ら①:ライ麦畑でつかまえて

 何度も読み返した本だ。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』ではない。やはり『ライ麦畑でつかまえて』が良い。

 はじめて読んだのは中三のときだったか。初読の感想はあまり覚えていない。けれども、それから高校で二度も読んだのだから、何かしらのつかえがあったのだろう。

 高校のときに読んだのは、読書感想文を書くためだった。そのときに、

「これは僕にとって白米だ。旬によって変わるおかずのすべてに白米が合うように、さまざまな時に応じて僕はこの作品を楽しめるに違いない(*1)」

というようなことを書いた。それを確かめるように、大学で一度、卒業してからも一度よんだ。高校生のぼくは間違っていなかった。

 しかしこれの何が白米足らしめているのか未だにわからない。そのこと自体が、と言ってしまえばそれで終いだ。

 ツヤのある真白なものが食膳の中心に置かれている。ロラン・バルトは天ぷらを「空白の集合体」というように評していたが、ぼくにとって白米と『ライ麦でつかまえて』はそれに近く、ぽっかりと空いた白い穴のように思える。もしくは、それを喰らって消化する胃腸が、排泄する肛門が、それら連なった生きることの空しさの方こそが、ぼくには意識されているのかもしれない。なんだか「気が滅入る」ような類の。

 ホールデンライ麦畑のある崖の淵に立つように、ぼくはいつしか、坂の下にいる自分を想像するようになっていた。誰かが途方もない上り坂の途中で足を止め、ふと後ろを見下ろすと、汚い形をしたぼくが笑って手を振っている。これは『ライ麦』と吉田拓郎(*2)の『イメージの詩』(*3)の影響だ。ぼくはそのようにして生きるのだろうと、十年くらい前になんとなく思った。

 高校の時には『赤ずきんちゃん気をつけて』も読んだ。これはそのときの一度きりだ。そのなかで唯一覚えている文章がある。

「逃げて逃げて逃げまくりさえすれば」

 というもので、この続きがどうしても思いだせない(*4)。逃げまくりさえすればどうだと言ったのだろう。主人公の言葉だったかも覚えていない。読み返せば早い話だが、知るのを少し恐れているぼくらしい。

 そこから逃げようとしながら、なにから逃げているかを知らず、やがてそれを確かめようと思い立って自ら穴のうちに入っていく。人とはそういうものらしい。

 

―――

 

*1:談志がパン食文化のことを小馬鹿にしていたのを思いだす。パン食と言うからには何斤も食べなくてはいけない、ところが連中を見てみると、おかずを食べてちょこっとパンをかじるくらいだ、というようなことを。

 

*2:ぼくが初めて行ったコンサートは広島で行われた吉田拓郎のものだった。小学校低学年だったと思う。当時、長兄が拓郎にはまっていたように記憶している。父か母の知り合いがチケットを手に入れて、それを譲ってもらうかして、母と一緒に行ったのだ。コンサートのことは、ぼくが途中で眠ってしまったのか、ほとんど記憶にない。

 

*3:長い長い坂を登って後ろを見てごらん、誰もいないだろう

   長い長い坂を下りて後ろを見てごらん、皆が手を振るさ

     『イメージの詩/吉田拓郎』より

 

*4:四年前の2013年1月に、ぼくは大阪から九州にむけて歩きはじめた。そのとき「歩く」というよりも「逃げる」といった方が近いように感じられて、ふと「逃げまくりさえすれば」という文章の断片を思いだした。逃避行は結局、金が尽きてしまって断念してしまった。そのときのことも、いずれ書きたいとは思う。

 

    2017年8月13日(日)

 

 

 

よ①:夜

 夜の、眠られるまでの時間の使い方が苦手だ。冷房も扇風機もテレビもWi-Fiもない六畳間ではすることが限られる。酒を呑みながら、TSUTAYAで購入した中古のアダルトビデオを鑑賞して、落ち着いたところで部屋を見回し、寝転がって、本を読むという気力はなかなか湧いてこない。読みかけの本は六畳間のあちこちにコンビニのレジ袋と同じようにして散らかっている。それで結局、スマホのネット制限がかかるまで動画を貪りみて、知らないうちに眠ってしまうのを待つ。

 ヨガでやるような呼吸をすれば気も落ち着いて寝つきが良くなるだろう。そう思って、真っ暗の部屋に仰向けになり試してみると、身体や思考に起こる変化が面白くって、頭は研究するような具合になるから逆に興奮してしまって寝られなくなる。

 夜も更ける頃にはアパートの外では下水の流れていく音だけが聞こえる。昨年、四万温泉へ行った際、渓流脇の部屋に宿泊したのだが、あまりに川が近くて夜通しうるさかったのを思いだしたりする。それに比べると、下水の流れる音の方が遥かに清流然として心地のいいイオンを放っているように感じられる。そのことを面白がってまた眠られない。

 くわえて、夏の暑さが肌にじっとりと汗を染み出させ、肘や膝の裏でたらたらと流れていく。ようやく寝られたかと思うと悪夢に揺り起こされる。どうにも無理だと諦めて、近くの公園や寺社へ出掛けていく。外の方が幾分も涼しくって、しばらくのあいだをベンチに座って涼みながら、時折り過ぎていく自転車やタクシーを眺め、煙草を吸って、部屋に戻る。するといくらかは安らいだ心地で入眠しやすくなる。

 この部屋へ越す前は、マンションのすぐそばで、夜間に線路の接続工事が行われていた。防音幕に覆われてはいるが、モーターの重たい駆動音や、重量車がバラストの上をゆっくり進んでいく音や、工員たちの掛け声などが開け放した窓から部屋に這入ってきて、それに耳を傾けていた。ドリルがなにかを削り、なにかが何かを研摩したりする音を聞きながら、いったい何を造っているのだろうかと空想する。夜も終わる頃、頭のなかには線路工事とはなんの関わりもなさそうな妙ちくりんの機械が出来上がっていて、それを自画自賛する。

 工事の休みの夜には重たい機械音は聞かれないが、何かしらかの装置がずっと音を鳴らしている。ピッ、ピッ、ピッ、と鳴りつづけている。勤め先の飲食店では閉店後に害虫駆除機を作動させるのだが、その音に似ている。静かな夜に、その音だけが延々と鳴るのを聞いていると、ぼくの方で「ああ、彼らは人知れず働いているのだなあ」と妙な気が起こって情が滲む。そうすると、鳴らす装置は生命を得て、秋の虫の鳴き声に思えてくる。秋の虫に思えると少しく涼しい心地すら覚える。そうして空想は拍車をかけていく。

「鳴く虫はオスだけではなかったろうか」

「すると外で鳴るあの音も何かしらの求愛の鳴き声で」

「思えば工事現場には男しか見かけないな」

「いや、交通誘導員で、若くはない、すっかり肌の黒くなった女性が居たのを見たぞ」

「彼女には、そうまでして働かなくっちゃならない生活があるのだろうかな」

「工事現場に女は似合わないな」

 などと。

 一度だけ、工事が休みの夜更けにその現場へ這入りこんだことがある。虫の声の所在を知りたかったのだ。わずかな防犯灯の照らす暗がりのなか、音は徐々に大きくなるが、ついにはその正体を知れなかった。正体を暴く代わりに、その音をスマホに録音し、部屋に持ち帰って、枕のそばで再生して眠った。

 どうやら夜は人を奇行へと駆りたてるらしい。悪夢をみるのも、不安な思いが突如として湧きたつのも、たいていが丑三つ時だ。その意味で、今も昔と変わらずに幽霊はいるのだろう。それは夜と人との間に生まれるらしい。

 

    2017年8月13日(日)

 

 

 

ゆ①:雄弁は銀

 沈黙が金で雄弁が銀という格言が書かれているのはトマス・カーライルの『衣装哲学』らしいが、アマゾンのほしいものリストに長いあいだ入ったままで購入できずにいる。

 この格言は、ずっと黙ったままでいろというわけではなく、然るべき時にはお口チャックしておいた方がいいこともあるぞ、というくらいの意味らしい(*1)。まあ、それはそうだろうと否定はしないし、ごもっともと拍手で迎えるわけでもない。

 けれどもあえて食ってかかるならば、雄弁の銀でもって金字塔を打ち立ててみせようぞ、という言葉遊びを思いつく。

 が、きっと今は然るべき時だったろうから、このようなことは飲み込んで黙っていた方がよかったに違いない。

 

    (*2)

 

―――

 

*1:オザケンの『ローラースケートパーク』に「ありとあらゆる言葉を知って何も言えなくなるなんてそんな馬鹿な過ちはしないのさ」という歌詞があるのを思いだす。言わんとすることは違うけれども。

 

*2:空白でもって沈黙を試みる、ということを書かずにはいられない銀どまり。いやいや、これも甲でなくって乙。羽生三冠も銀将が好きだって言うじゃない。

 

    2017年8月12日(土)

 

 

 

や①:やるせない

 漢字であれば「遣る瀬無い」となる。ぼくはこの意味を、舟を漕いでいて、どこにも舟を停められるような、そうして足をつけられて陸地にまで辿り着くことのできる、水深の浅い瀬が見当たらない様子から、「どうにもできない」思いと捉えていた。遣る瀬が見当たらずに遠くの方で波に揺られるままの情景が思い浮かぶ

 もともとこの言葉の語感、リズムが好きだった(*1)のだが、その意味や由来までは深く考えたことがなかった(*2)。この「や①」の項目を書くにあたって、それではちゃんと調べてみようと辞書を引き、ネットで調べたりしたことをまとめてみる。

 結果として「どうにもできない」という意味合いに違いはなかった。そこへ至るまでにぼくの方で少しの勘違いがあった。

「遣る」①物や人を遠くへ移動させる。

     ⑶物を先に進める。また、移動させる。

     ⑹心にかかることを払いのける。晴らす。

「瀬」①川の水が浅く人が歩いて渡れる所。あさせ。

   ②川の流れの速い所。はやせ。

   ③海流の流れ。潮流。

   ④置かれている立場。

   ⑤機会。機縁。場合。

   ⑥そのところ。その点。

「やるせない」①思いを晴らすことができずせつない。

       ②施すべき手段がない。どうしようもない。

    (weblio辞書「三省堂 大辞林」より)

「遣る」の言葉へ既に「思いを晴らす」という意味が含まれていて、「瀬」にも「立場、機会、そのところ」という意味があった。つまり「遣る瀬無い」は「思いを晴らすところが無い、どうしようもない」という語釈となる。なるほど。

 けれどもなんだか妙だ。いや結果としては、ぼくの考えていたものと辞書による説明とは大差ないのだけれども、このようにして言葉を分解してみると、なんだか味気ない。思いを晴らすことのできる場所がなくってどうしようもない、ではなんだかイメージが違うのだ。

 はじめに書いたように、遣る瀬の無さは、停泊できないままに舟で揺蕩っている情景なのだ。辞書では、どうにも直接的な説明すぎて野暮ったい。ここでの「遣る」は①⑶の「物を先に進める。また、移動させる」であって、舟を漕いで進むという単純な意味だ。「瀬」もまた水深の浅いところという単純な瀬だ。その単純な二つが組み合わさることで、しかし詩的な情景を思い浮かべることができるのだ。それが味というやつであって、だから「遣る瀬無い」は「遣る瀬無い」で充分なのだ。「遣る」や「瀬」に様々な意味合いをつけたり、隠喩的に用いたりせずとも、詩的情景は立ちあがるのだ(*3)。

 いや、もしかすると「瀬」は②「川の流れの速い所」として用いられているのかもしれない。だから「遣る瀬無い」は、「急流に浮かべて遠くへ払いのけることができない思い」となって、どうしようもできないという意味なのか。早瀬に遣れない思い。

・・・もうわけがわからなくなってきた。まあどちらにせ、どうしようもない感じなのはわかる。

 文字を空費してしまったような気がする(*4)。

 

―――

 

*1:いまはちっとも見かけないコンビ「やるせなす」のことも同時に思いだす。もしかすると、やるせないという言葉は彼らのコンビ名から知ったのかもしれない。言い心地の良いコンビ名だ。

 

*2:この言葉に限らず多くがそうだ。いちいち辞書を引くわけでもない。生活していて見聞きしたものをなんとなく受け取る。買ったばかりのゲームを説明書も読まないままに感覚と経験でプレイするのと同じだ。案外に、滞りもなく生活もゲームも進められる。しかし、それによって単純なコマンドを知らずに無駄なプレイを続けてしまったり、言葉が時代に流れていくこともあるから、辞書を引く、説明書を読むというのは、まあ大事ではある。

 

*3:どうやらぼくは逆ギレという状態に入っている。自ずから調べておいて「これは違う」とは何て身勝手だろうか。違うことはない。辞書はそういうもんだし。

 

*4:言葉の意味と立ちあがる情景とは少し違うということを書けただけでも良かったか。

 

   2017年8月12日(土)

 

 

 

も①:モザイク

 アダルトビデオにおいて、陰部にモザイク修正が掛けられていることを煩わしく思う時期があった。海外ウェブサイトが配信する無修正モノを知ってとびきり興奮した記憶もあるが、少し前から、どうもぼくにはアダルトビデオはモザイクの掛けられたものの方がよりエロく映るようになった。

 それはおそらく、ぼくの初めての出逢いが修正されたアダルトビデオとだったために、モザイク自体が興奮を催させる大事な要素としてあるからだろう。以下、そのことをもっともらしく補強していく話になる。

 モザイク修正というのは、非可逆変換処理が施されている。或る領域の色値を平均化したり、代表値を算出して塗りつぶしたりなどして、復元不可能に解像度を下げる処理のことだ。ビットやピクセルからなる画像や映像に限らないで、テレビ番組の放送禁止ワードに被せるピー音なども一種のモザイク加工と言ってもいいだろう。つまりは公共性や教育やなんかの面で悪影響になるだろうからという意味で対象を覆い隠す行為全般を、ぼくはモザイク修正と捉えている。

 このモザイク修正、冒険心(*1)という厄介なヤツが容易く嗅ぎわける。嗅ぎとって、そこへ、その奥へ向かわせてしまう。つまりは少年青年の心へ逆効果が働いて、秘匿という行為がエロティックに見聞きできてしまうのだ(*2)。大人たちが必死になって秘匿するものを何とかして暴いてやろうとする精神や想像力こそが、固いコンクリートに裂け目を生じさせるパワーの源泉となる(*3)。モザイク処理の向こうを知りたいがために、ぼくたちは頑張るのだ。

 このモザイク処理の「モザイク」という言葉の由来は、美術のモザイク画から来ている。小片を寄せ集めてひとつの作品とするようなものだが、このモザイク画の『モザイク』という言葉自体はさらに源を遡れるらしい。(ネット情報だからあやしさもあるが)女神ミューズに捧げられた洞窟に、小片を集めた装飾画があったために、古典ギリシャmouseion(ミューズ神の神殿)から派生してモザイクとなったらしい(*4)。

 言葉自体もモザイクだ。このときのモザイクは非可逆変換処理としてのモザイクでもあるし、小片を寄せ集めたモザイクでもある。

 ぼくたちは巧みに言葉を駆使してコミュニケーションをとり、思考をし、世界を捉え、生きている。言葉のおかげで、あるいは言葉を基にした記憶によって、世界は今のようにして在る。そうしてぼくたちは時折りに、言葉以前の世界に思いを馳せる。学習以前と言ってもいいかもしれない。しかし思い返してみても、その世界は一向に像を結んではくれない。詰まる処、その世界にはモザイクが、非可逆処理が施されているのだ。それと同時に、言葉は今の世界を見せている。その意味で小片集としてのモザイク画がこの世界を映している(*5)。

 この発見も、眼鏡をなくしてから気がついたことだ。裸眼という、像がうまく結ばれない世界を眺めながら、まるで視界全体にモザイクが掛けられたみたいだと思って、行き着いたのだ。ぼやけることによって視えてくるものもある。モザイクがあるからエロく映るものもある。だから、なんでもいいから、映像や画像の一部にモザイクを掛ければ、それは瞬間にエロくなる。まあモノによるが。

 それらしい形や輪郭のものにモザイク処理を掛ければ、それは陰部となる。たとえば、女性が持つ何の変哲もないマイクにモザイクを掛ければブロージョブやハンドジョブの最中っぽく見える。これはアイコラではないから肖像権を侵害しないのではないだろうか。在るものを隠すという意味で、水玉コラに通じているか。そもそも、肖像権の侵害の構成要件を知らないな。

 今回はまた随分と散らかった内容と文章になってしまった。いずれはちゃんとまとめて、モザイク論なるものを書いてみたいものだ。

 

―――

 

*1:冒険と聞いて思いだす映画は『インディージョーンズ』だが、ああいった冒険映画の主舞台はなんて言ったって洞窟だ。そこに穴があるからと言ってしまえば下品極まりないかもしれないが、間違いなく、洞窟や裂け目といったものは少年心を疼かせるエロスティークな存在なのだ。でこぼこと隆起する洞窟の内壁にゆっくりと手を這わせ、慎重に深部を目指していくこと、その深部には神秘的な宝物が仕舞われていること、

 

*2:衣服は脱ぐためにある、というような言葉を誰かが言っていた気がする。脱ぐために着るという無駄な行為にこそ文化がある。

 

*3:くるりの『男の子と女の子』を思いだす。この曲は上京したばかりの頃、或る女の子と宮下公園の階段に肩を並べて座って、イヤホンを半分コして聞いた、思い出の曲だ。

 

*4:ぼくもしっかりと理解していないから適当にここは流すとして、しかし、このモザイクの語源がミュージアムと根を同じくすることが嬉しい。美術館、博物館も、つまりはさまざまな作品を寄せ集めたところであり、一種のモザイクであるということだろう。そうしてそこに、或る物語を編むことがモザイクであって、ブリコラージュ落ち穂拾いでもある。モザイクは生きるためのエロスティークを与えてくれるのだ。

 

*5:だから何なのだと言われたら困る。

 

   2017年8月11日(金)

 

 

 

め①:眼

 眼は窪地にできた水たまりだ。池田山公園の、ひょうたん池の前でそのことを考えた。蚊柱の立つ水辺から空を見上げると、池を囲う木々の梢がまつ毛のようにして陽光を遮る。緑色の水の下では亀と鯉がのそのそ泳いでおり、景色を反映した水面にアメンボのつくる波紋がいくつも生まれ、梢の裏へ光を反射させている。その光が揺れるのは梢に吹く風のためか、アメンボの揺るがす水面のためかを考えるともなく考える。ぼくの眼には白血球が舞って、蚊柱と混じり入る。するとあの蚊柱こそがぼくの眼の内側にあるだろうかと自ずから錯視させ、梢をまつ毛と混同させる。ぼくの眼がひょうたん池と置き換わる。水鳥がぼくの眼のそばへ降り立って、じっとどこかを見据えている。いまにも、くちばしでぼくの目玉を突きそうだ。

 夜に、もしも池田山公園へ入園できれば、この窪地に月の降りそそぐ様が見られるだろう。叢雲に薄らと覆われて、怪しげな輝きを放つ月のそばに、ゴッホの眼が向けられ世界は渦を巻く。しかしそれの叶わないことが残念だ。夏季は十八時に閉園となる。

 眼窩に溜まった水が眼球であるならば、そこではアメンボや亀や鯉が泳いでいるはずだ。そうしてそれは白血球や視細胞の発火であり、塵の混入なのだろう。水面に反映された景色を眺めて、向こう側に世界を感じている。

 すこし前に、旧芝離宮のベンチに座って、半眼で原っぱを眺めていると、地震でもないのに地面が揺れはじめた。川村記念美術館に常設展示されているサイ・トゥオンブリの作品のように、地面は波うつように揺れていた。あれは、この眼で泳ぐアメンボや亀や鯉のためなのか、それとも、世界がはじめから揺れているためなのか。

 太陽をしばらく眺めたあとでまぶたを閉じると、まぶたの裏に緑色の印象が輪っかを結ぶ。赤く視える太陽がまぶたの暗がりのなかでは補色である緑色を残すからだ。詳しいことはよくわからないが、そうなのだ。ひょうたん池の水が緑色なのは、周囲の植物を反映しているためでもあるが、水中の藻などの植物のためでもある。それらは陽光を受けて生育していく。おそらく、はじめは澄んだ水だったであろう池も、太陽を長いあいだ見つめていたために緑が増していくのだ。すこしずつ霞んでいくぼくの視界と似ているような気がした。いずれぼくの眼も藻に覆われていくだろう。それをぼくなりに緑内障と呼ぶことにした。

 

   2017年8月11日(金)

 

 

 

む①:むなしさ

 ずいぶんと長いあいだ、ぼくは空しさの周りをぐるぐると歩いていました。ぐるぐる歩いていても景色はちっとも変化しないので、代わりにぼくはスコップで土を掘って、それをせっせと空しさのなかへ放り投げていきました。滴る汗や筋肉の痛みが生の実感というものを与えてくれましたが、辺りの土をすっかり掘り終える頃になっても、空しさは足元でぽっかりと口を広げたままでした。放り投げる土は音もなく底知れない方へ消えていって、すこしも堆積していっているようには思えません。今まで空しさの隣でおこなってきたすべてが徒労のように感じられてぼくは仰向けになって寝転がったのですが、遥か上空にもぽっかりと空しさが広がるばかりで、ぼくはついに気力を奪われてしまいました。

 ごろごろと、しだらのない寝返りをあーだこーだ打つあいだ、枕もとに一人の爺さんが立っていました。

 爺さんは、際限なくつづく深い穴の観光案内をしていると言いました。

「この穴を訪れる人の数も際限なく、わたしは彼らにいつも同じ話をして、さっさと引き返してもらうことに努めています。あなたのようにあまりに長いあいだ穴のそばに居ると、穴のなかへ身投げする人が出てくるものですから」

 聞くと、爺さんは無給で、ボランティアとして働いていると言いました。ぼくは起き上がって、爺さんの横へ立ちました。

「この穴の由来というのがいろいろと囁かれていますが、どれも確証のないものばかりです。この穴に惹かれて訪れる人の動機も色さまざまですが、以前には大きな建造物がここにあったという話を聞いてやってくる者が大勢います。彼らはその名残を探そうと躍起になって辺りを散策し、その崖の際まで身を乗り出して、遺物を手にしようとします。しかしここには何も残されていないことをようやくに知ると、とぼとぼと家路につき、帰るところのない者は穴のなかへ飛びこむなどします。

 私がはじめてここに訪れたのも、そのような、つまりは伝説にあるような遺物を求めてのことでした。あなたもここへ来る前、向こうの遠くからここを望むと、奇妙な輝きや、あるいは魔惑的な引力を感じたことだろうと思います。私も同様に、ここに金字塔があるように思われて、急ぎ足でやってきたのですが、どこを探しても、向こうで見た輝きの所在は見つかりませんでした。不思議なこともあるものだと、私は一度引き返して再度ここを望んでみましたが、もう金字塔は見られませんでした」

 こんな具合に、爺さんは先の長そうな話をはじめました。ぼくはその話を聞きながら、それを聞き終えたころにはきっとここから離れる決心をしているのだろうなと予覚して、少しく淋しい思いが立ちあがるのを感じていました。

「私も、あなた同様に長い間をこの穴のそばで過ごしていました。あなたと同様に、暇をすりつぶすようにして土を投げ入れ、空しさから逃れる方法を模索しました。けれども、これもあなた同様、すべては慰みでしかないように思われてごろんと寝転がり、諦観を浮かべていました。そのときにふと、ここへやってくる者のなかで子どものいないことを思いました。そうして、ああ確かに、と私の子ども時分を思い返しました。

 子どもに退屈はあっても、空しさが起こることは稀なように思います。空しさは死を恐れた後になってやってくるものだからでしょう。死から逃れるための生が、生自身に意味を見出そうとし、夢中になって生きて、しばらくの後に、果てなと振りかえるのです。なぜこんなになって自分は生きていただろうかと。そうして振りかえった時には、案外にも、死のことは忘れてしまっているのです。ただただ死を恐れて生に奔走していただけなのですが、自分としては、この生きることにこそ意味があったはずではないかと思いたくなるものです。空しさが現れるのは、意味を見出そうとするためなのです。意味を見据える目で世界を捉えたならば、世界はなんと空々しいことでしょう。意味などなかったのです。そこへ無理から意味を縫合し、増築し、頑強にしていくために、より一層にその中心は覆い隠されていきます。いえ、はじめから意味の無いことを知って、それでは生があまりにも不憫だからというので、そのことを覆い隠すために意味を拵えているのかもしれません。

 ここを訪れる人々は、少なからず、その奇妙な意味で拵えた建造物に頭を傾いだのだろうと思います。見惚れる心でか、懐疑の思惑でかは人それぞれでしょうが、どのベクトルであれ、惹かれてしまってここへやって来たのです。そうしてこのぽっかり口を広げた空洞のことを知って、しばらくを佇み、散策し、寝転がるなどして、去っていくのです。

 この深淵な穴はひとつの断絶でもあります。子どもだった頃のあなたと、今のあなたとのあいだを隔てる、乗り越えることの困難な断絶です。思い返すことはできても、立ち返ることはできません。意味というもののなかった頃に、今のあなたが戻ることはできないのです。あなたは既に根を切り落とされています。あなたは新たに根付く場所を求めてここへやって来たのかもしれませんが、ここには、根付くための土壌がぽっかりと失われています。

 さあ、それであなたはどうしましょう。それでも構わず、空しさに根を伸ばし、天空に蜃気楼を築きますか。いえ、それでも結構です。それとも地上に象牙の塔を拵えますか。それも結構です。けれどもこれだけは覚えておいてください。あなたがここを去っても、空しさはいつでもあなたと共にあります。それとの付き合い方というのを、あなたは死ぬまで考えることになるでしょう」

 

 ぼくは爺さんと別れました。

 家に帰る途中、路傍のコンクリートブロックをどけて、ダンゴムシの群れが慌てて身を隠す蠢きをひさしぶりに見ました。

 

     2017年8月11日(金)