に①:似ている

 あるいは「似せる」と言うべきかもしれない。人が初めて向かい合う対象を自身のうちに取りこむ際に働く意識についてだ。

 たとえば、人に、ぼくの気に入る音楽を聴かせると十人に七人(*1)は、

「これはいったい何というジャンルだい」

 だとか、

「ははん、これは誰々に似ているね」

などと応える。目前に置かれた異物(*2)へ何かしらかの添加剤をつぎ足し、性質や形などを変化させてから咀嚼することで、対象を理解する助けとする(*3)。

 これは何も人に限った話ではなく、動物全体も、言ってしまえば植物にだって具わっている本能的な働きだろう。向かい合った対象を、学習や遺伝によって培われた先行例へ当てはめていくことで、それを摂取するなり逃げるなりして、生を延命させることに繋がるのだから。

「似ている」あるいは「似せる」というのは、生命にとって必須の能力なのだ。

 けれども、それが続けられていくうちに、人は自分で思う以上に頭が固くなっていってしまう。「○○に似ているからOK」というような判断基準で物事を取りこんでいけば、偏食的な栄養失調に陥ることは想像に容易い(*4)。

「それで一向に構わないよ。第一、君の思う栄養失調と、ぼくの思う栄養失調との間には随分と距離があるように思えるんだがね」

 たしかにそうだ。けれども、その「似せ」のフィルターを通さずに様々と向き合ったならば、時折り新たな発見と閃きに出逢える可能性があるのだ(*5)。まずは自分の掛けた眼鏡を疑ってみると、世界はクリアになるし、また違った「似せ」が見えてくる。世界はどんどんと広がり、奥まっていく。

 そうしてこの「似せ」は、眼前の対象と、頭のなかにある遠く隔たったものとをリンクさせる。この時空を超えたリンクのされ方こそが物語の本質であって、人間の本能ではないかと思う。星空に物語を編むことが太古から行われてきたのだから。

 

―――

 

*1:あくまでも割合の問題だ。実際には、音楽を聴かせるような友達はぼくに十人もいない。だからまあ、五人に三人くらいだ。

 

*2:電車や歩道などで、乳母車のなかの赤ん坊と目が合うと笑いかけてしまう。しかし、向こうはじっとこちらを見据えている。そんなときに、ぼくはもう笑いかける以外のことができずに硬直して、この子にどう向き合えばいいのかと、わけが分からなくなってしまう。ぼくにとっての最大の異物は赤ん坊だろうか。世の親たちは凄いものだ。

 

*3:このことを色眼鏡とも呼びもするが、どうにもその呼び名にはネガティブな意味合いが強く込められすぎている気がしてならない。人は誰しもその人のフィルターを通して世界と対峙しなくてはならないのだから。いや、「色眼鏡」の意味というのは、そのフィルターの上にさらに他の誰かの眼鏡を掛けることを言うのだろうか。すると、色眼鏡はネガティブに用いられて当然かもしれない。

 

*4:いや、人によっては、一般的に見て偏食であっても無事健康に長生きする方もいる。彼はおそらく、「栄養」や「健康」という一般的な見解とは別個の体系を自身で創りだしたからに違いないだろうと思う。一番の不健康は、自分の身体を外部の情報に振り回されて不安に陥れてしまうことだ。自分の身体のことは自分の身体が一番知っているはずなのだから。

 

*5:志ん生が語るなかに、江戸っ子の面白いエピソードがある。蕎麦はそばつゆをつけずに食うのが江戸っ子だ、という思いのもとで、生涯つゆなしで蕎麦を食べてきた男が、臨終間近に「何かしたいことはないか」と問われ、「蕎麦をつゆにつけて食べてみたい」と答えたらしい(これは「せ①:銭湯」の脚注ですこし触れた「痩せ我慢」に通ずる)。なんとよくできた噺だろうか。このように、死ぬまで一貫した頑固ならば最後に花も咲くだろう。けれども、なかなかそうは生きられまい。いずれにしても揺れてしまうのならば、その揺れることを極めた方が面白く生きられるだろう。

 

     2017年7月30日(日)

 

 

 

な①:夏休み

 今朝はひさしぶりに早く起きることが出来て、陽射しの弱い早朝の道を自転車でのろのろと進んでいた。すると今朝はなんだか小学校低学年くらいの子どもをよく見かける。ちょっと異常な数だ。テレビ番組で子どもの健康特集などが組まれて、子どもの早朝散歩がブームになっているということはまさかないだろう、などと訝しんでいた。すると親と手を繋いでいる子もいて、そうして彼らはすべからく首から何かを提げているのを見て、ああラジオ体操かと合点がいった。知らないうちに小学生はもう夏休みに入っていたらしい。

 四季の訪れ(*1)に思わず足をとめることは多くなったが、その季節を謳歌するような時間は減ったように思う。夏ならばラジオ体操や市民プールへ行き、秋には学校行事でハイキングへ出掛けたり、冬になると雪だるまをつくったり、スケートリンクを転げまわったり、春にはクラス替えがあってと。小学生の頃はしかし、わけもわからずに季節を疾走していたのだろうなと振りかえる。動物的な具合で、咀嚼もせずに貪っていた。そのときには味も分からずに摂取していた季節感が、この歳になって記憶として思い返されることがまた不思議と面白い。時間差の栄養素というものもあるのだろう(*2)。

 公園に子どもたちがどんどんと集結していて、ぼくはあまりラジオ体操のスタンプを貰えなかったなア(*3)と、彼らの横を自転車で通り過ぎていく。もしも不審者扱いされずに済むのならば、一度くらいはラジオ体操に参加してみたい。きっと妙に念入りに身体を動かしたりなどして、すっかり疲れて果ててしまうに違いない(*4)。

 これを書いている早朝のファミレスにも子どもたちの姿がある。中学生くらいのお客さんもいるから、中高生も夏休みに突入しているのかもしれない。藤井四段(*5)のニュースを読んでいると、四段の通う中学校も夏休みに入っているらしいことが知れて、やはりそうなのかと思う。

 子どもたちの声のするなか、スーツ姿のおっちゃんたちがスマホや新聞を読みながら朝食をとる姿がまじっている。あと二週間もすれば盆休みがやってきて、彼らもわずかな休息を味わえるだろう。けれど家庭をもっている人は、帰省をしたり、子どもと遊んだりと、なにかとひとりの時間を持つのが難しいのだろう。彼らはどうやってバランスをとって生きているのだろう。子どもの成長を見たりすることでだろうか? こればかりは親にならなければわからない。

 

―――

 

*1:半年近く前、つまりぼくが部屋を変える以前に購入したムック本『世界に誇る鳥獣戯画と日本四大絵巻』のなかで誰かが、季節の訪れは「音連れ」だ、と書いてあるのを読んでなるほどなと思ったのを覚えている。音が季節を連れてくるという意味もあるが、きっとこの表現は聴覚以外の感覚へ働く季節の訪れを言っているのだとも思う。色彩はもちろん、香りや、妙に高揚する心地、毛糸の痒みなどなど、季節は隙間を縫って気配を感じさせる。

 

*2:発酵食品というものが酒の肴になることと、年齢によって味覚が変化することとのあいだに関係はあるだろう。そうしてそこに働くのが時間差の栄養素だと思う。子どもの頃に味はわからなくとも、蓄積した記憶が発酵されていくことで、知らないうちに味覚も変化してくる。自身のうちにささやかながらも歴史があることを知って、酒と季節に思いを馳せるのだ。

 

*3:昔から朝寝坊のぼくが、最近になって自主的に早起きをすることになったのが不思議だ。小学生の頃から習慣化されていれば、困難なく毎朝を充実した時間として過ごせていただろうに。

 

*4:身体の動かし方は重要だ。ぼくは小学生の頃から大学までサッカーをやっていたが、身体というものに意識的になれたのは中学時代に腰を痛めてからだ。伸ばすべき筋肉を感じながら入念にストレッチをしたり、走りながら今どこの箇所に疲労が蓄積しているだろうかと考えたり。けれど、それでもぼくは身体の動かし方を知らない方だと思う。もっと骨格や筋肉の構造などを知り、動きのなかでそれらがどのように働くのかを実験、観察していくことが大事だろうと思う。小学生くらいから、そういったことを意識できれば良いのだろうが、これを子どもへ教えるのは難しいだろうな。教育というのは大変に困難なことだ。

 

*5:店長が将棋好きのため、藤井聡太四段の話題はよくあがる。まじで凄そうだと動向が気になりだしたのは、abemaの「炎の七番勝負」を見始めてからだ。第三局の「1一銀不成」「2二銀成」での解説者や店長の驚きの声に、思わずぼくも興奮した。ぼくは駒の動かし方を知っているくらいで、あとは盤外の物語などを読んで楽しんでいるだけだが、そんなぼくでも四段の毎局がいつの間にか楽しみになっていた。騒がれる一手のなにが凄いのかを店長に尋ね、「ほお」「へえ」と感嘆して、しかしいまいちよくわからないまま、それでもスターの居る時代に生きていることを楽しめている。スポーツ観戦は好きになれないし、今ではテレビ番組を観ることもなくなってしまって、スターという存在に触れることがなくなっていたから余計に嬉しい。報道の過熱に対していろいろと言われるが、それも含めて、多くの人々が娯楽に熱狂しているのは、すっかりクラスタ化した最近では珍しいことだ。更新された最多連勝記録も途絶えて、熱はすこし冷めたようだが、秋頃には藤井VS藤井も早々と観られるかもしれないことを思うと、これからも楽しみは満載だ。

 

            2017年7月27日(木)

 

 

と①:トーキングヘッズ

 ぼくはなにかに担がれている(*1)。あるいは、ぼくは或る一輪挿しの花である。そのことは、ぼくが我を忘れ、我にかえったときにはじめて思われたことだ。つまりは、不確かな所在をどう説明するかの話だ。

 そのように考えるのは、もしかすると、ぼくが一度だけ幽体離脱に近いような体験(*2)をしたことが大きく関わっているのかもしれない。そのときの妙な心持が、フラッシュバックではないが、ふとしたときに訪れるのだ。

 たとえば銭湯で長く湯に浸かってのぼせてしまうときや、入眠へ移行する際に、わずかだけ働いている意識が夢の入り口を察知して、ぼくはぼくの所在の手掛かりを感じる。それは蜃気楼めいて、足元のおぼつかない、とりとめようもない存在の仕方なのだ。

 Talking Headsの『This Must Be The Place』の歌詞に、

feet on the ground, head in the sky

という言葉が出てくる。この「head in the sky」が好きだ。あるいは、ジャコメッティ(*3)特有の細長い人間の立像も、地上の足と大きく離れた箇所に置かれた頭部という関係で観れば「head in the sky」感としてぼくなりに理解できる。あの立像も、人間の一輪挿しを表しているように映る。

 一輪挿しの花は根を切断されている。それでも水の上に浮かばされ、花を咲かせている。ぼくたちにそっくりではないだろうか。言語や理性を獲得することによって、あるいは二足歩行によって目や鼻が地上から遠く離れたことによって、ぼくたちは自然の円環から切り離され、こぼれ落ちていった。度々に根無し草と喩えられるぼくたちは、その痛みを伴った切断面に手を這わせ、太古のことを思いかえしたりなどする。なぜこうなってしまったかと近視眼で歴史を振りかえりはするが、断絶された彼岸を望むことは叶えられない。すでに死んだも同然なのだと悲観的になり、しかし、それでもなお頭のてっぺんで花を咲かせているこの生に困惑する。あの一輪挿しが、その様を映し、伝えているのではない。それはただそこにあっただけであり、ぼくがそれをふと見出しただけなのだ(*4)。そこに意味があるわけではない。右の歌詞の続きが、

it's okey, I know nothing's wrong, notihing

とある。何度励まされただろうか。根を切断されて水に浮くぼくではあるが、この水を隅々まで吸い上げ、蒸散(*5)させて、花の枯れるまでは、ただ生きるだけだ。

 

―――

 

*1:担がれる、という表現が好きだ。それを好きになったのは、このブログで度々登場する落語『井戸の茶碗』を観たためだ。清正公さまの前の掛け茶屋で、商人たちが若いお武家様の噂話をしている。そうして一人の男が嘘八百を並べて、それに騙された者が「なんだ、担がれちゃったよ」と言うのだ。

「担ぐ」①物を肩の上にのせて支える。

    ②自分たちの上に立つ人として押し立てる。

    ③迷信・縁起などにとらわれる。

    ④からかってだます。

    ⑤婦女を誘拐する。

        (「三省堂 大辞林」より)

 この噺では④が受身形で用いられているわけだが、頭は①の意味で身体に担がれているし、理性や自我などと言われるものも②の意味で代表されたような存在だ。そうして様々にかどわかされている、という意味で③と⑤として担がれているぼくたちではないだろうかと思うのだ。

 

*2:学生時代に通っていたクラブのフロアで、ぼくは酒にひどく酔っぱらって踊り呆けていた。そうして突然に、コンセントを引き抜かれでもしたように、ぼくはその場に崩れおちた。そのときのスロー映像が焼きついている。ぼくは周囲の人に覗かれ、ぼくはその様子を彼ら取り巻きのさらに上から眺め下ろしていて、そこへ、一緒に来ていた友人がぼくを起こしにやってくる。ぼくは彼にひきずられ、バーカウンターのあたりで他のお客から白い目で見られ、友人はセキュリティに何事かを言って道を開けてもらっていた。階段をのぼっている頃に、ぼくの意識はすこしずつ身体の方へ戻って来て、外へ出ると小雨が降っていて、それが頬に冷たく当たってぼくは目を覚ました。友人の肩を借りながら近くの陸橋まで歩き、そこで一休みした。クラブの方をふりかえると、白い小雨のなか、どこかの店の看板の文字が「WELCOME」と輝いていた。

 

*3:二週間ほど前に国立新美術館で開催されていた『ジャコメッティ展』へ行ってきた。本当は、同美術館の『東南アジアの現代美術展:サンフラワー』を目的にしていたのだが、それをまわってみて、なんだか消化不良の感がひどくって、遠くへ足を延ばしたのだからせっかくだしついでに、くらいの気持ちで『ジャコメッティ展』の切符を買っていた。前週に、川村記念美術館マーク・ロスコサイ・トゥオンブリに出逢ってから、ものの観方がすっかり変わっていたぼくはジャコメッティに完全にやられてしまった。

 

*4:「それ申楽延年の事態(ことわざ)、その源を尋ぬるに、あるひは佛在所より起り、あるひは神代より伝はるといへども、時移り、代隔りぬれば、その風を学ぶ力及び難し」by岩波文庫風姿花伝』10頁

 

*5:だから、世界は蜃気楼然として映るのかもしれない。

 

      2017年7月26日(水)

 

 

て①:テレビジョン

 いわゆるテレビのことではない。いや、結局はテレビのことなのだが、ちょっと違う。

 数年前、或る女の子にフラれた早朝の東高円寺で、曇りがかった空の遥か上の方からぼくを覗き観ている存在を察知した。と書くと気が狂ったように思われるかもしれないからタネを明かしておくと、ぼくはそのときグデングデンに酔っぱらっていたのだ(*1)。それで、遠くから観られているという違和感を覚えて、キッとそいつを見返してやったのだ。酔ってはいたが、そのときのイメージは鮮明に覚えていて、昨年、テンテンコの『放課後シンパシー』のPV(長尾謙一郎作)に、アッと思うシーンが出てきた。それは、どこかよくわからない場所のリビングで、ブラウン管を見つめている宇宙人らしき存在が描かれた場面だった。

「ははん、おれはこいつらの存在に気がついたのだな」

 と、そのPVを観て思わず笑ってしまっていた。同じような被視感という類のものを、他の人も感じていることが少しく嬉しかった。

 それからぼくのなかで「テレビジョン」というと、いわゆるテレビより先に、どこか彼方で観ている/観られている感覚と言うものが思いつかれるようになった(*2)(*3)。

 アーティストの「Televison」も気にかかる。まだしっかりと聴いたわけではないけれど、きっとこのことにも通じているのだろうなと変に確信してしまっている。いや、きっと実際がどうであれ、ぼくの方で勝手に歪曲化して理解するに違いないのだから通じるに決まっている(*4)。

 テレビジョンの語源も、遠くを見るというようなものだったと記憶している。望遠。テレスコープとテレビジョンとではどう違うのか。スコープと言うくらいだから機材のことで、ヴィジョンだから視覚のことか。するとやはりテレビジョンと言うのはどこか超能力的な意味がある。まあ、テレビは超能力的だものな。原理を説明されても意味がわからない。テレフォンも、レコードすらも不思議だ(*5)。そんなこと言ってしまえばきりがない。わけのわからないものばかりだ。

 

―――

 

*1:このときの酔っ払い度は尋常ではなくって、その子の部屋へ集団で遊びに行っていたのだが、ぼくは変に舞い上がってしまってワインをたらふく飲んでいた。それで明け方に彼女が起きて皆の朝食をつくっている最中に、あろうことか、舌足らずに告白をしてしまったのだ。醜態をさらしておいてのあのタイミング、フラれるに決まっている。それなのにぼくは妙な怒りがこみあげてきて(なんて自分勝手な野郎だ)、それで空をキッと睨んだのだ。おそらくアレは、責任を空になすりつけたのだろう。

 

*2:この「見る/見られる」というのは、小学生か中学生の頃に観た『トゥルーマンショー』の影響が強いように思う。あれは傑作だったなア。ちょうどぼくも海で溺れてトラウマがあったことも重なって、ずいぶんと感情移入したものだ。それからアンドリュー・ニコル脚本の『ガタカ』と『シモーヌ』を観た。

 

*3:また、大学時代にYouTubeで見た『Dr.Quantum』によっても「見る/見られる」や「観察者の存在」というものにわくわくした。量子論はまるきりわからないけれども興奮する。

 

*4:あまりに恣意的だろうか。ときどき、世界を恣意的に見過ぎてしまって不安になる。不安になったり止んだりを繰り返して、挙句の果てには「ええい、知ったことか」とやけを起こす。それで自身を丸焦げにして、しばらく黙りこむ。そのとき、死んだ魚の眼をした自分の姿を鏡に視ていた。ひどい顔貌だったが、悪くもなかったように思う。最近、めっきり焼ける機会が減った。

 

*5:とても恥ずかしく思う。インターネット以前の技術で既に理解の範疇を越えてしまっている。わかりやすく「こうこうで、こうこう」と論立てて説明されれば、そのときは「うんなるほど」となるが、すこし時間が経つとまたハテナが浮かぶ。説明される以前よりもハテナが増えている。「テレ」が凄すぎる。ぼくの頭が悪すぎるのか? そうなると、喫茶店の隣の客の話し声が空気を震わせて耳に届いて音として捉えられることも意味がわからなくなってきた。際限がない。

 

      2017年7月23日(日)

 

 

つ①:束の間

 今回、はじめて言葉を調べてから書きはじめた。「つ」から、何気なく使っていた「束の間」が浮かんで、果て、そもそもこれはどういう意味だったかと分からなくなってしまったからだ。ネットで「束の間」を調べてみると、

goo辞書:《一束(ひとつか)、すなわち指四本の幅の意から》ごく短い時間。ちょっとの間。

Weblio辞書(三省堂大辞林):〔指四本で握るほどの長さの意〕わずかの時間。ほんのちょっとのあいだ。

となっていて、やはり「束」は昔の単位らしく、「出たな身体尺度」といった具合で、腰を据えて調べてみた。

 「束」は、

goo辞書:③古代の長さの単位。指4本分の幅を基本とする、矢の長さをいうときに、八束(やつか)・十束(とつか)などと用いる。

Weblio辞書(三省堂大辞林):①上代の長さの単位。四本の指で握った幅。

ということだ。他にも、稲の量の単位として、重さ一斤の稲を一把とし、十把を一束としたらしいが、それが指四本分かどうかは知らない。だから「束の間」は稲ではなく、親指を除いた握り拳の四本指の幅として考える。

 面白いのは、その幅という距離が時間として変換されることだろう。例えば「十センチの間」と見聞きすれば、これは明らかに距離としてしか認識されないだろう。

 「ほんのちょっと」の意味で用いられることから、一束はほんのちょっとの長さということだ。「束の間」の「間」は、物質的な空間としての、たとえば壁に出来ている一束ほどの隙間というのならば理解が容易い。元はそういう風に用いられていたのかもしれない。それがいつ頃からか時間の「間」に用いるという洒落心が働いたのだろうと思う。

 それでは、この一束というのは実際にどのくらいの長さなのだろう。勉強も兼ねて同じ幅、距離である里から学んでいこう。

 1里という距離はおおよそ、36町で、2160間ということがネットに書かれている。そうして調べると、1間は6尺らしい。つまり一里は12960尺。そうして1尺は10寸だから一里は129600寸で、、、もうわけがわからなくなってきた。人が半時(約一時間)歩いた距離を一里としていたこともあるらしく、もうだめだ。なにがなんだかわからなくなってきた。

 平均的な矢の長さは尺貫法ではおおよそ3尺とされ、これは12束=48伏に相当したらしい。一伏(ふせ)というのは指一本分の幅で、4伏を1束とした。もう勘弁してくれ。しかし、もう少しの辛抱だ。平均的な矢の長さは3尺で、1間は6尺なのだから、平均的な矢の長さは半間ということになって、いや遠回りになるだけだ。重要なのは、平均的な矢の長さが3尺で、12束ということだ。つまりは、1束というのは、3割る12をすればいいわけで、あれ、3割る12っていくらだったけ。急きょ電卓アプリを起動させる。0.25だ。4分の1だ。つまり一束というのは4分の1尺だ! つまり「束の間」は「4分の1尺の間」だ! ここの「間」が距離単位の「間(けん)」 でないことが救いだ。4分の1尺ということは、尺がおおよそ30センチメートルだから、一束は7.5センチメートルなのだ! そうして一伏せは1.875センチメートルなのだ! だから「束の間」は、7.5センチメートルだけ進むのに費やす時間ということで、ほんのわずかな時間のことを言うのだ。

 さらに、人の平均的な歩速は、時速4.5~5kmと言われているらしく、まあ時速5キロメートルとして、一束に要する時間というのは、5キロは5000メートルで、500000センチだから、「0.000015時間」? というのは何分だ?何秒だ?「0.0009分」で「0.054秒」。本当か? 計算に自信が、いや方式すら怪しくなってきた。とりあえず「束の間」というのはおおよそ「0.054秒」ということがわかったはずのだ。

 ちなみに、「瞬く間」の「瞬く」は「まばたき」であって、一回のまばたきの速さは平均で100~150ミリ秒と言われているらしい(wikipediaより)。つまりはおおよそ「0.1~0.15秒」ということになって、「瞬く間」よりも「束の間」の方が「僅か度」は高いのだ(ほんのちょっと度にしてしまうと、なにがほんのちょっとなのかややこしくなる)。さらに言うと、「1瞬く間」はおおよそ「2~3束の間」ということになる。

 

―――

 

 さて、なぜこんな面倒なことになってしまったのだろうか。それに、もっと読みやすいように書けもしただろうに。まあ、勉強にはなった。「束の間」の方が「瞬く間」よりも僅かで、少しの時間なのだ。見た目や語感では「瞬く間」の方が素早いイメージだったが、そうでもないのだなあ。途中の里やらの説明が余計にややこしくしたな。改めて、簡単にまとめておこう。

 

  束≒1/4尺≒7.5cm

 人の歩行平均速度を時速5kmとすると、

  束の間≒0.054秒

 

 まばたきの平均速度≒0.1~0.15秒

  瞬く間≒0.1秒

 

 よって、「束の間>瞬く間」となる。

 まあ、しかし、速度を測る基準が足と目とで違うのだから、なんの参考にもならないか。

「今回の答えの正確さ<間違ってる可能性」

 

      2017年7月23日(日)

 

 

ち①:知

 今朝、シェア用の自転車が数台置かれた狭いスペースの前を通った。2020年の東京オリンピック(*1)に向けて、さまざまな業界がシェア概念を拡大、浸透させていっているところなのだろう。

 シェアサイクルをみかけることが別段に目新しいわけでもないが、今朝は思うことがあった。シェアというものが今後さらに浸透していき、科学が一層に進歩していったならば、アニメ『カイバ』(*2)のように、映画『マトリックス』(*3)のように、知識や記憶というものも容易に自身へインストールする時代が本当にやって来るのだろうかなと、考えるともなく考えていた。それは、今日書く予定だった「ち」をどうしたものかと考えあぐねていたために、この目がシェアと知とを結びつけて捉えたものと思われる(*4)。

 ぼくが見たことのあるものだけなのかもしれないが、ポートにはすべて同規格の自転車がずらり並べられている。カラーまで同じだ。よそのポートを見ると、色や形は違うが、並んであるものはすべて同じだ。より安価で大量生産できるものを利用していることがわかる。また、後輪上部には何やら電卓を大きくしたような機械が設置されていて、利用者を区別するための暗証番号やなにかを入力するためと思われる。その機械を搭載するのに、きっと同じ規格であることが都合よいのだろう。

 ふと思ったのは、たとえ知識を(開放された情報を見聞きすると言うのでなく、SF的なインストールの方法で)シェアする時代(*5)が来たとしても、黎明期にはこのシェアサイクルと同様な、安価なものが共有されていくのだろう。チープな赤や青をした小型の、同種の自転車が街を走るように、知識もわかりやすく色づけされて、見るからに性能の悪そうなもの(*6)が人々にシェアされていくのだ(*7)。実際にいま既に、溢れかえる情報のなかで人々は、わかりやすいものを自ら選んで画一化していっている。言葉の多層性を知らないままに、流れていく情報に乗っかっている。そのことによる閉鎖や危険性を知らないはずもないだろう。

 知識や何やが画一化される前に、独自に、知の体系と呼べるようなものを拵えておかなければならない。オリジナルや個性と言ってしまえばチープに取られるかもしれないが(*8)、その所在や経過を、理解とは違う何かしらかで感覚しておかなければならない。そのためにこれを書いている。公的な地図を一度漂白して、子どもが自由帳に描くいたずらな冒険図を、ぼくも思い描かなくてはならないのだ。いつ訪れるか知れない頑強な帝国の進撃に備えて、シェルターを拵えておかなくてはならないのだ。象牙の塔が必要となる時代がすぐそこにやってきている。いや、もう既にずいぶんと暗雲に立ち込められている。急がなくてはいけない。雨はもう降り出してしまっている(*9)。

 

―――

 

*1:ぼくは次回の東京オリンピックに嫌な予感を覚えてならない。いよいよテロが日本に進出して来る良い(?)タイミングのように思われるし、経済だとかなんだとかはオリンピック以降に転げ坂を真っすぐに進んでいくように思われて仕方がないのだ(根拠レス)。だから、開催時期には東京から離れておこうとは思っている。だからと言って、どこへ行こう。

 

*2:このアニメを知ったきっかけは大学生当時によく見ていたニコ生だ。「化粧放送」で有名になったケミキラのアキラの方が、この主題歌を唄うか何かしていた。彼女たちのミラーダンスが好きだった。

 

*3:中学生のときに一度観たきりでしっかりとは覚えていないが、たしかネオが獲得する格闘術は東洋のカンフーか何かだったと思う。西洋科学の最先端から護身する術が東洋にあるという図式なのかなと、今さらながら書いていて気がついた。まあ、既に言い尽されていることなのだろうけれど。

 

*4:「知」にするか「血」にするかを迷っていた。ふたつは「ち」を思った時にほとんど同時に浮かび、まあ、どちらも横断できるかなとも考えていた。が、結局「血」については書けそうにもないので次回へ譲る。

 

*5:知識のSF的インストール方法が叶ったのならば、それ以前の知識や身体的記憶との齟齬や違和感はどうなるのだろう。デスクトップに新たなフォルダがコピペされるようにして、はっきりと別枠として取り入れられるのか、それともOSやファイル形式の問題で正常に開かれなかったりするのか(*A)。そんなことは考えてみてもわからないが(*B)。

 

*6:とはいえど、ぼくの乗っているママチャリよりかは性能も漕ぎ心地もすこぶる良いに違いない。

 

*7:シェアの時代だと謳ったところで、粗悪なものが出回ったのではなんのためのシェアだろうか。皆が同じものを同一方向から眺めて論じあうことに面白味はあるだろうか(論じあうという表現は間違っているな。なんと言えばいいだろう。同一方向から眺めてキャッキャする、か?)。それとも、そこに質や面白味は求められていないのだろうか。シェア、共有、共感、そういった言葉がよく聞かれるし、求められているらしい。なんだかぼくの思うそういった概念と、世間とでは少しく食い違っているらしい。

 おそらく、利便性というものを多くの人は第一に求めているのだろう。時短で、節約できて、煩わしくないということが。それは決して悪いことではない。けれども、そこで獲得した時間やお金を何に使っているかと言えば、ただただ指をフリックすることだけに費やしているではないか。せっかく手に入れたものが、暇として潰されていっているではないか。もう、ぼくには何がなんだかわけがわからない。

 

*8:この身体の機制で以ってさまざまな環境を過ごした経験がある時点でオリジナルだ。語り、創りだす内容より以前の、発露される過程の方にそれはある。

 

*9:雨による災害が続いている。そういったことも含めて、暗い予感ばかりがちらつくのかもしれない。何年も前に、S君の誕生日プレゼントのために買ったMoMAの有名な傘は、内側に青空を描いている。その意味が、なんだか晴れやかなものとは思われなくなってきた。

 

―――

 

*A:などとPC用語を書いてみたが、まったく詳しくない。使い方が正しいかどうかもしらない。ぼくはもうずいぶんと長い間、便利で謎な機械を使っているのだ。

 

*B:このように、物事を他のものに置き代えて考える擬態の仕方は面白い。代替する対象に自らを接近させ、変容させていくことで新たな視野を獲得できる。それによって理解を早めることもできるが、、、いや、言いたいことがさっぱりわからなくなってきた。

    2017年7月23日(日)

 

 

た①:立ち漕ぎ

「た①:立ち漕ぎ」

 

 部屋を変えてから毎日、職場まで自転車通勤している。片道二十分ちょっとで、ちょうど高校の頃の自転車通学と同じくらいだろうか。自転車に乗る毎日というのも高校以来で、自然と当時のことを思いだしたりもする。見る景色はぜんぜん違うわけだから、きっとペダルを漕ぐという運動が、急ブレーキをかける両手や、坂道を懸命にのぼっていく大きな呼吸が、当時の記憶に働きかけるのだろう(*1)。

 その自転車運動のなかで、今ではすっかりしなくなったのが立ち漕ぎだ。

 家から職場までのあいだに大きな坂道が二つある。ひとつは目黒川を渡ってすぐにある行人坂だ。これは自転車を漕いで上がるのは到底不可能な急勾配だ。しかも、ぼくの自転車は流行りの細くて軽くて速い「バイク」と名前のつくような類でない、変速機すらついていないママチャリなのだから(*2)。引っ越して最初のうちだけ、どこまで行人坂を漕ぎ進めるだろうかとチャレンジしたこともあったが、すぐに諦めてしまった(*3)。

 もうひとつの坂は、目黒通りから桜田通りへ入る日吉坂だ。ここは、通勤時は長い下り坂で心地よく滑っていけるのだが、帰りにはそれが魔の坂道となる。清正公前(*4)のT字路で桜田通りから目黒通りへ入ると、シェラトンホテルの車両通用口あたりから傾斜がはじまる。なる限り無駄な力を使わないように、ペダルを漕ぐに合わせて体重を斜め左右にかけて日吉坂をのぼっていくと、スパ白金の前で犬を散歩させる奥様方や、子供の手を引く父親の姿などを横目に過ぎ越し、八芳園の敷地前に差し掛かる頃には坂の頂上「日吉坂上」の信号機が見えてくる。坂は頂上を見させてからが長く、油断した心の隙間が体力を削らせ、呼吸を大きくさせていく。もうすぐ、あとちょっと、もうひと漕ぎ、ようやく、と辿り着いた日吉坂上の信号は赤で、足を地につけて一安心、と大きく深呼吸することがなかなかできないのは、明治学院の女子生徒たちが同じく信号待ちをしているためだ。妙に気取って、この長い坂道を息も切らせずに上がって参りましたと、涼しい顔をして信号が変わるのをぼくは待っている。汗はだらだらと流れているのに。それが自分でも馬鹿らしくって泣けてくるのだが。

 或る日、その日吉坂を立ち漕ぎせずにあがりきったことに妙な興奮を覚えていた。ぼくはそれ以来、立ち漕ぎをしていない。小雨の降る帰り道も、傘を片手に差して、立ち漕ぎをせずにのぼりきれていた。

 立ち漕ぎをしないことが筋力増強の証として嬉しく思いもするのだが、座りっぱなしでペダルを漕ぐ自分に少しく淋しい思いもした。

「脇目も振らずに立ち漕ぎをしてみたい」

 こんな思いが立ちあがるのは、センチメンタルの何よりの表れなのだろうか。

 なにかがそこにあるわけでもないのに、長い急な坂道を立ち漕ぎしていた自分が、向こうの方にいるのをぼくが観ている(*5)し、観られている。

 

―――

 

*1:近頃はこの身体的な記憶のことばかりを考えている。いや、それも記憶なのだから脳の産物だろうと言われるだろうが、いや、思いだそうとして思いだす方法と、嗅覚的な記憶の立ちあらわれかたとが随分と違って思えるように、やはりこの腕や足や皮膚の覚えている、その経路でしか思いだせない何事かがあるわけだ。ぼくはその言語的な記憶でないものに、もっと言えば、言語によって隅に追いやられていた記憶に、いまようやくそっと思いを馳せようとしはじめている。けれども、これが意図的に取り出せるようなものではなくて、時折りにふと、どこからともなくやってくるものだから、思いだそうにも思いだせない。その管理できないところのものだからこそ余計に惹かれているということもある。

 

*2:変速機のないママチャリは勤務先のスタッフからタダで譲り受けたものだ。受け取ったときから錆びてはいたが、いまではさらに老朽化してしまって、ペダルをひと漕ぎするたびに、ネズミの鳴くような甲高い音で軋む。行人坂をブレーキ一杯で下っていくときには、耳をつんざくような妙な大きな音をわめかせる。その度に、ベルは不要ではないかと思ったりして、心のなかで通行人に頭を下げている。

 

*3:重たいママチャリを、背中で息をしながら前傾姿勢になって押し進むぼくの隣を、原動機付自転車に乗ったママさんたちがすいすいと追い越していくのがなんとも惨めだ。

 

*4:落語『井戸の茶碗』の舞台となる場所だ。ここの掛け茶屋で「それだ、それだよ」のセリフが出たことを思いながら、これから来る長い坂道に挑んでいくことになる。

 

*5:向こうというのが何処なのか。前方でもあるし、後方でもあって、すぐ隣でもある。それらを含めて空方でもあるのだが、ついにはそれはわからない。時間と空間は思った以上に歪だ。

         2017年7月22日(土)