よ①:夜

 夜の、眠られるまでの時間の使い方が苦手だ。冷房も扇風機もテレビもWi-Fiもない六畳間ではすることが限られる。酒を呑みながら、TSUTAYAで購入した中古のアダルトビデオを鑑賞して、落ち着いたところで部屋を見回し、寝転がって、本を読むという気力はなかなか湧いてこない。読みかけの本は六畳間のあちこちにコンビニのレジ袋と同じようにして散らかっている。それで結局、スマホのネット制限がかかるまで動画を貪りみて、知らないうちに眠ってしまうのを待つ。

 ヨガでやるような呼吸をすれば気も落ち着いて寝つきが良くなるだろう。そう思って、真っ暗の部屋に仰向けになり試してみると、身体や思考に起こる変化が面白くって、頭は研究するような具合になるから逆に興奮してしまって寝られなくなる。

 夜も更ける頃にはアパートの外では下水の流れていく音だけが聞こえる。昨年、四万温泉へ行った際、渓流脇の部屋に宿泊したのだが、あまりに川が近くて夜通しうるさかったのを思いだしたりする。それに比べると、下水の流れる音の方が遥かに清流然として心地のいいイオンを放っているように感じられる。そのことを面白がってまた眠られない。

 くわえて、夏の暑さが肌にじっとりと汗を染み出させ、肘や膝の裏でたらたらと流れていく。ようやく寝られたかと思うと悪夢に揺り起こされる。どうにも無理だと諦めて、近くの公園や寺社へ出掛けていく。外の方が幾分も涼しくって、しばらくのあいだをベンチに座って涼みながら、時折り過ぎていく自転車やタクシーを眺め、煙草を吸って、部屋に戻る。するといくらかは安らいだ心地で入眠しやすくなる。

 この部屋へ越す前は、マンションのすぐそばで、夜間に線路の接続工事が行われていた。防音幕に覆われてはいるが、モーターの重たい駆動音や、重量車がバラストの上をゆっくり進んでいく音や、工員たちの掛け声などが開け放した窓から部屋に這入ってきて、それに耳を傾けていた。ドリルがなにかを削り、なにかが何かを研摩したりする音を聞きながら、いったい何を造っているのだろうかと空想する。夜も終わる頃、頭のなかには線路工事とはなんの関わりもなさそうな妙ちくりんの機械が出来上がっていて、それを自画自賛する。

 工事の休みの夜には重たい機械音は聞かれないが、何かしらかの装置がずっと音を鳴らしている。ピッ、ピッ、ピッ、と鳴りつづけている。勤め先の飲食店では閉店後に害虫駆除機を作動させるのだが、その音に似ている。静かな夜に、その音だけが延々と鳴るのを聞いていると、ぼくの方で「ああ、彼らは人知れず働いているのだなあ」と妙な気が起こって情が滲む。そうすると、鳴らす装置は生命を得て、秋の虫の鳴き声に思えてくる。秋の虫に思えると少しく涼しい心地すら覚える。そうして空想は拍車をかけていく。

「鳴く虫はオスだけではなかったろうか」

「すると外で鳴るあの音も何かしらの求愛の鳴き声で」

「思えば工事現場には男しか見かけないな」

「いや、交通誘導員で、若くはない、すっかり肌の黒くなった女性が居たのを見たぞ」

「彼女には、そうまでして働かなくっちゃならない生活があるのだろうかな」

「工事現場に女は似合わないな」

 などと。

 一度だけ、工事が休みの夜更けにその現場へ這入りこんだことがある。虫の声の所在を知りたかったのだ。わずかな防犯灯の照らす暗がりのなか、音は徐々に大きくなるが、ついにはその正体を知れなかった。正体を暴く代わりに、その音をスマホに録音し、部屋に持ち帰って、枕のそばで再生して眠った。

 どうやら夜は人を奇行へと駆りたてるらしい。悪夢をみるのも、不安な思いが突如として湧きたつのも、たいていが丑三つ時だ。その意味で、今も昔と変わらずに幽霊はいるのだろう。それは夜と人との間に生まれるらしい。

 

    2017年8月13日(日)