の①:農

 耕すということをしたのは、小学生のときに、母に連れられていった大田原少年自然の家(*1)以降では経験がないように思う。そのときの思い出は、母の運転する車でくねくねと曲がる山道をすこし怖い思いをしながら現地へ向かって、稲を植えたり、猪鍋をつついたり、妙なおじさんの弾き語り(*2)を聴いたくらいの記憶しかないが、今頃になって懐かしく思う。この懐かしさというものは「な①:夏休み」で書いた通り、或る発酵を経てのことだ。そうして、この項目で改めて書くのならば、いつか蒔いた種がしばらくの後に萌芽するような時間経過と同じだろう。あるいは「ぬ①:抜け殻」のような蛹からの完全変態と。

 どうやら、耕し、種を蒔いたり、苗を植えるということは、多くのことに通じているらしい。

 たとえば、ぼくが心底から落語に興味を覚えたのは去年のことだ。それ以前にも落語に触れる機会はあった。実家に居たころ、つまりは高校生以前のころ、テレビで『ぜんざい公社』(*3)を観た記憶がある。上京してから一度だけ父親に連れられて新宿末廣亭へ行ったことがある。それらの時は、さほどの感動はなかった。「ふぅん」というような、すこし冷めたような具合ですらあったのではないだろうか。けれども、それから十年以上の時を経て、突如として興味が芽吹きだしたのだ。ぼくは、母と父から種を蒔かれていたのだ。

 けれども、それより以上に素通りして、忘却してしまった体験がぼくに知られず地中に埋まったままだ。それを掘り起こし、風通しをよくして、英気を養わせるには、ぼく自身が深く潜っていくことでしか叶えられないだろう。そうしてそれは、深く潜った末に、突如として、当然のような顔をして、街に溢れていたりすることも予覚している。ぼくは今も現に、さまざまを素通りしているのだろう。

 農とは、妙な時間の感覚だ。脳ではない、この足や手の平にある皮膚感覚に近い。未来を思い、砂を噛んで、汗を拭って、腕を振るう。耕さなくっちゃならない。コンクリートみたいに固くなったこの頭と世界とを。その隙間から、なにが差しこむだろうか。まるでタイムカプセルのような毎日になるだろう。苦楽がそこから噴出して、ぼくはくらくらとよたれるに違いない。何よりの酔い心地だとは思わないかな。

 

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*1:ぼくは山口県出身なのです。このことを思いだして、年明けはモロッコへ行くのにも良いけれど、少年自然の家に入り浸るのもいいかもなと思いはじめてきた。

 

*2:そのおっちゃんのサインを貰ったのを覚えている。実家にいるまでは、その色紙ですらない厚紙は部屋に飾られていたが、いまは何処に仕舞われているだろう。あのときに、おっちゃんが何を唄ったのかも覚えていない。けれども、はじめて音楽というものを生で体験した時間だった。

 

*3:いまは昔昔亭桃太郎のそれをよく見返しては笑っている。しかし、当時観た高座が誰のものだったかは思いだせない。噺家ではなく、噺だけを覚えているというのも面白い。人ではなく、物語という本質に近かったのは、違いなく今ではなく幼い心だったろう。

 役所へ行くたびにこの噺を思いだす。

 

    2017年7月30日(日)(*4)

 

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*4:今日は「に」「ぬ」「ね」「の」を一挙に書いた。だからこそ、すべては通じている。地下茎か。人の思考というのは不思議だ。縁、空、色、そういったものを思う今は、日付を跨いで31日の月曜日だ。明日の仕事に遅れないようにしなくてはならない。(*@)

 

*@:いつの間にか窓明かりの消えた高層マンションを仰ぎ見る六畳間。