く①:空気

 空気の澄んだところがいい。けれども空気の悪い都市生活に慣れてしまった。時々、そのことを身体の方で咎めてくれるために、風邪や何かの症状があらわれる。熱や汗や下痢や嘔吐や涙によって身体が洗われるのだ(*1)。

 しばらくぶりの帰省で、あるいは遠い旅先で体調を崩すことが度々ある(*2)。環境が変わることで緩み、解放される精神状態が、日常と悪戦苦闘していた身体にまで及び、高圧状態にあった病魔が一息に噴出されるからだろう。その段になって、日頃から身体に負担をかけていたのだなとあらためる。

 身体が不調を訴え、自浄すると、気分がすっきりする。実際に何かしらかのタンクが空っぽになったからだろうと思う。だから再びタンクが一杯になるまで生活を送ることができる。環境が変わり、身体が吐き出し、空っぽになることで、新しい空気を吸い込んでいけるのだ(*3)。

「空気をよむ」というときの空気は、余白として捉えられるべきだ。読むというくらいだから行間といってもいい。だからその空気から読み解かれるものは各個人によって千差万別だろう。問題なのは、空気をよんだあとのアウトプットのされ方だ。それが場の雰囲気を乱すと「空気をよめ」と注意されたりするが、その注意の仕方もよくない。空気はよんだのだ。よむというインプットはしたが、アウトプットの方が他の人たちと少し異質なだけなのだ。その異質、差異にもっと注意を向けなくてはいけない。同じ場の空気をよんで、彼はそれをどう解釈してアウトプットをしたのかというブラックボックスに光を当てなくてはいけない。それが会話の楽しみだ。もちろん、空気を悪くするアウトプットの方に問題は残る。場に程よく馴染み、かつ変化を与えるような、グラデーションを施すアウトプットが好まれるだろう。

 たとえば、四人が座卓を囲っている。座卓の上には碁盤があって、四人がそれぞれ碁石を持っている。けれどもその碁石は白黒ではなく、さまざまな色彩の碁石であって、もっと言うならばそれは水彩絵具だ。それをもって四人で囲碁をする。囲碁は陣取りゲームだというが、水彩絵具では境界が滲んで不明瞭になる。だから或る色のすぐそばに、それとは取りあわせのよくない色を置くと、混じりあって妙ちくりんに変色してしまう。そのことを人々は嫌がるのだ。だから、もしどうしてもその色を置きたいのであれば、囲碁みたいにはじめは遠くに置いてみるといい。ゲームが進んでいくうちに、遠くのその色が上手い具合に効いて、他の人々もアプローチの仕方を工夫したりする。ゲームが終わる頃には、或る箇所は妙な色の取り合わせで真っ黒になったり、あるいは余白のままの箇所も残るだろうが、その四人でしか生まれないものが出来上がっているはずだ。これを会話と呼ぶことが出来ればいい。こういう会話の出来るような空気の読み方がいい。たいていの「空気をよめ」という注意には、色や置き場所の指定が含まれているから厄介なのだ。それはもはや空気ではない。悪法だ。

 そんな悪い空気の都市にいるのだから疲れるに決まっている(*4)。

 

―――

 

*1:細野晴臣横尾忠則の『Cochin Moon』で、横尾忠則の言葉がサンプリングされている。「ぜんぶ出してしまった方がいい」というような内容だ。下痢することを目的としてインドへ行った細野晴臣だったが、口に入るものには最大限の注意をしていたという。けれどもその注意の隙間から常に願望が覗いていて、ついには氷にあたったらしい。悪夢のような時間が続いて、そのあいだに、横尾忠則が右のことを言っていたという。

 

*2:今年になって部屋を引越した。引越してから数日も経たないうちに、ひさしぶりに体調を崩した。そのときに、ここに書いたことを考えていた。

 

*3:母も、遠出をすると決まって体調を崩す。一緒に外国へ旅行したことが二度あるが、二度とも滞在先のホテルで寝込んでいた。一週間くらいの短い旅ではなくって、もっと長い滞在であれば、きっと母も、通過儀礼としての不調を乗り越えられ、新しくなった身体で活き活きと街を歩けるだろうに。

 

*4:空気をよむことが日本の伝統的風土だと言われれば、どう答えよう。空気をよむ人々は、なるほど、余白のうちで戯れているのかもしれない。しかし、醜いものとして映ってしまうのは何故だろうか。その内側、深層で自覚された戯れではないからか。

 

          2017年7月17日(月)

 

 

 

き①:着物

 着物が欲しい。落語を観ていての憧れだ。しょっちゅうは着ないにしろ、遠い旅に出かける代わりに着物姿で出歩きたい。そうすれば少し世界が変わるような気がする。

 ずいぶん前に『ニッポンのサイズ 身体ではかる尺貫法/石川英輔』を買って、ほとんど読めていない。たぶん第二章あたりくらいまでは読んだ気もするが、そのような章立てだったかも覚えていない。

 この本を買ったわけは二つある。ひとつは、古典落語では物語舞台当時に用いられていた単位が出てきて、ぼくの方で描写読解がぼやけてしまう。それで久しぶりに本腰を入れて勉強しようと思ったからだ。けれどもすっかり頓挫してしまっているから、そのことを思いだして少し気の塞がるような思いがある。

 わけのもうひとつは、メートル法という近代的な単位設定に違和感を覚えたためだ。国際基準に統一されることによって、各国、各文化のさまざまな長さや重さなどの単位が零れ落ち、忘却されてしまうことがもったいなく感じられて仕方がないのだ。

 メートル単位の定義は、北極点から赤道までの千分の一というもので(非常にあいまいな記憶)なんだか途方もない。そうして質量のキログラム単位は、1/10メートルの立方体に入れられた水の重さと定義されている(このくらいのことは調べて正確に書いた方がいいのだろうか?)。こうなるとややこしくって仕方がない。

 それに比べて身体尺度は「ここ」から測られるから解りやすい。と書いたが、その基本単位がぼくには記憶されていないため、身体的な尺度はメートル法以上に遠いものになってしまっている。ぼくと世界のあいだから身体が抜け落ちてしまっているような気分だ(*1)。ぼくはもうすっかり観念的な存在になってしまっている。そのことが嫌で本を買って勉強しようと思ったのだけれども。(*2)

 着物を仕立てる際には未だに尺やら寸やらで測られるらしい。そのことをきっかけにして、いま一度この身体で世界を生きてみたいのだ。

            2017年7月16日(日)(*3)

 

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*1:このことは「ゆ」の項目で書くつもりでいる。「ゆ①:幽霊」だ。

 

*2:勉強するという時点で「それは違うだろう」とも思う。

 

*3:これを書いた今日、映画『ふたりの旅路』を横浜の「ジャック&ベティ」で観た。「あ①:アーロン・ゴルドベルグ」の注釈でイッセー尾形について書いたのだが、それから思い立って久しぶりにYouTubeで一人芝居を観て笑った。関連動画に、イッセー尾形の出演している最新映画の予告を見つけ、これは観なくってはいけないと思い、鑑賞しにいってきたのだ。映画館に行くのはいつ以来、なに以来だろうと思いかえしたが、さっぱり思いだせない。だから上映前から興奮してしまっていて、いまのところの作品に対する感想は素晴らしかったとしか言えない。いや、作品というよりも、映画そのものが素晴らしいという感動だろう。詳しい感想などはしばらくの後に、どこかの項目の脚注に紐づけようと思っているが、叶うかどうか自信がないので、ごく簡単に感想を書きたい気分なので書く。

 客層はほとんどが六十代以上という感じで、見た範囲で若いのはぼくともう一組くらいだった。

 なによりも主演の桃井かおりが最高にキュートで、ずっと観ていたいと思った。イッセー尾形はすっかり白髪になってしまっていたが、セリフの独特な言い回しやセクシーさは健在で嬉しかった。ふたりの掛け合いなんて最高だった。

 ケイコさん(桃井かおり)がラトビアでの着物ショーへ出演するのをきっかけに物語が展開するのだが、思えばここでも「着物」だったのだ。たしかに予告でそのことを知っていたはずなのに、書くことと観ることが見事に一致してとりあえず驚いた。それで一層おもしろく観られたのだろう。さらに言うと、ニュアンスは違えど「幽霊」すら出てくる。興味関心事が組み込まれていて嬉しかった。いや、世界的な関心事が知らずぼくに組み込まれているのかもだが。

 主演ふたりの年齢が両親に近いこともあって、きっと他のお客さんとは違った視点で映画を観られたように思う。諸先輩方の感想を読んでみたい。それを含めて、また後日、ゆっくり感想を書こうとは思っている、と思う。

              

 

か①:柿

 何よりも先んじて頭に浮かんだのが「柿」という言葉なのだが、すぐには書く内容が思いつかないので困った。「牡蠣」であったならば多少は救いがあったように思う。父が昔に生牡蠣で食あたりを起こしたというエピソードから何かしらの広がりが見えそうなのだ。もしくは「柿の種(柿ピー)」であれば、酒に紐づけた思い出があれこれある。しかし「柿」が思いつかれたのだから仕方がない。

 最近は柿を食べない。そもそも上京をして果物を食べることも少ない。ひとり暮らしの家で食べるとすればバナナだ。季節によってはみかんやりんご、梨も買って食べる。柿は買わない。今まで買おうとも思わなかった。けれども実家に居たころには毎年しっかりと柿を食べさせてもらえていたし、好きだった。柿は母の手でくし形に切られ、大ぶりの種(*1)はそのままで皿に盛られて食卓に出て来る。柿の形状や硬さのためなのか、皮の剥かれたところはりんごなどとは違って角張ってしまっているのが常だった。種を指でほじくりだし、あるいは舌をつかって果実と選り分ける。熟してやわらかくなった触感はけして気持ちのよいものではないが甘くって美味しい。ぷっと種を吐き出すと、皿のうえにカランと音を立てる。きれいに実の取られた硬質で黒光りする種が好きだ。

 小学校低学年のころに、沖縄から越して来た友達の家によく遊びに行っていた。なぜ彼の家ばかりに行っていたのかは今となっては定かでない(*2)。彼は丘の上の白く綺麗なアパートに住んでいて、庭には芝生と、のぼって遊べる岩がいくつか置かれていて、そこで遊ぶのが楽しかったのかもしれない。その庭を駆け、忍者ごっこ(*3)をしていたのをいま書きながら思いだしてきた。彼の部屋にはニンテンドー64があって、みんなはよくスマブラをやっていたような気がする。けれどもぼくはあまりそれをプレイした記憶がない。やったとしてもぼくはとても弱かったのだ。どうせ敗ける一方だからと傍から覗いていただけなのだろうと思う(*4)。

 彼の住むアパートのそばに丘を下る長い階段がある。階段の上からは半島の小さな山を遠望できる。左手の道沿いに民家が建ち並び、裏庭が斜面に面している。なだらかな斜面にはコンクリートではなく背の低い緑が植わっていて、丘の下に家並みと小川と稲田が望める。右手は寺の大きな敷地で、丘は削られないままで樹木が茂っている。その一画に柿の木があった。階段の手すりの向こう数歩というところにそれは一本だけあったような気がする。秋になると美味しそうな色の果実がいくつも成り、それをもいで齧りたいなと物欲しげに眺める。結局、採ることはせずに眺めるばかりだった(*5)。きっと近所の子どもたちはその柿をもぎとって食べていたと思う。沖縄から来た彼も、もしかしたら珍しがって食べていたかもしれない。

 しばらくして彼はまた転校していった。同じ学校へ通っていたのは一年だったか二年だったか、そうしてどこへ行ったのかも覚えていない。女の子みたいなくりくりした瞳で、すばしっこいヤツだったように記憶している。

 

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*1:酒の肴の柿の種は、ぼくの知っている果物の柿の種よりもずぶんと小振りな気がしてならない。よく見られる柿ピーがそうなのであって、本寸法の柿の種は、もしかしたら実際の種と同等サイズなのだろうか。

 

*2:彼の家へ遊びに行ったのは、実際には数えられる程度の、それも片方の指で足りる程度だったかもしれない。強く記憶に残っているのがたった一、二回くらいのものなだけかもしれないし。足しげく通っていた友達の家の間取りなどは或る程度思いだせるが、彼の家の間取りがそうでないということは、やはり少ない回数だったのかもしれない。

 

*3:いろいろな忍術をためした。木や壁や岩に紛れる「隠れ蓑の術」。布もなにも持たず、ただ対象に身体をべたりと密着させるだけの術だ。まさか本当に隠れられているとは思っていなかっただろう。「隠れ蓑の術!」と唱えて草むらに飛び込んだりもしていた。なぜ子供は隠れるのが好きなのだろうか。二巡目の「か」の時までにはこのことを調べるなどして考えを書けるようにしておきたい。

 他にも、術の名前は覚えていないが、両手いっぱいに集めた小石を頭上に放り投げて石の雨を降らせていた。いま考えると危険でしかたないが、ぼくにとって最強の術だったはずだ。みんなはわーわー言って逃げていた。

 

*3:外で駆けて遊ぶ時とは違って、室内でみんなでゲームをする時間は苦手だった。格闘ゲームやレースゲームなどではきっと敗けるというのもあって輪の外にいたように思う。ぼくのやるゲームはたいていがRPGだった。一度、彼の部屋へ『ライブ・ア・ライブ』を持って行って概要を彼に説明しながら一人で遊んだことがある。彼は隣で退屈そうにしていた。思えば、このとき忍者ごっこに夢中になっていたのは、このゲームの幕末篇が忍者を主人公にしたものだったからだろう。おぼろ丸という名前だったはずだ。

 

*4:一応は窃盗行為にあたる。小学校の登下校路に広い庭をもつ古い家屋があって、黄緑色の小さい謎の果実を成らす樹木が垣根のようにして植わってあった。下校時に度々、疲れた身体を癒す回復アイテムに見立て、その果実をもぎとって食べていた。渋い果汁が口のなかに広がりすぐにペッと吐き出すのだが、良薬は口に苦いということは聞いていてから、懲りずに次々もぎとり食べた。これも窃盗だったろう。しかし、なぜマズイ果実はもぎ食べ、あの柿はとらなかったのだろうか。あの頃に戻れるならば、あの柿を食べたい。

 

                2017年7月16日(日)

 

 

 

お①:尾ひれ

「尾ひれをつける」という表現がある。話などに誇張を交えることや、事実でないことを付け足すというような意味合いで用いられる。

 頻繁には耳にすることのない言葉だから、みんながどのような思いがあって使うのかよくわからない。「事実でない付け足し」という意味合いをみると、余分、余計という邪魔臭く思うような節があるようで、「尾ひれをつける」はどちらかと言えばネガティブな方へ傾いて使われているのかもしれない。

「お」の項目を書くにあたって、この「尾ひれ」を「尾ひれをつける」という慣用句で思い浮かべたのだが、そのときにイメージされたのは魚の尾ひれと孔雀の飾り羽だった。前者は当然として、後者は「誇張」や「事実でない付け足し」といった含意が、やたらに大きく華麗な孔雀の飾り羽を思い起こさせたのだろうと思う。

 孔雀の飾り羽は異性を惹きつけるため、という通説を鑑みると、尾ひれをつけて話すということもセクシュアルな意味をもつ。あらたまって言うほどのものではないかもしれないが、大げさに、ありもしないことを付け加えて話をするというのには、なにがなんでも相手の興味を惹きつけて、話に耳を傾けさせようという動機がある。その意味で、「尾ひれをつける」は、誇張や付け足しということより以上に「注意を向けさせるために」という目的の方に重きを置けるのではないかと考えた(*1)。

 アイキャッチとしての尾ひれや飾り羽であり、それを余計、余分、さらに進んで無駄などと言われ、斬り捨てられたなら、物語(*3)は失われてしまわないだろうか。いや、それでもなお、なんとか子孫を残すために、口伝するために、各々が知恵を絞ってアピールするのだろう(*4)。

 

―――

 

*1:すると「話に羽をつける」といったような言葉のほうが通りがいいことになってしまい、「尾ひれ」である必要がなくなってくる。やはり「尾ひれ」には特有の意味合いが込められているのだろうとも考えなおしている(*2)。たとえば尾ひれが孔雀の羽ほど優美ではないことから、不細工な、無粋な付け足しといったネガティブな要素があるのかもしれない。しかしそれだと「野暮」という方に傾くか・・・。

 

*2:鰭(ひれ)は魚にとっての運動器官だ。水をかいたり、方向転換のために使われる。その意味で、話の推進力になったり、脱線させて話に花を咲かせるためという意味合いが含まれているのかもしれない。「花を添える」という言葉の美しさにあらためて気がつかされた。

 

*3:生物種自体の存続と、その歴史や語ることを含めて。

 

*4:と書いていて、この事典の正当化であることに気がついた。それでは、この尾ひれだらけの事典が、その尾ひれをもぎとられた後に何が遺るか。ぼくはそこに空しさを覗きみてしまう。それを覆い隠すための言葉や物語なのではないだろうか。慰みとも呼べてしまうかもしれない。けれども、無駄なものに大事があるのだと思う。これは飛躍か? はは、それで結構こけこっこー。飾りの羽で彼方まで飛んでいこうではないか。がはは(*5)。

 

*5:とは言えど、尾ひれや飾り羽は虚飾にすぎず、シンプルな力のみで生きるものもいる。無駄を省いた、洗練されたもの。いつかはそのようなものが書けるだろうかと夢想している。目には見えないこの夢想が尾ひれであるのならば、飾りの羽であるのならば、ぼくは自らでそれをもぎとらなくてはならない。フリーザの最終形態をふと思いだした。いや、あいつにも尾は残ったままだったか。

 

え①:絵描き

 物心ついたときから絵を描くのが好きだった。それは絵の上手い長兄の影響だ。十二歳はなれた長兄は自分でパロディ漫画を描いて、幼いぼくはよくそれを見て楽しんでいた。聖闘士星矢のパロディだったはずだ。長兄オリジナルの、丸いのっぺらぼうの顔に口だけを描いたキャラクターが聖衣を着て悪者と闘うようなバトル漫画だった。彼はぼくが小学校へ上がると美大進学のために実家を出ていった(*1)。

 次兄も絵が上手だった。彼が中学生のとき、美術の時間に制作した版画が県のコンクールに入賞して、ぼくは親と一緒にその展覧会へ行った。作品は、畳の上の椅子に腰掛けてテレビのリモコンを持つ、次兄の自画像だったと記憶している。

 兄二人の絵心は母方の血脈によるらしい。祖母はちぎり絵を長くやっていて力作が何点もある。皺々の祖母の手でちぎられる薄い和紙が台紙のうえで繊細に貼りあわされていく光景を、祖母の家の和室で観ていた(*2)。母も絵が上手で、作品というような立派なものを見たことはないが、何の気もなく少ない線で素描されたものがなんとも小気味よくって、きっと本気を出せば凄いものが出来上がるのではないだろうかと子バカのぼくは今でも思っている。彼らに比べると父は絵心がないらしい。自身でもそう言っていた。が、若い頃から映画俳優が大好きな父はポール・ニューマンだったかクリント・イーストウッドだかの横顔だけはすらすらと描ける。父はその横顔と一緒にファンレターを本人へ送ったことがあると言っていたが、酔っぱらって尾ひれをつけたのではないかとも思っている。

 こういう具合に、ぼくは家族の描く絵が好きだ。家族でなくとも、絵画を見るのは好きだ。しかし、本当に絵画を食い入るように観はじめたのは、佐藤春夫の表紙画にあった『花咲く木/パウル・クレー』をみて以降だ。それはまるでぼくのことを、ぼくの思考や視覚や精神をまるきり反映したような作品に思われた。それまでのぼくの鑑賞態度は、「これは何を反映していて、この文脈で云々」というように本で得たものに則って、あるいは解説を読むなどしながら理解しようとしていたのだが、『花咲く木』ははじめて、説明的な言葉を越えて、一目に、一息一瞬で心を奪われた。それは作品に出逢うまでのぼくの思考や何やらがあったうえでの、それらと一致したというような感動ではあるが、作品を読み解くという時間の経過などはなかった。今までの人生の経過すらを凝縮したような、いや、すっ飛ばされたような邂逅の仕方だったのだ。そのときの感想は「これだ!」(*3)というたった一言だった。絵画をごく身近に感じられたはじめての瞬間だった(*4)。

 ぼくにとっての絵描きというのは、まずは長兄がいて、彼を中心にした家族があり、そこから何かしらかのリンクがあってパウル・クレーがひとつの銀河系をつくっている。簡単に書くとそういうことだ(*5)。

 

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*1:長兄の描いた『虫の息』という作品が一度だけ何かの新人漫画大賞らしきものをとった。だからというわけでもないが、ぼくはその作品が大好きだ。そこから多大な影響を受けてもいる。手元にはその作品の掲載された雑誌はなく、いまでも読み返したくて、ひさしぶりに長兄に会った時にそのことを伝えると、「美化された思い出だろうよ」とそっけなく返された。

 

*2:祖母は眼が悪くなってしまって、いまはちぎり絵を制作していない。そのことが寂しくって仕方がなく、実家へ帰省する度に「もうつくらないの」と祖母へ尋ねてみるが、「もう目がダメなんよ。指先も震えていけん・・・」と零す。

 

*3:志ん朝の『井戸の茶碗』のなか、或る屋敷の窓の下を通る屑屋たちが、その屋敷に住まう若い侍にいつも顔を確認されることを不思議がって話しあっている際に、主人公の清兵衛が「それはわたしにかかわることではないか」とわけを説明すると、或る商人が手を一度パンッと叩いて人差し指を清兵衛へ向けて「それだ、それだよ」と言うシーンがある。この商人が「それだ」と手を叩いたときには、彼のなかで不思議がすっかり晴れたのだ。そうしてそれがとんでもないひとり勝手な思い違いであったとしても、彼にとってはすべてが理解された瞬間なのだ。ぼくの「これだ」と商人の「それだ」が近い感覚に思われないこともない。するとこれは落語でよく現れる「粗忽」とも通じるところがあって・・・この説明は余計な混乱を生む気がしてきた。

 

*4:絵画作品を身近に感じる瞬間は、その作品を眺めているときに限らない。パウル・クレーを知ってからは、街を歩いているとき、部屋の畳に寝転がっているとき、そのような何気ない生活の隙間に、以前にみたことのある絵画やそのニュアンスが入りこんで思考を奪っていくことがある。たとえばゴッホの目を、その内側を感じる瞬間がある。このことについてはいずれ別の項目に書こうとは思っている。

 

*5:ぼくのなかでは、祖母とパウル・クレーが繋がっているらしい。薄い和紙をちぎり合わせていく点描画のような、モザイクのような祖母のちぎり絵の雰囲気が、作品の掛けられたここでもなく、作品の描いたそこでもない何処かを、その作品の向こう側に漂わせていて、或る「見えないもの」を感じ取れるからかもしれない。たとえば古い家屋の、畳の上の祖母の眼差しや指先、刷毛や糊やピンセットなどの道具、小さな庭に植えられた知らない植物や白いレースのカーテンが揺れるのや、座卓のうえにあるおかきや煎餅、そういった風景が祖母のちぎり絵にはある。

 

 

 

う①:宇宙

 大学時代からの友人であるS君(*1)は、たとえば一緒になって酔っぱらい、心地のいい音楽を聴き呆けていると、静かに「宇宙」と独り言つ。その言葉をはじめて聴いたのは、二十歳前後の頃の彼の部屋だったか、野山の中の暮れ時だったかははっきりとは覚えていない。けれども、その突然のフレーズの真意をはかろうとS君の顔をちらり見たことを覚えている。彼は、しかしそれきり何を言うのでもなく、うっとりと空方を仰ぎ見ているだけだった。それでぼくも身体を重力にだらしなく預けて空方を仰ぎ見た。言葉を交わさない酔い心地の空間にただ音楽が流れていくのをあらためて感じていると、なんとなく、S君の言わんとしていることがわかった。いや、そのことを覚えたと言ったほうがいいのかもしれない。「ああなるほど、この感覚を宇宙と呼ぶのか」という具合に、以前からぼくも知っていて、しかし素通りしてしまっていた或る感覚が、そのときS君によって名付けれられたのだ。わけもなく心地のいい、広がりのある空間に溶けいり、紛れていくような感覚を、S君は「宇宙」と零したのだと。それはそのときのぼくの勘違いにすぎないかもしれない。彼はまったく違う世界を思っていたかもしれないし、それは当然のことだろうとも考える。けれども重要なことは、今でははっきりと、あのときの空間と時間を或る「宇宙」だったと認識しているぼくが居るということだ。

 

―――

 

*1:S君とぼくとは大学の学科は違ったが、自由選択の授業を一緒に受けたりした。民俗音楽、宇宙学を選択し、体育サッカーへ潜り、ゼミは彼の入るところへぼくも行った。宇宙学は理系学部の授業で、文系の学生が受講するのが珍しかったらしく、先生に喜ばれたのを覚えている。そのことに因るわけではないが、この頃から、ものをふらふらと学ぶことをはじめていた(*2)。民俗音楽の授業では、今まで単に聴いて喜んでいた音楽を学ぶという楽しみを知った。ゼミは他学科のものだったから内容についていけなくなって後半はほとんど欠席してしまっていたが、そこで学んだようなことが今さらになって芽生えてきている(*3)。

 十年前のS君との「宇宙」という共同体験は音楽をきっかけにしてだったが、そのトリガーはさまざまなところに散りばめられているということを知れている今だ。そうしてぼくなりのこの事典もまた或る宇宙をここへ再現しようとする試みでもある。

 

*2:ふと思い返すと、このふらふらと脇道へ入っていく学び方を習ったのは中学一年の理科の授業でだったかもしれない。担任でもあった理科教師のA先生は、初めの授業でノートの取り方を生徒に指定した。ノートの右側四分の一くらいを縦に割り、左側の広い方は授業内容や板書をするために用い、右側は先生のする関連話や無駄話などをメモするように、ということだった。妙なノートの取り方もあるものだなあと思ったが、従順なぼくは言われたとおりに右側のメモ欄を埋めていっていた。そのメモで今でも覚えていることはたった一つしかない。「思いやりは、重い槍にもなる」というようなことだ。このフレーズだけが何故いまでも覚えているのかはさっぱり分からないが、いまのぼくの一部を形成しているのは間違いなさそうなのだ。駄洒落という言葉の面白さや、自他の境界によるすれ違い(*4)など、今でも改めて考えることが多いメモだ。そうして、このノートの取り方は、注釈ばかりのこの事典とそっくりだなあとも思う。

 

*3:いつもそうだ。後悔ばかりの人生で、それならば次には後悔せずに最善を尽くせるようにと頑張ったりなどしてみるが、別のところで後悔は生まれることを止めてくれない。後悔する段になって「後悔はしないようにする」ということもなんだか奇妙な、抑圧的なことのようにも思えるし、いまだに付き合い方の難しい感情だ。なんだか後悔がぼくを生き伸ばしているようにすら思えてしまう(*5)。

 

*4:S君とは今でも時々会って飲む。彼は立派な職に就いて、趣味も楽しんでいる。彼の話すことはいちいち面白いし、勉強にもなる。ただひとつぼやけてしまっているのは、彼と一緒に宇宙を感じることがなくなってしまったことだ。おそらく、それぞれが思い描いて嘆息する宇宙観が、すこしずつ離れていっているからだろうと思う。そのことを悲しく思うのではない。「或る青春の去りし日々」というようなことをふと思う。

 

*5:注釈を際限なく付け足していきたくなる。このことも、懸命に延命するぼくの生き方に似ている。

 

 

い①:井川遥

 特別に彼女が好きだったというわけではない。それなのに「い」からはじまる言葉で何よりも先に彼女の名前が思い浮かんだ。

 当時(というのはぼくが中学一年生くらいの頃だから十五年以上前のことだ)、彼女はたしか「癒し系」というようなキャッチコピーで人気を博していた(*1)。けれども、キムタクや明石家さんまと一緒に出演したサスペンスドラマでひどい演技をして以降、しばらくのあいだテレビではみなくなった記憶がある。たしか彼女は劇中で殺されてしまうのではなかったろうか。もしかすると、あまりに演技がひどくって、急きょ途中降板という形で役柄を剥奪されたのではないかと、今ふと考えた。ドラマ自体も面白いものではなかったと記憶している。なんだかいやにハラハラとさせる音楽が使われていたはずだ(*2)。

 このようにあまり良い印象のない彼女の名前が浮かんだのにはもっとわけがある。彼女の人気が絶頂だったころ、ぼくは近所のコンビニで週刊少年誌をよく立ち読みしていた。それまではジャンプ一択だったのが、巻頭にアイドルの水着姿が掲載されている意味合いを知ってからというもの、マガジンやサンデー、そうして意を決してこそっと「ヤング」を冠した隔週誌に手を伸ばすなどしていた。そうして或る朝、中学校の教室で、そんなぼくの姿を見たと、当時好いていた女子(*3)がニヤニヤと笑って告げてきたのだ。

「昨日、井川遥みてたでしょ。わたし観てたよ」

 前日の夕時に、コンビニでマガジンを立ち読みしていたのはたしかだ。そうしてそのときグラビアを飾っていたのは井川遥でもあった。しかし、断じて彼女を熱心に見つめていたわけではない。いや、たしかにいつもの習慣でさっと目は通したかも知れないが、それほど興奮を覚えるようなものではなかったのだから(*4)、読んでいたのは掲載漫画の方にきまっているのだ。「いや、見てないよ」ぼくがすこしとぼけて、しかし強めに否定すると、彼女はそれ以上にはしつこく言及してこなかったが、なんだかずっと悪戯気に笑っていたことを覚えている(*5)。

 きっと性の目覚めと、その秘匿が暴かれるという体験が強く意識されてのことだろうとは思う(*6)。だから特別に好きでもない井川遥という名前が容易に、なによりも先んじて思い浮かんだのだろう(*7)。

 

―――

 

*1:本当は違うかもしれない。けれど正確なことは調べない。ここで書くことは社会の記録より以上にぼく自身の記憶を優先する。だからさまざまなところで隔たりが生まれるとは思う。

 

*2:今にして思うと、この頃からハラハラを誘う類の娯楽が好みでなくなったような気がする。ドラマや映画もそうだし、それまでたくさんプレイしていたRPGも、ボス戦での緊張感が苦手になってしまい手をつけなくなった。それからは畑を耕すゲームや、カクテルをつくるゲーム、ゲームを止めろというゲームをだらだらとやっていた。

 

*3:そのコンビニは彼女の親がオーナーだった。だから彼女もそこへ頻繁に出入りしていたのだろう。この事件以降、ぼくはそこで立ち読みする機会が減った。それでも立ち読みをしたい時は入念に辺りを警戒し、やがてコレはというものは購入するようになった。購入するようになって一層に欲は増していった。

 

*4:水着アイドルとしてすぐに思いだせるのは、ほしのあき熊田曜子山本梓酒井若菜、優香、乙葉眞鍋かをり安めぐみ杏さゆり井上和香森下千里小倉優子安田美沙子川村ゆきえだ(順不同)。ぼくのなかで井川遥はここには入らないのだ。そうして世間を席巻したイエローキャブは好きになれなかった。ちなみに中学時代に誰よりも夢中になったアイドルは平山綾だった。『ウォーターボーイズ』で彼女が自動販売機に飛び蹴りをくらわし、「コツがあんの」と缶ジュースを手渡す登場シーンは今でも鮮明に思いだされる。大きな瞳、いたずらッ気のある笑顔。

「唯高の鈴木くんでしょ?」

「え、なんで?」

「ずっと好きでした」

 写真集を買った。はじめてブログというものを知った。キャベツをたくさん食べるとおっぱいが大きくなるという謎が生まれた。彼女の出演するゲームを買った。くそつまらなかったが、親のいないとき夢中でプレイした。そのゲームの劇中歌が好きだった。たしか『オールドフレンド』という歌だった。歌詞は思いだせないが、メロディなら覚えている。

 

*5:彼女の表情を思い返すと、いつもその裏側をぼくに垣間見させるようなものだった。笑ってはいるが他を含み、そっぽを向いているがジッと観察しているような。けれども確かに彼女がそうだったのかは知らない。そういった裏を感じることが、妄想することが、好きになるということなのかもしれない。

 

*6:「*5」とは反対に、隠したい性という裏側を見られたことが、彼女との共犯関係をぼくの方でひとり勝手に紡いだのだろう。

 

*7:本当に好きではなかったのだろうか。現場を目撃されたことで必死に否定するあたり、大変に怪しく思われてきた。見ていないという自分への隠蔽が働いているかもしれない。しかし何にせよ、ここで重要なことは、「い」で思い浮かんだ「井川遥」という名前は、好きだった子との或るワンシーンのタイトルだということだ。