こ①:コラージュ

 高校の美術の授業で製作したものが全部で四点ある。そのうち、はじめの作品がコラージュだった(*1)。これは、当時仲のよかった、そうして音楽や小説の話のできる唯一の友達だったH君の影響で制作したものだ。彼とはクラスだけでなく選択授業だった美術でも一緒だったのだが、彼の制作センスや技法が素晴らしかった。ぼくはそれまで絵筆で描くという行為しか知らなかったのだが、彼のすることを観ていると、なにやら文字や図をさまざまな縮尺で何枚も白黒プリントしたものを鋏で切り、紙のうえに糊付けしていっている。そうして、その上から色を塗っている。こんな技法があったのかと、ぼくはすぐに真似をした。家に帰り、母の書棚にあった英字本で要らないものを貰って、びりびり裂いていった。紙のうえに糊付けし、それを再び剥がすと、貼りついたままの箇所が残り、文字がかすんで残るのを発見して、これはカッコいいと繰り返した。外人の顔をプリントアウトして貼り、「昨夜、アイシュタインの脳を買ったんだ」というような言葉を書きこんで『胸いっぱいの愛を』というタイトルで提出した。先生が気に入ってくれたらしく、後日、県のコンクールへ出展することになった。その際になって『ニューヨーク』と改題したのが悔やまれる。

 これがコラージュとの出逢いで、ぼくはこの手法をいたく気に入った。もしかすると祖母の創るちぎり絵(*2)に幼いころから触れていたことが関わっているかもしれない。ちぎり絵とコラージュとはまったく別ものではあるが、筆ではなく、素材を切り、ちぎりして、台紙のうえで貼りあわせていく行為自体が好きなのかもしれない。それからしばらくして、父の書棚にあった『悲しき熱帯』をぱらぱらと読んで、レヴィ・ストロースのことを知った。「ブリコラージュ」というものを知ったのは、それからまたしばらく後だったかもしれないが、その概念はとても自然に理解された。このときに、創作活動と生きるという二つのことが、無自覚に、頭のなかで溶けあっていたのだろうと思う。

 大学時代から言葉に興味があった。いや、言葉遊びを好いていただけかもしれない。高校から大学のはじめ頃まではH君から教わったジャパニーズラップ(つまりTHA BLUE HERBやSHING02)を聴いていたこともあって、韻を踏むことやダブルミーニングに「ヤバい」「かっこいい」と夢中になっていたからだろうと思う(*3)。大学時代に言葉について深く学ぶことはしなかったが、それでも記号学に触れてみたりして、意味という不明瞭なものがはじめて意識されたように思う。

 言葉について考えはじめると際限がなく(*4)、そのことが一層に面白くもあった。あるとき、その際限ない穴を進み、興奮して眠られない夜にサトゥルヌスと出逢い(*5)、大瀧詠一の『それはぼくぢゃないよ』の歌詞(*6)にハッとさせられた。際限はやはりなく、そこにはなにもないのだと気がついた(*7)。そのことが、とても自然に「コラージュ」や「ちぎり絵」と結びついていった。この世界自体も、言葉や指示内容、意味といったものの貼りあわせによって表現されたものであり、この向こうに何を探しても意味は見つからないのだろうと。ぼくらは韻を踏み、ダブルミーニングや洒落でもって戯れているだけなのではないかと。その気付きの原点となったのが、ぼくにとってはコラージュだったのだ。

 

―――

 

*1:二つ目は美術教室にあった漫画『百億の昼と千億の夜』に影響された二枚一組の作品だ。ひとつには澄んだ青を背景にして、修正ペンで聖書の文字を書きこみ、地上に腕を空方へ広げた彼を書いた。もう一枚には、同じ彼を描き、背景を黒一色にし、上から赤ペンキを滴らせたものだ。当時、母親とイタリア旅行へ行った際に、バチカンサン・ピエトロ寺院にも入ったのだが、そこで感じた生理的な違和感にも影響されている。

 三作品目は「カンバスを越えなさい」という先生の助言を自分なりに考えた結果、カンバスを水平に置き、その下に新聞紙とガムテープでつくった樹木の根を這わせた。カンバスの上には剥き出しになった眼球や内臓といったグロテスクなものを粘度でつくって散りばめた。

 四作品目は、先生の助言がずっと頭に残っていて、人間の頭部の解剖図を書き、それをくしゃくしゃにして地中に埋め、しばらくしてから掘り起こし、それがあたかも太古の地層から発掘されたものという体で、レポートを書いた。クラスメイトの顔写真と名前を借りて、架空の大学教授や研究者としてレポート上に登場してもらい、それらしくするために放射性炭素年代測定などをすこし勉強したりなどした。美術の時間が楽しくって仕方がなかった。この頃がぼくの創作活動の原点になっている。

 

*2:祖母のちぎり絵に関しては「え①:絵描き」ですこし触れているが、もしかすると「ち①」であらためて書くかもしれない。

 

*3:言葉遊びを面白がっていたから、落語などもすぐに楽しめたのではないだろうか。

 

*4:埴谷雄高の『悪霊』をM君に紹介されて夢中で読んだことも影響しているのかもしれない。

 

*5:サトゥルヌスとの出逢いは「さ①:サトゥルヌス」で詳しく書こうと思う。

 

*6:「それはぼくじゃないよ、それはただの風さ」という歌詞。

 

*7:「し①:蜃気楼」ですこし書こうと思う。

 

          2017年7月18日(火)