も①:モザイク

 アダルトビデオにおいて、陰部にモザイク修正が掛けられていることを煩わしく思う時期があった。海外ウェブサイトが配信する無修正モノを知ってとびきり興奮した記憶もあるが、少し前から、どうもぼくにはアダルトビデオはモザイクの掛けられたものの方がよりエロく映るようになった。

 それはおそらく、ぼくの初めての出逢いが修正されたアダルトビデオとだったために、モザイク自体が興奮を催させる大事な要素としてあるからだろう。以下、そのことをもっともらしく補強していく話になる。

 モザイク修正というのは、非可逆変換処理が施されている。或る領域の色値を平均化したり、代表値を算出して塗りつぶしたりなどして、復元不可能に解像度を下げる処理のことだ。ビットやピクセルからなる画像や映像に限らないで、テレビ番組の放送禁止ワードに被せるピー音なども一種のモザイク加工と言ってもいいだろう。つまりは公共性や教育やなんかの面で悪影響になるだろうからという意味で対象を覆い隠す行為全般を、ぼくはモザイク修正と捉えている。

 このモザイク修正、冒険心(*1)という厄介なヤツが容易く嗅ぎわける。嗅ぎとって、そこへ、その奥へ向かわせてしまう。つまりは少年青年の心へ逆効果が働いて、秘匿という行為がエロティックに見聞きできてしまうのだ(*2)。大人たちが必死になって秘匿するものを何とかして暴いてやろうとする精神や想像力こそが、固いコンクリートに裂け目を生じさせるパワーの源泉となる(*3)。モザイク処理の向こうを知りたいがために、ぼくたちは頑張るのだ。

 このモザイク処理の「モザイク」という言葉の由来は、美術のモザイク画から来ている。小片を寄せ集めてひとつの作品とするようなものだが、このモザイク画の『モザイク』という言葉自体はさらに源を遡れるらしい。(ネット情報だからあやしさもあるが)女神ミューズに捧げられた洞窟に、小片を集めた装飾画があったために、古典ギリシャmouseion(ミューズ神の神殿)から派生してモザイクとなったらしい(*4)。

 言葉自体もモザイクだ。このときのモザイクは非可逆変換処理としてのモザイクでもあるし、小片を寄せ集めたモザイクでもある。

 ぼくたちは巧みに言葉を駆使してコミュニケーションをとり、思考をし、世界を捉え、生きている。言葉のおかげで、あるいは言葉を基にした記憶によって、世界は今のようにして在る。そうしてぼくたちは時折りに、言葉以前の世界に思いを馳せる。学習以前と言ってもいいかもしれない。しかし思い返してみても、その世界は一向に像を結んではくれない。詰まる処、その世界にはモザイクが、非可逆処理が施されているのだ。それと同時に、言葉は今の世界を見せている。その意味で小片集としてのモザイク画がこの世界を映している(*5)。

 この発見も、眼鏡をなくしてから気がついたことだ。裸眼という、像がうまく結ばれない世界を眺めながら、まるで視界全体にモザイクが掛けられたみたいだと思って、行き着いたのだ。ぼやけることによって視えてくるものもある。モザイクがあるからエロく映るものもある。だから、なんでもいいから、映像や画像の一部にモザイクを掛ければ、それは瞬間にエロくなる。まあモノによるが。

 それらしい形や輪郭のものにモザイク処理を掛ければ、それは陰部となる。たとえば、女性が持つ何の変哲もないマイクにモザイクを掛ければブロージョブやハンドジョブの最中っぽく見える。これはアイコラではないから肖像権を侵害しないのではないだろうか。在るものを隠すという意味で、水玉コラに通じているか。そもそも、肖像権の侵害の構成要件を知らないな。

 今回はまた随分と散らかった内容と文章になってしまった。いずれはちゃんとまとめて、モザイク論なるものを書いてみたいものだ。

 

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*1:冒険と聞いて思いだす映画は『インディージョーンズ』だが、ああいった冒険映画の主舞台はなんて言ったって洞窟だ。そこに穴があるからと言ってしまえば下品極まりないかもしれないが、間違いなく、洞窟や裂け目といったものは少年心を疼かせるエロスティークな存在なのだ。でこぼこと隆起する洞窟の内壁にゆっくりと手を這わせ、慎重に深部を目指していくこと、その深部には神秘的な宝物が仕舞われていること、

 

*2:衣服は脱ぐためにある、というような言葉を誰かが言っていた気がする。脱ぐために着るという無駄な行為にこそ文化がある。

 

*3:くるりの『男の子と女の子』を思いだす。この曲は上京したばかりの頃、或る女の子と宮下公園の階段に肩を並べて座って、イヤホンを半分コして聞いた、思い出の曲だ。

 

*4:ぼくもしっかりと理解していないから適当にここは流すとして、しかし、このモザイクの語源がミュージアムと根を同じくすることが嬉しい。美術館、博物館も、つまりはさまざまな作品を寄せ集めたところであり、一種のモザイクであるということだろう。そうしてそこに、或る物語を編むことがモザイクであって、ブリコラージュ落ち穂拾いでもある。モザイクは生きるためのエロスティークを与えてくれるのだ。

 

*5:だから何なのだと言われたら困る。

 

   2017年8月11日(金)