ほ①:本当のこと

 本当のことを言うと、あるいは、本当のことを言おうとすると、ぼくの眼には涙がにじむ。

 そんな経験が何度かある。おそらく、一番はじめは家族の前で就職はしないということを告げたときだった。次は、数年前に女の子に告白をしたとき、そうしてつい最近、バイトの女の子を叱る時、わけもわからずに涙が滲んでいた。「わけがわからない」というところにヒントがありそうだ。

 たとえば、考えていることと思うこととが反対へ引きあうために、どうすればいいかわからなくなって泣くのかもしれない。

 もしくは、言おうとすることが、本心でないことを知って、必死に引き止めようと、目が涙を流すのかもしれない。

 もっと重要なことは、本当のことを言う相手がいるからかもしれない。本当のことを言えば相手を傷つけてしまうという罪の意識に反応しているのかもしれない。

 なににせよ、そのような経験はまれだ。普段から平気で嘘をついたり、本当だと思うことを話したりしても、ぼくの目に涙がにじまない限りは、それは本当ではないのかもしれない。真偽を見極めるひとつのセンサーを手にした気分だ。良いか悪いかはよくわからないが。

 これはぼくだけだろうか。皆も同じような経験や、機制が働くのだろうか。

 涙というものは不思議なものだ。有名な文句で、「悲しいから涙が出るんじゃない。涙が出るから悲しいんだ」というものがある。これは誰の言葉なのだろう。この言葉の通りだとぼくは思う。ぼくたちは少しばかり頭でっかちになってしまって、身体の反応に無頓着になっている。目の流す涙の方を信頼すれば、世の中はもっとクリアになるような気もする。

 涙の不思議さについてもう一つ書くと、ぼくは小さい頃、他人が目薬をさしているのを見てもらい泣きしていた。彼らの頬を伝う水分に、ぼくの目も反応して泣いてしまうのだ。そのことを少し前に思いだして、勤務先のスタッフに手伝ってもらい、まだもらい泣きできるかを検証してみたが、涙は流れなかった。ほんの僅かだけ滲む程度だった。これは一体なんなのだろう。異常な感受性なのか、だとすれば、ぼくのそれは薄れてしまっているということになる。それは少し残念な気がする。

 

   2017年8月6日(日)