へ①:屁

 屁はガスだ。摂取された食物が消化されていく過程で生まれるらしい。

  (*1)

 屁は、大方のイメージとして臭いものだ。臭いものの代名詞は糞の方かもしれないが、糞だとビジュアルすらもイメージされるために、気体である屁の方が使い勝手がいいだろうと思う。いやもしかすると、屁の出処である肛門が、それも毛がびっしり生えてトイレットペーパーを絡みつけているような肛門が、人によってはイメージされるかもしれない。そうすると屁の方がより直接的に臭いように思えてくる(*2)。

 屁の、「へ」という変てこで脱力するような語感は、屁から来ているのか、「へ」そのものから来ているのだろうか(*3)。

 屁をおならとも言う。女房言葉の「お鳴らし」から来ているというのを以前にみたことがある。たしかに、屁と言うよりかは、おならと言う方が丸味を帯びる。すこしでも品よく言うためのものだったろうか。あるいは隠語か。けれども今ではすっかり隠す効力を失ってしまっている。おならはおならなのだ。

 おならに限らず、隠語がお天道様の下にさらされて市民権を得てしまうことが多々ある。そうなると言葉は退屈になる。気体のように、人々へ察知されずにするすると動きまわる言葉の方が活き活きしているように思う。そこには幽かにアングラな微香が漂うからかもしれない。そうしてそういうスリルを好む人が使いはじめ、使う必要もない一般の人々にも知れ渡っていき、秘匿されたものが暴かれ、効力を失うのだ。

 とは言っても、今でも公にされていない隠語がそこら中に潜んでいる。他の言葉の姿を借りて、あるいは寄生して、人々の目や耳を盗んで生きている。そのことを思うと少しく嬉しい(*4)。

 しかし考えてみると、すべての言葉は隠語の要素を持っている。ある言葉を見聞きして想起するものが人それぞれで違うように、使う言葉の背景が人の数だけ違うように、そのような言葉の内実をわずかでも共有できる存在が仲間と呼ばれるように。

 言葉は屁だ。屁のように視認することが叶わない。エレベーターのなかのスカシッペのように出処を曖昧にして人々の鼻を盗む。妙な香しさで脳に直接うったえかける。

「屁みたいなもの」という表現がある。たいしたことない、くだらない、というような意味だ。しかし、屁はテロルのような激烈なものでもあるから、使いようによってはたいしたことあるのだ。屁みたいな大事だったりもするのだ。(*5)

 

―――

 

*1:屁にまつわる話があるわけではない。今これを書きながら、必死にひりだそうとしている。ガキの使いの『ヘマチドパリ』のような具合だ。

 

*2:あるいは肛門の皺を想起させるかもしれない。そうして人によっては、その皺の数から、好きだった人のことを思いだしたりするかもしれない。

 

*3:け、す、ぬ。他だとこの三つがまぬけなように思う。

 

*4:人知れず蠢く存在に魅了される。ロマンというものがそこにはあるからか。

 

*5:必死にひりだしてみたが、消化不良だ。多少は屁が出たろうか。屁が出るということは、まだ実が体内にあるとも考えられる。糞の出る前兆と思えば、この項目は何かしらかの発酵過程だろう。それの出来上がるのをひとり楽しみにしている。実際、隠語というものを考えるきっかけになりそうだ。

 

    2017年8月6日(日)