼくはあのときなるほど、或る種の排泄行為をしていたのだなア。先と同じ蕎麦屋へ行き、勘定を済ませようとする段になって財布を無くしていたことに気がつく。気は余計に動転した。
T君に助けてもらい、どこか別の店へ行き、彼の知人と会い、財布は会場にあることを知ってT君と「bar toilet 」へ戻り、メンバーの方とすこし飲んで、ぼくはなぜだか突然に席を立って、店を出て
行った。
赤信号を無視して横断歩道を渡り、クラクションと罵倒が後方で鳴らされるのを聞いていた。
アルタ前の植え込みに寝転がって、すぐそこを歩き過ぎる人々の声を聞きながら、終電までを過ご
した。
部屋へ戻り、眠れば翌日の仕事に遅刻するだろうからと、自転車を押して職場へ向かう。途中、急な坂で自転車を倒してしまって泣いた。泣きながら坂をあがり、目黒通りをのそのそと進む。コンビニで煙草とドリンクを買うとくじ引きができて、ビーフンヌードルがあたった。店員が煙草の銘柄の話をぼくにしてきて、ぼくは笑ってしばらく会話を交わした。外へ出て、煙草を開けると、彼と一緒に吸いたいなと思ってまたコンビニへ入っていった。彼は一本だけ受け取ってくれたが、他のお客さんが入って来たのでぼくたちは挨拶をして別れた。
歩きながらまた自転車を倒してしまって、籠から
買ったばかりのドリンクが落ちて転がっていった。それには構わないで、景品のビーフンヌードルだけを拾って大事に籠へ入れた。日吉坂の長い下り傾斜を、自転車のブレーキをかけずに転がり滑っていった。途中、道の角から車が出てくれればいいのにと思った。

―――

*1:うちには冷房がない。扇風機もない。外の方が涼しい。

*2:活動とは言っても、洗濯をして、すこし早くにファミレスへ行ってものを書き、目黒の植物教育園を散策し、銭湯に浸かっただけなのだが。

*3:ちがう友人の住むマンションは、エントランスで部屋番号を入力して呼び出すと、向こう側のディスプレイにぼくの顔が映るらしい。いや、今ではどこでもそうなのかもしれないが。それで、ピンポンして無言で立っていると、小さなスピーカーから彼の笑う声が漏れて、分厚い扉が解錠される。なんだか顔パスみたいな感じがして、受け入れられた感がある。そのことに少し似ていた。まあつまりは、招き入れられることの嬉しさよ。

          2017年7月26日(水)