な①:夏休み

 今朝はひさしぶりに早く起きることが出来て、陽射しの弱い早朝の道を自転車でのろのろと進んでいた。すると今朝はなんだか小学校低学年くらいの子どもをよく見かける。ちょっと異常な数だ。テレビ番組で子どもの健康特集などが組まれて、子どもの早朝散歩がブームになっているということはまさかないだろう、などと訝しんでいた。すると親と手を繋いでいる子もいて、そうして彼らはすべからく首から何かを提げているのを見て、ああラジオ体操かと合点がいった。知らないうちに小学生はもう夏休みに入っていたらしい。

 四季の訪れ(*1)に思わず足をとめることは多くなったが、その季節を謳歌するような時間は減ったように思う。夏ならばラジオ体操や市民プールへ行き、秋には学校行事でハイキングへ出掛けたり、冬になると雪だるまをつくったり、スケートリンクを転げまわったり、春にはクラス替えがあってと。小学生の頃はしかし、わけもわからずに季節を疾走していたのだろうなと振りかえる。動物的な具合で、咀嚼もせずに貪っていた。そのときには味も分からずに摂取していた季節感が、この歳になって記憶として思い返されることがまた不思議と面白い。時間差の栄養素というものもあるのだろう(*2)。

 公園に子どもたちがどんどんと集結していて、ぼくはあまりラジオ体操のスタンプを貰えなかったなア(*3)と、彼らの横を自転車で通り過ぎていく。もしも不審者扱いされずに済むのならば、一度くらいはラジオ体操に参加してみたい。きっと妙に念入りに身体を動かしたりなどして、すっかり疲れて果ててしまうに違いない(*4)。

 これを書いている早朝のファミレスにも子どもたちの姿がある。中学生くらいのお客さんもいるから、中高生も夏休みに突入しているのかもしれない。藤井四段(*5)のニュースを読んでいると、四段の通う中学校も夏休みに入っているらしいことが知れて、やはりそうなのかと思う。

 子どもたちの声のするなか、スーツ姿のおっちゃんたちがスマホや新聞を読みながら朝食をとる姿がまじっている。あと二週間もすれば盆休みがやってきて、彼らもわずかな休息を味わえるだろう。けれど家庭をもっている人は、帰省をしたり、子どもと遊んだりと、なにかとひとりの時間を持つのが難しいのだろう。彼らはどうやってバランスをとって生きているのだろう。子どもの成長を見たりすることでだろうか? こればかりは親にならなければわからない。

 

―――

 

*1:半年近く前、つまりぼくが部屋を変える以前に購入したムック本『世界に誇る鳥獣戯画と日本四大絵巻』のなかで誰かが、季節の訪れは「音連れ」だ、と書いてあるのを読んでなるほどなと思ったのを覚えている。音が季節を連れてくるという意味もあるが、きっとこの表現は聴覚以外の感覚へ働く季節の訪れを言っているのだとも思う。色彩はもちろん、香りや、妙に高揚する心地、毛糸の痒みなどなど、季節は隙間を縫って気配を感じさせる。

 

*2:発酵食品というものが酒の肴になることと、年齢によって味覚が変化することとのあいだに関係はあるだろう。そうしてそこに働くのが時間差の栄養素だと思う。子どもの頃に味はわからなくとも、蓄積した記憶が発酵されていくことで、知らないうちに味覚も変化してくる。自身のうちにささやかながらも歴史があることを知って、酒と季節に思いを馳せるのだ。

 

*3:昔から朝寝坊のぼくが、最近になって自主的に早起きをすることになったのが不思議だ。小学生の頃から習慣化されていれば、困難なく毎朝を充実した時間として過ごせていただろうに。

 

*4:身体の動かし方は重要だ。ぼくは小学生の頃から大学までサッカーをやっていたが、身体というものに意識的になれたのは中学時代に腰を痛めてからだ。伸ばすべき筋肉を感じながら入念にストレッチをしたり、走りながら今どこの箇所に疲労が蓄積しているだろうかと考えたり。けれど、それでもぼくは身体の動かし方を知らない方だと思う。もっと骨格や筋肉の構造などを知り、動きのなかでそれらがどのように働くのかを実験、観察していくことが大事だろうと思う。小学生くらいから、そういったことを意識できれば良いのだろうが、これを子どもへ教えるのは難しいだろうな。教育というのは大変に困難なことだ。

 

*5:店長が将棋好きのため、藤井聡太四段の話題はよくあがる。まじで凄そうだと動向が気になりだしたのは、abemaの「炎の七番勝負」を見始めてからだ。第三局の「1一銀不成」「2二銀成」での解説者や店長の驚きの声に、思わずぼくも興奮した。ぼくは駒の動かし方を知っているくらいで、あとは盤外の物語などを読んで楽しんでいるだけだが、そんなぼくでも四段の毎局がいつの間にか楽しみになっていた。騒がれる一手のなにが凄いのかを店長に尋ね、「ほお」「へえ」と感嘆して、しかしいまいちよくわからないまま、それでもスターの居る時代に生きていることを楽しめている。スポーツ観戦は好きになれないし、今ではテレビ番組を観ることもなくなってしまって、スターという存在に触れることがなくなっていたから余計に嬉しい。報道の過熱に対していろいろと言われるが、それも含めて、多くの人々が娯楽に熱狂しているのは、すっかりクラスタ化した最近では珍しいことだ。更新された最多連勝記録も途絶えて、熱はすこし冷めたようだが、秋頃には藤井VS藤井も早々と観られるかもしれないことを思うと、これからも楽しみは満載だ。

 

            2017年7月27日(木)